↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家にいる人  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/301

第十一章 親ができること

大学を卒業すると、子どもはそのまま家には戻らなかった。


地元で仕事を探すこともできた。


けれど、本人は別の町で働きたいと言った。


周は最初、反対した。


「わざわざ遠くへ行かなくてもいいだろう。」


子どもは答えた。


「やりたい仕事がそっちにある。」


「給料は?」


「こっちより少し高い。」


「住むところは?」


「会社の寮がある。」


周はしばらく考えた。


「本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫。」


劉が横から言った。


「行かせてみればいいでしょう。」


周は劉を見る。


「お前はいつも簡単に言うな。」


「本人がもう大人なんだから。」


周は何も言わなかった。


数日後、子どもは家を出た。


今度は大学へ行ったときとは違った。


学校へ行くためではない。


自分で働いて、自分で生活するためだった。


周は駅まで送った。


荷物を持つ。


「困ったら電話しろ。」


「うん。」


「金が足りなくなったら言え。」


「分かってる。」


「病気になったら……」


子どもが笑った。


「それ、大学のときも言ったよ。」


周も笑った。


「じゃあ、もう言わない。」


「うん。」


列車が動き始めた。


周はホームに立ったまま、遠ざかる車両を見ていた。


劉が隣に立った。


「行ったね。」


「ああ。」


「寂しい?」


周は少し考えた。


「仕事だから仕方ない。」


劉は笑った。


「そういうところ、昔から変わらないね。」


周は答えなかった。


家に戻ると、子どもの部屋は空になっていた。


机もない。


本も少ない。


服もほとんど残っていない。


ただ、棚の奥に古い教科書が数冊残っていた。


周はそれを見た。


捨てることもできた。


けれど、そのままにした。


仕事を始めてから、子どもからの電話はさらに少なくなった。


仕事が忙しい。


残業がある。


休日には友達と出かける。


それぞれの生活ができていった。


周も仕事を続けた。


体力は少しずつ落ちていた。


昔なら一日で終わった仕事に、今は二日かかることもある。


それでも働いた。


家に必要な金があれば、働けばいい。


周の考え方は、若い頃から大きく変わっていなかった。


ある年の冬、子どもが帰ってきた。


食事の途中で、突然言った。


「お父さん。」


「何だ?」


「結婚したい人がいる。」


周の箸が止まった。


劉は子どもの顔を見る。


「本当?」


「うん。」


「どこの人?」


子どもが相手について話した。


仕事。


家族。


住んでいる場所。


二人がどうやって知り合ったのか。


劉は一つ一つ聞いた。


周は黙って聞いていた。


しばらくして、周が聞いた。


「仕事は?」


「してる。」


「収入は?」


子どもが答える。


周は考え込んだ。


「家は?」


「まだ。」


「結婚したら、どこに住む?」


「二人で考えてる。」


周は黙った。


「金は足りるのか?」


「何とかする。」


「何とかするって、どうするんだ?」


子どもは少し困った顔をした。


「二人で働く。」


「それだけか?」


「それで生活する。」


周は何も言わなかった。


食事が終わったあと、劉が台所で食器を洗っていた。


周が言った。


「家を買ったほうがいい。」


劉が振り返る。


「誰が買うの?」


「俺が少し出す。」


「少しって、どれくらい?」


周は金額を言った。


劉は驚いた。


「そんなに出すの?」


「子どもが結婚するんだ。」


「でも、うちの貯金もそんなに余裕ないでしょう。」


「また働けばいい。」


「あなた、もう若くないよ。」


周は答えなかった。


「自分の老後は?」


「まだ考えなくていい。」


劉はため息をついた。


「あなたは、子どものことになると、自分のことを後回しにするね。」


周は言った。


「親なんだから、それくらいする。」


劉はそれ以上言わなかった。


数日後、周は銀行へ行った。


長い間、少しずつ貯めてきた金があった。


若い頃なら使わなかった金だった。


服を買わなかった。


新しい家具も買わなかった。


必要のない外食もほとんどしなかった。


その金が、今は子どもの家のために出ていこうとしていた。


周は通帳を見ながら、長い間考えた。


自分のために使うなら、何に使うだろう。


答えは、あまり思いつかなかった。


子どものためなら、使い道がすぐに見つかった。


それでいいと思った。


結婚の日が近づくと、家の中は忙しくなった。


親戚から電話が来る。


母親のほうからも連絡がある。


誰を呼ぶか。


何を準備するか。


いくら必要か。


