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家にいる人  作者: 亀


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第三十七章 子どもの話

夏になった。


林の会社では、暑さのせいで仕事中に水を飲む回数が増えた。


昼休みになると、同僚たちは日陰に集まっていた。


「林さん、結婚してるんですか?」


ある日、同僚の一人が聞いた。


「してないです」


「彼女は?」


「いないです」


「そうなんですか」


それだけ言って、同僚は弁当を食べ始めた。


林も特に気にしなかった。


少し前なら、こういう質問をされると、何か答えを考えなければならないような気がした。


今は、していないものはしていない、と答えるだけだった。


仕事が終わって家に帰ると、母親がテレビを見ていた。


「今日、親戚から電話があったよ」


「また?」


「うん」


「今度は何?」


母親は笑った。


「子どもの話」


林は靴を脱いだ。


「誰の?」


「妹のところ」


「また家の話?」


「それもあるけど、今度は子どものこと」


林は居間に入った。


「どうしたの?」


「息子さんのところ、まだ子どもがいないでしょう」


「結婚してどれくらい?」


「二年くらい」


「それなら、まだ分からないんじゃない?」


「そうよ」


母親はテレビを見ながら言った。


「でも、親戚の人がいろいろ言うのよ」


「何て?」


「早く子どもを作ったほうがいいとか、男の子が一人いたら安心だとか」


林は黙った。


「本人たちはどう言ってるの?」


「まだ考えてないって」


「そうなんだ」


母親は少し笑った。


「昔だったら、そんなこと言ったら、親に怒られたでしょうね」


父親が隣から言った。


「俺たちの時代は、結婚したら子どもができるものだと思ってたからな」


林は父親を見る。


「父さんも?」


「そうだ」


「じゃあ、子どもが欲しくない人のことは?」


父親は少し考えた。


「昔は、そんなに考えたことがなかったな」


「今は?」


「今は、人それぞれだろ」


林は黙った。


母親もテレビを見ながら頷いた。


「そうね」


その日の夕食では、子どもの話はそれ以上続かなかった。


数日後、林は親戚の家へ行った。


そこには、以前話に出ていた娘も来ていた。


彼女は林にお茶を出してくれた。


「仕事、どう?」


「普通です」


「まだ続いてる?」


「続いてます」


「よかったね」


林は笑った。


「ありがとうございます」


少しして、親戚の母親が言った。


「あなたたちは、子どもはどうするの?」


娘は少し困った顔をした。


「まだ考えてないよ」


「もう二年でしょう」


「そうだけど」


「早くしたほうがいいんじゃない?」


娘は黙った。


隣にいた夫が口を開いた。


「二人で決めるから」


母親は少し驚いた顔をした。


「もちろんそうだけど」


「まだ仕事も落ち着いてないし」


「でも、子どもができたらできたで、何とかなるわよ」


娘は少し笑った。


「それもそうかもしれないけど」


彼女はそこで話を止めた。


林は黙っていた。


食事のあと、娘と二人で外に出た。


「さっきの話、気にしてる?」


林が聞いた。


「少し」


「そうだよね」


「子どもが嫌いなわけじゃないんだよ」


「うん」


「ただ、今すぐ欲しいかって聞かれたら、分からない」


林は頷いた。


「それでいいんじゃない?」


彼女は少し笑った。


「そう言ってくれる人、意外と少ないよ」


「俺もまだ何も決めてないから」


「林君も?」


「うん」


「結婚も?」


「それも」


彼女は少し考えてから言った。


「親って、子どもの人生を自分の予定表みたいに考えることがあるよね」


林は何も言わなかった。


「結婚したら、次は子ども。その次は家。その次は孫」


「そういう順番?」


「そういう話をよく聞くから」


林は笑った。


「人生って、そんなに予定通りになるのかな」


「ならないよね」


二人とも笑った。


その日の夜、林が家に帰ると、父親が庭にいた。


「どこ行ってた?」


「親戚のところ」


「そうか」


林は少し迷ってから聞いた。


「父さん」


「ん?」


「孫が欲しい?」


父親は少し驚いた。


「急に何だ」


「聞いてみただけ」


父親はしばらく黙っていた。


「そりゃ、見られたら嬉しいだろうな」


「男の子?」


「どっちでもいい」


「子どもができなかったら?」


父親は少し考えた。


「それなら、それで仕方ないだろ」


林は父親を見た。


父親は続けた。


「お前の人生だからな」


少し離れたところで、母親が聞いていた。


「私は孫ができたら嬉しいけどね」


林が振り返る。


母親は笑った。


「でも、欲しいからって、あなたたちに作らせるものじゃないでしょう」


父親が言った。


「そうだな」


母親は少し考えてから、


「昔は、親が言えば子どもは聞くものだと思ってたけど」


と言った。


林は何も言わなかった。


「今は、そうでもないんだね」


母親はそう言って、台所へ戻った。


林は庭に立ったまま、夜空を見た。


子どもを持つ人。


持たない人。


持ちたいけれど、持てない人。


まだ考えていない人。


それぞれ事情は違う。


誰かの事情を、別の誰かの基準だけで決めることはできない。


林はそう思った。


けれど、それを誰かに説明しようとは思わなかった。


翌朝、いつものように仕事へ向かった。


駅の近くで、若い夫婦が小さな子どもを連れて歩いていた。


少し先では、ベビーカーを押している女性がいた。


反対側の道には、仕事へ急ぐ人たちが歩いていた。


林もその中にいた。


それぞれが、それぞれの生活をしている。


誰かの生活が始まったからといって、別の誰かの生活が同じように始まるわけではない。


電車が来た。


林は乗り込んだ。


今日も仕事だった。


将来のことは、まだ決まっていなかった。

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