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家にいる人  作者: 亀


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第二章 離れて暮らす

上海に着いた日の夜、周は小さな部屋で一人で寝た。


部屋は古い建物の一室だった。


窓の外には、知らない家がいくつも並んでいた。


道には人が多かった。


夜になっても、外の音がなくならない。


車の音。


人の話し声。


遠くから聞こえてくる店の音。


周は布団の上に座り、昼間に渡された仕事の場所を書いた紙をもう一度見た。


住所は分かった。


明日の朝、そこへ行けばいい。


それだけだった。


荷物は少なかった。


着替えが何枚かと、洗面道具、それから家から持ってきた小さな袋。


その中には、劉が入れてくれた干し物があった。


周は袋を開けた。


中には、干した野菜と少しの食べ物が入っていた。


一つ取り出して、口に入れた。


味は薄かった。


けれど、家で食べていたものと同じ味がした。


周はしばらく黙っていた。


それから、窓の外を見た。


ここで働けば、村にいるよりは金になる。


それなら、少しくらい我慢すればいい。


そう思った。


翌朝、周はまだ暗いうちに起きた。


知らない道を歩いて、仕事場へ向かった。


仕事は楽ではなかった。


立っている時間が長かった。


慣れない作業もあった。


分からないことを聞くと、相手が早口で説明する。


周は何度か聞き返した。


仕事を教えてくれた男が、少し面倒そうな顔をした。


「分かった?」


「分かった。」


本当は、全部は分かっていなかった。


それでも、もう一度聞くのが恥ずかしくて、周は頷いた。


その日の夜、部屋へ戻ると、足が重かった。


靴を脱いで、ベッドの端に座った。


携帯電話を取り出した。


劉に電話しようと思った。


けれど、少し考えてから、やめた。


今ごろは、もう寝ているかもしれない。


翌朝、また電話すればいい。


そう思って携帯電話を置いた。


しかし、しばらくして、また手に取った。


結局、短い電話をかけた。


呼び出し音が二回鳴ったところで、劉が出た。


「もしもし?」


「寝てた?」


「まだ。」


「何してた?」


「片付けてた。」


周は少し黙った。


「こっちは着いた。」


「うん。」


「仕事も見てきた。」


「どうだった?」


「まあ、やれそう。」


劉は少し安心したようだった。


「ご飯食べた?」


「食べた。」


「何食べたの?」


「ご飯。」


「それだけ?」


「おかずもある。」


劉は笑った。


「ちゃんと食べて。」


「分かってる。」


少し沈黙があった。


二人とも、何を話せばいいのか分からなかった。


家にいるときは、話すことがなくても、同じ部屋にいればよかった。


今は電話を切れば、それぞれ別の場所にいる。


周が先に言った。


「じゃあ、もう寝る。」


「うん。」


「明日、仕事だから。」


「分かった。」


電話を切った。


周は携帯電話を机の上に置いた。


部屋はまた静かになった。


それから数日、周は仕事を続けた。


朝起きて、仕事へ行く。


夕方に戻る。


食事をして、寝る。


毎日、それだけだった。


給料日が来ると、周は金を数えた。


自分の生活に必要な分を少しだけ残した。


残りは劉に送った。


送金したあと、周は電話をした。


「送った。」


「いくら?」


「今月はこれだけ。」


劉はしばらく黙った。


「自分の分は?」


「ある。」


「本当に?」


「あるって。」


「ちゃんと食べてる?」


「食べてる。」


「服は?」


「ある。」


「靴は?」


「まだ使える。」


劉は電話の向こうでため息をついた。


「あなたも何でも節約するね。」


周は笑った。


「お前に言われたくない。」


「私は必要なものを買ってるだけ。」


「布団のこと?」


「もういい。」


二人とも笑った。


けれど、電話を切ったあと、劉は送られてきた金を見た。


思っていたより少なかった。


家には買わなければならないものがいくつかあった。


米も必要だった。


冬の服も必要だった。


それから、母親から頼まれていたものもあった。


劉はしばらく考えた。


そして、その金をしまった。


何に使うかは、あとで考えればいい。


その頃、村では季節が少しずつ変わっていた。


畑へ行く時間も変わった。


周がいないので、重い仕事は劉が一人でやることも増えた。


近所の人が声をかけてくる。


「旦那さん、まだ上海?」


「うん。」


「いつ帰ってくるの?」


「分からないって。」


「大変だね。」


「まあね。」


そう答えながら、劉は笑った。


家に帰ると、今度は一人で食事を作った。


以前は二人分だった。


今は一人分。


それでも、最初のうちは癖で二人分の米を研いでしまうことがあった。


炊飯器を開けてから気づく。


「あ。」


誰も聞いていないのに、声が出た。


余ったご飯を見ながら、劉は少し笑った。


それから、翌朝の分にした。


夜になると、周から電話が来る日もあった。


来ない日もあった。


