↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家にいる人  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

141/301

第一百四十一章 同じ場所ではない

年が明けた。


元日の朝、周はいつもより少し遅く起きた。


外は静かだった。


近所の家から、食器の音が聞こえる。


劉は台所で鍋を温めていた。


「息子から連絡あった?」


「まだ」


「正月なのに?」


「寝てるんじゃないか」


劉は少し笑った。


「仕事が忙しいって言ってたからね」


「そうだな」


周はスマートフォンを見た。


何も届いていない。


以前なら、朝から何度も画面を確認していたかもしれない。


今日は一度見ただけで、机の上に戻した。


午前十時を過ぎたころ、通知音が鳴った。


「明けましておめでとう」


息子からだった。


続けて、


「今年もよろしく」


と届いた。


周は、


「明けましておめでとう。今年も元気で」


と返した。


しばらくして、


「父さんも」


と返ってきた。


それだけだった。


劉が聞いた。


「何て?」


「新年の挨拶」


「電話は?」


「してない」


劉は少し考えた。


「昔なら電話してたね」


「そうだな」


「今はしないの?」


「向こうも忙しいだろ」


劉は何も言わなかった。


昼前、近所の王さんが年始の挨拶に来た。


「明けましておめでとう」


「おめでとう」


三人で少し話した。


王さんの息子は正月も仕事だった。


「昨日も夜まで仕事だった」


「そうか」


「今日も出勤だって」


「大変だな」


王さんは湯飲みを手に持ったまま言った。


「昔は、正月くらい家に帰ってこいって思ってた」


「今は?」


「本人が働いてるなら仕方ないと思うようになった」


「そうか」


「でも、やっぱり少し寂しいけどな」


周は頷いた。


「それは普通だろ」


「そうだな」


王さんは笑った。


「寂しいから帰ってこい、とは別の話なんだよな」


周はその言葉を聞いて、少しだけ顔を上げた。


「そうだな」


王さんは昼前に帰った。


午後、周は一人で外へ出た。


商店街は普段より人が少なかった。


閉まっている店も多い。


以前の修理店の前を通る。


シャッターにはまだ、


「テナント募集」


と書かれている。


その横に、新しい紙が貼られていた。


「内見受付中」


周は少し立ち止まった。


中が使われなくなっても、建物そのものはそこにある。


そして、誰かが次に使うかもしれない。


周はそのまま歩いた。


市場で野菜を買っていると、李さんの息子を見かけた。


「周さん」


「今日は休みか?」


「うん」


「仕事、決まった?」


「まだ」


「そうか」


「でも、一つ面接に行く」


「いつ?」


「来週」


「そうか」


「今度は時間が合いそう」


「それなら、行ってみればいい」


李さんの息子は笑った。


「父にはまだ言ってない」


「面接に行くことも?」


「うん」


「どうして?」


「決まってないから」


周は頷いた。


「そういうこともあるな」


「決まってから話したい」


「分かった」


「周さんは、息子さんに何でも話す?」


周は少し考えた。


「昔は、何でも聞いてた」


「今は?」


「話してくれたら聞く」


「聞かないこともある?」


「ある」


「心配じゃない?」


「心配だよ」


「でも聞かない?」


「心配だからって、全部聞いていいわけじゃないからな」


李さんの息子は黙った。


それから、


「そういう考え方もあるんだね」


と言った。


周は笑った。


「俺も最近になって分かってきた」


二人は市場の入口で別れた。


帰宅すると、劉がテレビを見ていた。


「誰かに会った?」


「李さんの息子」


「仕事は?」


「まだ」


「面接に行くみたい」


「それならよかったね」


「本人がそう思ってるならな」


劉は少し笑った。


「あなた、最近、何でも本人に返すね」


「そうか?」


「そうよ」


周は答えなかった。


夕方、息子から電話が来た。


「父さん」


「うん」


「今、少し時間ある」


「どうした?」


「新しい仕事、来週から本格的に始まる」


「そうか」


「まだ覚えること多いけど」


「慣れるまで大変だな」


「うん」


少し沈黙があった。


「正月、帰れなくてごめん」


周は窓の外を見た。


「謝らなくていい」


「でも、母さん楽しみにしてたんじゃない?」


「少しな」


「やっぱり」


「でも、仕事なら仕方ないだろ」


「うん」


「帰れるときに帰ればいい」


息子はしばらく黙った。


「ありがとう」


「何が?」


「そう言ってくれて」


周は少し笑った。


「仕事、頑張れ」


「うん」


電話を切った。


劉が聞いた。


「正月、帰れないって?」


「ああ」


「そう」


劉は少し黙ってから、


「仕方ないね」


と言った。


周は妻の顔を見た。


以前なら、劉はきっと、


「正月くらい帰ってくればいいのに」


と言っていた。


けれど、今日は言わなかった。


そのことを、周は特に指摘しなかった。


夜、二人で食事をした。


息子の席は空いている。


それでも、空いた椅子を見ながら食事をするわけではない。


鍋の中身を取り分け、テレビを見て、明日の天気の話をした。


食事のあと、周は庭へ出た。


小さな実は、まだ枝に残っていた。


ただ、前より少し色が変わっていた。


周は近づいて見る。


触らない。


落ちるかどうかも分からない。


そのまま家へ戻ろうとしたとき、スマートフォンが鳴った。


息子から写真が一枚送られてきた。


新しい職場の近くの風景だった。


大きな道路と、夕方の空。


文章はなかった。


周は写真をしばらく見ていた。


そして、


「寒そうだな」


と送った。


すぐに、


「寒いよ」


と返ってきた。


「風邪ひくなよ」


「父さんも」


それだけだった。


周はスマートフォンをポケットに入れた。


息子が今どこにいるのか。


毎日何をしているのか。


職場で誰と話しているのか。


周には分からないことが増えていた。


昔なら、その分からないところを質問で埋めようとしていた。


今は、写真一枚だけでもいいと思える。


全部を知る必要はない。


帰ってこない日があってもいい。


電話しない日があってもいい。


話したくなったときに話せばいい。


それでも、家族であることまで消えるわけではない。


周は庭の戸を閉めた。


同じ場所に住んでいることと、同じ場所で生きていることは違う。


それでも、ときどき同じ食卓に座る。


それで十分な日もある。


周は居間へ戻った。


劉はテレビを見ていた。


「何だった?」


「息子から写真」


「どんな写真?」


「仕事の近く」


「見せて」


周はスマートフォンを渡した。


劉は写真を見る。


「寒そうね」


「そう言った」


「同じこと考えるね」


二人は笑った。


テレビの音がまた部屋に戻った。


外は静かだった。


新しい年は、特別なことを待っているわけではなかった。


それぞれの場所で、それぞれの生活が始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。