周は一つ一つ考えた。


劉は言った。


「そこまでしなくてもいいんじゃない?」


「せっかくの結婚なんだから。」


「でも、うちにそんな余裕はないよ。」


「俺が何とかする。」


「またそれ。」


周は少し怒った。


「じゃあ、どうするんだ?」


「子どもたちにも考えてもらえばいいでしょう。」


「若い二人にそんな金があると思うか?」


「だからって、全部親がやる必要はないでしょう。」


周は黙った。


二人の考えは合わなかった。


それでも、結局は必要なものを準備した。


結婚式の日、周はずっと忙しかった。


来客に挨拶する。


親戚を案内する。


足りないものを取りに行く。


子どもの姿を見る。


昔は小さかった。


泣けば抱き上げた。


病気になれば病院へ連れて行った。


宿題を隣で見た。


高校を選ぶときには言い争った。


大学へ送り出した。


仕事を始めたときには、何度も電話をかけた。


そして今、目の前で自分の家庭を作ろうとしている。


周は少し離れたところから、その姿を見ていた。


嬉しかった。


同時に、少し寂しかった。


自分の手から離れていく。


それは当然のことだった。


式が終わった夜、子どもが周のところへ来た。


「お父さん。」


「何だ?」


「今日はありがとう。」


周は笑った。


「礼なんかいい。」


「でも、本当に助かった。」


「家族なんだから。」


子どもはしばらく黙っていた。


「いつか返す。」


周は首を振った。


「返さなくていい。」


「でも。」


「お前が自分の生活をちゃんと作れば、それでいい。」


子どもは頷いた。


その言葉を聞いて、周自身も少し安心した。


けれど、その安心は長く続かなかった。


数か月後、子どもから電話が来た。


「お父さん、ちょっと相談がある。」


「何だ?」


「仕事を辞めようかと思ってる。」


周は黙った。


「どうして?」


「仕事が合わない。」


「合わないって、どういうことだ?」


「やってみて、違うと思った。」


周の声が少し強くなった。


「結婚したばかりだぞ。」


「分かってる。」


「家の金も出したばかりだ。」


「分かってるって。」


「じゃあ、どうして辞めるんだ?」


電話の向こうが静かになった。


子どもが言った。


「お父さん、俺の人生のことを考えてくれてるのは分かる。」


「だったら。」


「でも、仕事を続けるかどうかは、自分で決めたい。」


周は言葉を失った。


また同じ言葉だった。


自分で決めたい。


子どもは続けた。


「お父さんが助けてくれたことは、ちゃんと分かってる。」


「……。」


「だから、何かを決めるたびに、お父さんに申し訳なくなる。」


周は何も言えなかった。


「俺が何をしたいかじゃなくて、お父さんが何を望んでるかを考えてしまう。」


その言葉を聞いて、周の胸が重くなった。


「俺は、お前のためにやったんだ。」


「分かってる。」


「じゃあ、何でそんなことを言う?」


「分かってるから言ってる。」


電話の向こうで、しばらく沈黙が続いた。


周は怒りたかった。


「俺がどれだけ働いたと思ってる。」


そう言いたかった。


けれど、言葉が出なかった。


子どもは最後に言った。


「少し考えてみる。」


「……分かった。」


電話が切れた。


周はしばらく携帯を握ったままだった。


劉が聞く。


「どうしたの?」


「仕事を辞めたいって。」


劉は少し考えた。


「本人が決めることじゃない?」


周は何も言わなかった。


「あなたが心配なのは分かるけど。」


「家を買う金も出した。」


「うん。」


「結婚の金も出した。」


「うん。」


「それなのに……。」


周はそこで言葉を止めた。


劉は静かに言った。


「それと、あの子の人生は別でしょう。」


周は妻を見た。


すぐには返事ができなかった。


自分は家族のために働いてきた。


必要なものを買ってきた。


大きな出費も引き受けた。


それは全部、本当だった。


そして、それを子どもが忘れているわけでもない。


それでも、そのことによって子どもの人生まで自分のものになるわけではない。


その違いを、周はまだうまく言葉にできなかった。


その夜、周は一人で居間に座っていた。


机の上には古い通帳があった。


若い頃から少しずつ貯めてきた金。


子どものために使った金。


これから必要になるかもしれない金。


周は通帳を閉じた。


そして、しばらく天井を見ていた。


自分は親として、何をすればいいのだろう。


金を出すことか。


道を決めることか。


心配することか。


それとも、何も言わずに見ていることなのか。


周には、まだ答えが分からなかった。


ただ一つだけ、以前とは少し違っていた。


「親がしてあげられること」と、


「親が決めていいこと」は、


同じではないのかもしれない。


そう思ったのは、そのときが初めてだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。