電話が来ないと、劉は少し気になった。


けれど、自分から電話をすることはあまりなかった。


仕事の邪魔になるかもしれないと思ったからだ。


ある夜、遅い時間に電話が鳴った。


「もしもし?」


「まだ起きてる?」


「起きてる。」


「今日、遅くなった。」


「仕事?」


「うん。」


周の声が少し疲れていた。


劉は聞いた。


「大丈夫?」


「大丈夫。」


「本当に?」


「本当に。」


劉はそれ以上聞かなかった。


少しして、周が言った。


「そっちは?」


「いつも通り。」


「畑は?」


「やってる。」


「一人で?」


「うん。」


「無理するなよ。」


劉は少し黙った。


「あなたもね。」


「分かってる。」


また沈黙があった。


周は何か言おうとした。


けれど、結局何も言わなかった。


劉も何も聞かなかった。


電話の向こうにいるだけで、少し安心した。


それで十分な夜もあった。


ある日、周は仕事場で同じ村の出身だという男に会った。


男は周より少し年上だった。


「上海は初めてか?」


「うん。」


「最初はきついぞ。」


「そうみたいだな。」


「慣れれば大丈夫だ。」


男は笑った。


「嫁さんは?」


「村にいる。」


「子どもは?」


「まだ。」


「そうか。」


男はそれ以上聞かなかった。


休憩時間になると、二人は一緒に座った。


男が言った。


「金、送ってるか?」


「送ってる。」


「全部送るなよ。」


「分かってる。」


「外で働くと、何かと金がかかる。」


周は頷いた。


その言葉を聞いて、少し考えた。


自分は何のためにここへ来たのか。


家のためだった。


だから、できるだけ送るつもりだった。


自分のために残す金が多いと、なんとなく落ち着かなかった。


その夜、周は給料の残りをもう一度数えた。


そして、次の月からは少しだけ手元に残すことにした。


生活には金が必要だった。


家に送る金も必要だった。


どちらか一方だけでは続かない。


それくらいは、少しずつ分かってきた。


数か月が過ぎた。


周は仕事にも少し慣れた。


帰る時間もだいたい決まってきた。


休日には洗濯をした。


部屋を掃除した。


時々、近くの店で安い食事をした。


それでも、村に帰りたいと思うことはあった。


特に、夜になるとそうだった。


仕事が終わって、何もすることがなくなると、家のことを思い出す。


木の机。


二つの棚。


少し緩んだベッドの脚。


冬になると風が入ってくる小さな窓。


そして、劉。


ある晩、周は電話をかけた。


「もしもし?」


「どうしたの?」


「何でもない。」


「何でもないのに電話したの?」


「……声、聞こうと思って。」


劉はしばらく黙った。


「そう。」


「うん。」


「今日、何食べた?」


「麺。」


「また麺?」


「安いから。」


「ちゃんと野菜も食べて。」


「分かってる。」


「そればっかり。」


周は笑った。


「お前もな。」


「私は食べてる。」


「本当か?」


「本当。」


二人はしばらく話した。


特別な話はしなかった。


畑のこと。


村の人のこと。


天気のこと。


仕事のこと。


そして、いつ帰れるか。


周はまだ、帰る日を決められなかった。


「もう少し働いてから帰る。」


「うん。」


「年末には帰れると思う。」


「分かった。」


「何か欲しいものあるか?」


劉は少し考えた。


「ない。」


「本当に?」


「うん。」


「何でもいいぞ。」


「じゃあ、無事に帰ってきて。」


周は黙った。


それから、小さく答えた。


「分かった。」


電話を切ったあと、周はしばらく携帯電話を見ていた。


それから、布団に入った。


その頃の二人には、まだ大きな計画はなかった。


家を建てることも。


車を買うことも。


子どもをどう育てるかも。


何十年後にどんな暮らしをしているかも。


考えたことはなかった。


ただ、今より少しだけ生活を楽にしたかった。


周は外で働いた。


劉は村で家を守った。


二人は離れて暮らしていた。


それでも、毎月送られてくる金と、時々交わす短い電話で、同じ家のことを考えていた。


それだけで、その頃は十分だった。


やがて、冬が近づいてきた。


ある日の夜、劉は布団に入った。


去年から使っている布団は、やはり硬かった。


彼女は布団を引き寄せた。


そのとき、周が去年言った言葉を思い出した。


――来年、買おう。


劉は少しだけ笑った。


「いつの来年よ。」


誰も聞いていなかった。


彼女はそのまま目を閉じた。


同じ頃、上海では周も一人で布団に入っていた。


こちらの布団も、それほど暖かくなかった。


周は布団を肩まで引き上げた。


そして、明日も仕事だと思った。


二人はまだ知らなかった。


離れて暮らす時間が、これから先の二人の生活を少しずつ変えていくことを。


それが良いことなのか、悪いことなのかも、まだ分からなかった。


ただ、二人とも、それぞれの場所で生活を続けていた。


それしか、できなかった。

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