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家にいる人  作者: 亀


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第三十九章 できること

冬が近づいていた。


朝晩になると、周の家の窓には薄く白い息が映るようになった。


ある朝、周は台所で湯を沸かしていた。


やかんを持ち上げたとき、腰に少し痛みが走った。


「痛いの?」


劉が後ろから聞いた。


「ちょっとだけだ。」


「この前も痛いって言ってたじゃない。」


「寒くなったからだろ。」


劉は何も言わず、周からやかんを受け取った。


「病院、もう一回行ったら?」


「この前行っただろ。大したことないって。」


「大したことないって言われたから、行かなくていいってことでもないでしょう。」


周は少し考えてから、


「まあ、時間があったらな。」


と言った。


劉はそれ以上言わなかった。


二人とも、若いころのようには動けなくなっていることを、少しずつ感じていた。


それでも、朝になれば起きる。


ご飯を食べる。


仕事に行く。


買い物をする。


夜になればテレビを見る。


生活そのものは、以前とそれほど変わらなかった。


ある日の夕方、周の携帯電話が鳴った。


息子からだった。


「もしもし。」


「父さん、今大丈夫?」


「大丈夫だ。」


「この前、腰痛いって言ってたけど、どう?」


周は少し驚いた。


「もう大丈夫だ。」


「本当に?」


「大したことない。」


電話の向こうで、少し間があった。


「病院、行った?」


「行った。」


周は答えた。


本当は、前に一度行っただけだった。


「そっか。」


息子はそれ以上聞かなかった。


少し話してから、電話を切った。


周は携帯電話をテーブルの上に置いた。


劉が聞いた。


「何だった?」


「腰のこと。」


「心配してた?」


「たぶんな。」


劉は湯飲みを洗いながら、


「そういうところは、あの子も変わったね。」


と言った。


周は何も答えなかった。


しばらくしてから、


「俺たちも年を取ったからな。」


とだけ言った。


その言葉を口にすると、不思議な感じがした。


若いころは、親が年を取ることばかり考えていた。


自分が年を取ることは、あまり考えなかった。


今では、病院の待合室にいる人たちを見ても、自分と同じくらいの年齢の人が増えてきた。


そして、その隣にいる子どもたちも、自分たちと同じような年齢になっていた。


数日後、息子が家に来た。


仕事の帰りだった。


「久しぶり。」


「忙しいんじゃないの?」


劉が聞いた。


「今日はたまたま早く終わった。」


三人で夕飯を食べた。


以前なら、周は仕事のことをいろいろ聞いていた。


給料はいくらなのか。


仕事は続けられそうなのか。


会社は大丈夫なのか。


家はどうするのか。


結婚生活はどうなのか。


けれど、その日はあまり聞かなかった。


息子のほうから仕事の話をした。


「最近、部署の人が一人辞めたんだ。」


「そうか。」


「その分、ちょっと忙しくなった。」


「無理するなよ。」


周が言った。


息子は箸を止めた。


「父さん、最近そればっかりだね。」


「何が?」


「無理するなよって。」


周は少し笑った。


「他に言うことがないんだ。」


劉も笑った。


「前はもっといろいろ言ってたでしょう。」


「そうだったか?」


「そうよ。」


息子も笑った。


食事が終わったあと、三人でテレビを見た。


特別な番組ではなかった。


ニュースを見て、そのあと天気予報を見た。


息子は帰る時間になって立ち上がった。


「じゃあ、そろそろ帰る。」


「気をつけて。」


「うん。」


玄関で靴を履いていると、周が言った。


「今度、病院に行くときは一緒に行くか?」


息子は振り返った。


「父さん一人で行けるでしょう。」


「まあな。」


「でも、予定が合えば行くよ。」


「そうか。」


それだけだった。


息子が帰ったあと、劉が玄関を閉めた。


「一緒に行ってもらうつもりだったの?」


「いや。」


「じゃあ、なんで言ったの?」


周は少し考えた。


「分からない。」


そして、椅子に座った。


「昔は、あの子が困ったら俺が何とかしなきゃって思ってた。」


「今は?」


「今は……」


周はしばらく黙った。


「俺ができることと、あいつがやることは、違うんだろうな。」


劉は向かいに座った。


「そうね。」


二人とも、それ以上は言わなかった。


親子だからといって、いつでも一緒にいるわけではない。


子どもだからといって、親の生活を全部背負えるわけでもない。


親だからといって、子どもの生活を決められるわけでもない。


けれど、困ったときに連絡することはできる。


できる範囲で手伝うこともできる。


何もできない日もある。


周は、自分の手を見た。


若いころより、皮膚が薄くなっていた。


指の関節も太くなっている。


その手で、息子の小さな手を握っていた頃のことを思い出した。


あの頃は、手を引けば歩いてついてきた。


今はもう、手を引く必要はない。


それが少し寂しいような気もした。


同時に、それでいいのだとも思った。


翌朝、周は病院に電話をした。


予約を取った。


劉はそれを見て、


「一人で行くの?」


と聞いた。


「うん。」


「そう。」


それだけだった。


午後になって、息子から短いメッセージが届いた。


『病院、いつ行くの?』


周は少し考えてから、


『木曜日。大丈夫。』


と返した。


しばらくして、


『分かった。何かあったら連絡して。』


と返ってきた。


周はその画面をしばらく見ていた。


そして携帯電話をポケットに入れた。


「何かあったら連絡して、だって。」


劉が聞いた。


「何?」


「息子。」


「そう。」


劉は笑った。


周も笑った。


二人はその日の昼ご飯を作った。


いつもと同じように、少し塩を入れすぎて、劉に言われた。


「また多い。」


「そうか?」


「そうよ。」


周は味見をした。


「これくらいなら大丈夫だろ。」


「あなたは昔からそう。」


「じゃあ、食べなきゃいい。」


「誰が作ったと思ってるの。」


二人はいつものように言い合った。


外では風が強くなっていた。


冬は、もうすぐそこまで来ていた。


生活は続いていく。


誰かが誰かの人生を代わりに生きることはできない。


それでも、できることは、まだいくつか残っていた。

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