第二十五章 最初の一週間
月曜日の朝。
目覚ましが鳴る前に、林は目を覚ました。
まだ外は薄暗かった。
しばらく布団の中にいたが、時計を見ると六時二十分だった。
林は起き上がった。
顔を洗い、着替えて、簡単に朝食を食べた。
母親は台所で弁当を作っていた。
「これ、持っていきなさい」
「ありがとう」
「お昼、ちゃんと食べるのよ」
「分かってる」
玄関では、父親が新聞を読んでいた。
林が靴を履くと、父親が顔を上げた。
「初日だな」
「うん」
「無理するなよ」
林は少し意外そうに父親を見た。
以前なら、
「ちゃんとやれよ」
とか、
「長く続けろよ」
と言われていたかもしれない。
「うん」
それだけ答えて、家を出た。
駅まで歩く。
同じ道なのに、少し違って見えた。
これまでは、仕事を探すために歩いていた。
今日は仕事に行くために歩いている。
会社に着くと、担当者が案内してくれた。
同じ部署の人を何人か紹介された。
「今日から入る林さんです」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
簡単な挨拶だけだった。
席を教えてもらい、パソコンの使い方を説明された。
覚えることは多かった。
ファイルの場所。
社内の連絡方法。
電話の取り方。
書類の名前。
一度聞いただけでは覚えられないものもあった。
昼休み、林は一人で弁当を食べた。
周りでは、何人かが話していた。
仕事の話。
週末の話。
天気の話。
林は時々笑いながら聞いていた。
午後になると、少し疲れた。
それでも、時間は進んだ。
退勤時間になった。
「お疲れさまでした」
「お疲れさま」
会社を出る。
駅に向かいながら、林はスマートフォンを見た。
母親からメッセージが来ていた。
「初日はどうだった?」
林は、
「普通。疲れた」
とだけ返した。
少しして、
「それならよかった」
と返ってきた。
火曜日も、水曜日も、同じように過ぎた。
仕事は少しずつ増えた。
まだ一人ではできないことも多かった。
木曜日、書類の入力を間違えた。
先輩が画面を見て、
「ここ、違ってるよ」
と言った。
「すみません」
「大丈夫。ここだけ直せばいいから」
林は直した。
家に帰ると、父親が聞いた。
「仕事、どうだ?」
「まだ慣れない」
「そうか」
「でも、教えてもらってる」
父親は頷いた。
「それならいい」
それ以上は聞かなかった。
金曜日。
退勤前に、上司から言われた。
「来週から、少しずつ一人でやってもらうから」
「はい」
林は返事をした。
帰り道、駅のホームで電車を待ちながら考えた。
一週間働いた。
仕事は決まった。
毎朝起きる場所も決まった。
給料が入る日も決まっている。
それなのに、まだ何か落ち着かなかった。
仕事が嫌というわけではない。
特別楽しいわけでもない。
ただ、これが自分に合っているのかは、まだ分からなかった。
家に帰ると、母親が夕食を用意していた。
「一週間、終わったね」
「うん」
「どうだった?」
林は少し考えた。
「分からない」
母親は笑った。
「分からないの?」
「一週間じゃ、分からないよ」
父親も食卓で頷いた。
「まあ、そうだな」
林はご飯を食べた。
少ししてから、父親が言った。
「仕事が決まったからって、すぐ全部うまくいくわけじゃないな」
林は顔を上げた。
「うん」
「続けながら考えればいいんじゃないか」
林は少し黙った。
「父さん、前よりそういうこと言うようになったね」
父親は箸を止めた。
「そうか?」
「うん」
「俺も年を取ったからな」
母親が笑った。
「それは関係ないでしょう」
三人で少し笑った。
食事が終わると、林は自分の部屋に戻った。
机の上には、仕事で使ったメモが置いてある。
明日から休みだった。
以前なら、何をすればいいのか分からない休日だった。
今は、少なくとも月曜日には仕事がある。
それだけで少し違った。
林はスマートフォンを開いた。
求人サイトを見ようとして、手を止めた。
そして画面を閉じた。
今すぐ次を探す必要はない。
今の仕事をもう少しやってみる。
それでいいと思った。
まだ結論は出ていない。
けれど、結論を急がなくてもいいことも、少しずつ分かってきた。




