第一百三十八章 朝の机
翌朝、周が目を覚ますと、外はまだ薄暗かった。
台所へ行くと、息子はもう起きていた。
「早いな」
「寝るの、ちょっと遅かったから」
「もう出るのか?」
「もう少ししたら」
テーブルの上には、昨日の魚を食べた皿が洗われて伏せてあった。
劉が台所へ入ってきた。
「起きたの?」
「うん」
「朝ご飯、食べる?」
「少しだけ」
劉はご飯を温めた。
息子は椅子に座り、スマートフォンを見ながら待っていた。
周は湯を沸かした。
「新しい仕事、今日は?」
「昼から」
「じゃあ、少し時間あるな」
「うん」
朝食を食べ終わると、息子は昨日話していた古い机を見たいと言った。
周は物置の扉を開けた。
机は奥に置いてあった。
表面には細かい傷がいくつも残っている。
引き出しの一つには、古い鉛筆と消しゴムが入っていた。
息子が引き出しを開けた。
「これ、まだある」
「何?」
「この鉛筆」
一本取り出した。
短くなっている。
「よくこんなの残ってたね」
「捨てる理由がなかったからな」
息子は鉛筆を指で回した。
「これで数学やってた」
「そうだったな」
「父さん、よく横に座ってたよね」
「間違いを見てた」
「今考えると、結構嫌だった」
周は少し笑った。
「そうか」
「うん」
息子は机の傷を指でなぞった。
「でも、この机は嫌いじゃない」
「持って帰るか?」
「どうしよう」
「無理に持って帰らなくてもいい」
「こっちに置いておいて」
「分かった」
息子は引き出しを閉めた。
物置を出ると、庭へ回った。
昨日見た小さな実は、まだ残っていた。
「まだある」
「一つだけな」
「これ、食べられるの?」
「知らない」
「調べないの?」
周は笑った。
「お前が調べればいい」
息子も笑った。
「じゃあ、今度調べる」
それ以上、二人は話さなかった。
朝の庭には、冷たい風が吹いていた。
家の中へ戻ると、劉が息子の荷物を玄関の近くへ置いていた。
「忘れ物ない?」
「大丈夫」
「財布は?」
「ある」
「携帯は?」
「ある」
「充電器は?」
息子は笑った。
「あるよ」
劉も笑った。
「昔は父さんが全部確認してたね」
周は少し気まずそうに笑った。
「そうだったな」
「今は母さんが確認してる」
「それは同じじゃない?」
三人で笑った。
十時を少し過ぎたころ、息子は靴を履いた。
「じゃあ、行く」
「気をつけて」
劉が言った。
「うん」
周は玄関まで出た。
息子が靴を履き終える。
「父さん」
「ん?」
「机、次に帰ってきたとき、もう一回見る」
「分かった」
「写真も見せて」
「上海の?」
「うん」
「いいよ」
息子は外へ出た。
門を開ける。
少し歩いてから振り返った。
「じゃあ」
「またな」
息子は手を上げて、そのまま歩いていった。
周はしばらく門の前に立っていた。
やがて姿が見えなくなる。
家の中へ戻ると、劉が玄関を片づけていた。
「早かったね」
「仕事があるからな」
「昨日の夜に帰ってきて、もう行っちゃった」
「そうだな」
食卓を見ると、昨夜三人で食べた跡がまだ少し残っていた。
周は皿を片づけた。
劉は布団を取り込んだ。
息子が使った部屋は、昨夜のままだった。
布団が少し乱れている。
机の上には何もない。
劉は部屋の入口で立ち止まった。
「掃除する?」
「今日はいいんじゃないか」
「そうね」
そのまま二人で部屋を出た。
午後、周は庭へ出た。
小さな実を見る。
昨日までと同じ場所にある。
周は手を伸ばしかけて、やめた。
触らず、そのままにした。
夕方になって、息子からメッセージが来た。
「今、仕事着いた」
周は、
「分かった。頑張れ」
と返した。
少しして、
「昨日ありがとう」
と届いた。
周は画面を見た。
何についての「ありがとう」なのか、聞かなかった。
魚のことかもしれない。
机のことかもしれない。
昔の話を聞いたことかもしれない。
あるいは、全部違うのかもしれない。
周は短く、
「また帰ってこい」
と送った。
しばらく返信はなかった。
周はスマートフォンを置いた。
夕方の庭には、冷たい風が吹いていた。
小さな実はまだ枝に残っていた。
いつ落ちるのかは分からない。
周はそのまま家の中へ戻った。
劉が夕食の準備をしていた。
「今日は何食べる?」
「昨日の魚が残ってる」
「じゃあ、それでいいね」
二人分の皿を並べた。
昨夜は三人分だった。
今日は二人分だった。
食卓の広さは変わらない。
椅子の数も変わらない。
ただ、座る人が違っていた。
周は椅子に座った。
「いただきます」
劉も座った。
「いただきます」
外が暗くなっていく。
息子が次に帰ってくる日がいつになるのか、まだ決まっていなかった。
二人はそのことについて、特に話さなかった。




