第一百三十五章 帰ってこない人
十二月に入ると、日が暮れるのが早くなった。
周は夕方になる前に買い物を済ませようと思い、いつもより少し早く家を出た。
商店街の入口まで来たところで、昔近所に住んでいた陳さんに会った。
「周さん」
「陳さん、久しぶり」
「最近、こっちに来てなかった?」
「買い物はしてるけど、時間が違うのかもしれない」
陳さんは笑った。
「そうか」
二人は歩きながら話した。
陳さんは数年前に息子が別の町へ引っ越したと言っていた。
「息子さん、まだ戻ってこないの?」
周が聞くと、陳さんは少し考えた。
「戻ってこないというより、戻る予定がないみたいだ」
「仕事?」
「仕事もあるし、向こうで家を借りたらしい」
「そうか」
「最初は一年くらいで戻ると思ってたんだけどな」
陳さんは笑った。
「親って、勝手に期限を決めるんだな」
周も少し笑った。
「そういうこともある」
「最初は、『仕事が落ち着いたら帰ってくる』って言ってたんだよ」
「うん」
「でも、仕事が落ち着いたら、今度は向こうの生活が落ち着いたらってなった」
「そうか」
「それで何年か経った」
陳さんは市場の入口で足を止めた。
「別に仲が悪いわけじゃないんだ」
「分かるよ」
「電話もするし、正月には帰ってくる」
「それなら、帰ってきてるじゃないか」
「そうなんだけどな」
陳さんは少し笑った。
「俺が思ってた『帰ってくる』とは違っただけだ」
周はその言葉を聞いて、しばらく黙っていた。
「家を出た人が、家を忘れたわけじゃない」
「そうなんだろうな」
「住む場所が変わっただけかもしれない」
陳さんは頷いた。
「そうだな」
二人はそこで別れた。
周は野菜を買い、魚売り場を通った。
今日は魚を買わなかった。
家にはまだ食べるものがあった。
帰宅すると、劉が掃除をしていた。
「誰かに会った?」
「陳さん」
「息子さん、どうしてるって?」
「別の町にいる」
「まだ帰ってこないの?」
「帰ってくる予定はないらしい」
劉は少し驚いた。
「親元に?」
「うん」
「ずっと?」
「本人はそう考えてるみたいだ」
劉は掃除機を止めた。
「親は寂しいでしょうね」
「たぶんな」
「あなたならどう?」
周はすぐには答えなかった。
「息子が帰ってこなくても?」
「そう」
「寂しいとは思う」
「でしょう?」
「でも、帰ってくることと、元気に暮らしてることなら、どっちを優先するかは本人が決めることだろ」
劉は少し考えた。
「そうね」
それから掃除機をまた動かした。
午後、周は古い写真を整理した。
何年も前の写真の中に、息子が大学へ行く前のものがあった。
まだ今よりずっと若い。
玄関の前で撮った写真だった。
周は写真を一枚ずつ見た。
そのとき、スマートフォンが鳴った。
息子からだった。
「父さん、今休憩」
「そうか」
「来月、たぶん帰れる」
「たぶん?」
「まだ休みが確定してない」
「決まったら教えて」
「うん」
少し話してから、息子が言った。
「父さん、昔の写真、まだある?」
周は机の上の写真を見た。
「あるよ」
「俺が大学行く前のやつ」
「今、見てる」
「本当に?」
「うん」
息子が笑った。
「その写真、俺、顔丸いね」
「そうだったな」
「父さんも若い」
「当たり前だろ」
二人で笑った。
「その写真、今度行ったとき見せて」
「分かった」
電話を切ったあと、周は写真を箱に戻した。
以前なら、息子が帰ってくると聞けば、すぐに予定を組んでいた。
何を食べるか。
どこへ行くか。
何を買っておくか。
今は、休みが決まってから考えればいいと思った。
夕方、近所の子どもが自転車で走っているのを見かけた。
少し離れたところで母親が、
「危ないよ、ゆっくり!」
と声をかけている。
子どもは振り返った。
「分かった!」
そう言いながら、速度はあまり変わらなかった。
周はその様子を見て笑った。
劉が隣に来た。
「何笑ってるの?」
「昔の息子を思い出した」
「同じだった?」
「似てた」
「あなたも、あのころは何度も言ってたね」
「何を?」
「危ないからやめろって」
「そうだったな」
「聞かなかったでしょう」
「聞かなかったな」
二人は子どもが角を曲がって見えなくなるまで見ていた。
夜、陳さんから電話が来た。
「周さん、さっきの話だけど」
「うん」
「息子から連絡があった」
「どうした?」
「来年の正月は帰ってこないかもしれないって」
「そうか」
「仕事の都合らしい」
「本人が決めたなら、そういうこともあるな」
「うん」
陳さんの声は少し静かだった。
「最初は、なんだか寂しいと思った」
「今は?」
「まだ寂しいよ」
周は何も言わなかった。
「でも、電話では普通に話せた」
「それならいいじゃないか」
「そうだな」
しばらく沈黙があった。
「周さん」
「ん?」
「子どもが帰ってこないことと、親を大事にしてないことは、同じじゃないんだな」
「同じじゃないだろ」
「そうだな」
電話が切れた。
周はしばらく窓の外を見ていた。
町の明かりが少しずつ消えていく。
家を出た人は、戻ってくることもある。
戻らないこともある。
帰ってくる回数が減ることもある。
それでも、電話一本でつながる日もある。
周は写真の箱を棚の上に置いた。
息子がいつ帰ってくるかは、まだ決まっていない。
それなら、決まったときに考えればいい。
夜が深くなった。
劉が照明を一つ消した。
「もう寝る?」
「うん」
周は最後に窓を閉めた。
遠くの道路を、一台の車が走っていった。
誰が乗っているのかは分からなかった。
それぞれの人が、それぞれの場所へ帰っていく。
そのことだけは、昔から変わらなかった。




