第一百零七章 明日の予定
六月の終わりが近づいていた。
朝、周が庭へ出ると、夜の間に降った雨で地面がまだ濡れていた。
名前の分からない植物の葉に、大きな水滴がいくつも残っている。
周はしゃがんで、土の具合を見た。
少し柔らかい。
昨日直した支柱も、まだしっかりしていた。
「今日は出かけるの?」
窓から劉が聞いた。
「市場まで行ってくる」
「何か買う?」
「豆腐と野菜」
「魚は?」
周は少し考えた。
「まだいいだろ」
「そうだね」
玄関を出ると、向かいの家の前に自転車が止まっていた。
若い男が、チェーンを直している。
「周さん、おはようございます」
「おはよう」
「これ、また外れたんですよ」
男は手を黒くしながらチェーンを戻していた。
「自分で直せるのか?」
「前に父親に教えてもらいました」
「そうか」
「父親は、俺が自分でやると遅いって言うんですけどね」
「手伝ってもらわないのか?」
「最初はそう思ったんですけど、最近は自分でやってます」
周は頷いた。
男は工具を置き、チェーンを回した。
今度はうまく動いた。
「できた」
「よかったな」
「ありがとうございます」
周はそのまま市場へ向かった。
途中の交差点で、昔からある靴屋の前を通った。
店先に「営業時間変更」の紙が貼ってある。
朝九時からだったものが、十時からになっていた。
店の中には誰もいなかった。
周は立ち止まって紙を見た。
以前は朝から店主が店を開けていた。
最近は昼になっても閉まっていることがある。
それでも、店がなくなったわけではない。
周はそのまま歩いた。
市場では、いつもの店に人が並んでいた。
魚を買う人、野菜を選ぶ人、店員と話している人。
周は豆腐と白菜を買った。
魚売り場の前で少し迷ったが、今日は買わなかった。
家に帰ると、劉が洗濯物を取り込んでいた。
「今日は魚なし?」
「まだ帰ってくるか分からないからな」
「明日には分かるって言ってたよね」
「そう」
「じゃあ、明日だね」
昼食を食べたあと、周は古い扇風機を出した。
去年から音が少し大きくなっている。
スイッチを入れると、
「カタカタ」
と音がした。
劉が振り返った。
「それ、まだ使うの?」
「動くからな」
「壊れる前に買い替えたら?」
「壊れてから考える」
「あなた、何でもそうだね」
「そうか?」
「そうだよ」
劉は笑った。
午後になって、電話が鳴った。
息子だった。
「明日の仕事、少し遅くなりそう」
「そうか」
「だから、帰れるとしても夜になる」
「分かった」
「それでも帰るつもり」
周は少し間を置いた。
「無理しなくていいぞ」
「うん。無理そうだったらまた連絡する」
「分かった」
電話を切った。
劉がすぐに聞いた。
「帰ってくるの?」
「夜になるかもしれないって」
「何時?」
「まだ分からない」
劉は冷蔵庫を開けた。
「じゃあ、魚は明日買おうか」
「そうだな」
「もし帰ってこなかったら?」
「そのときは二人で食べればいい」
劉は少し考えてから、
「それもそうだね」
と言った。
夕方、周は庭の水やりをした。
雨が続いていたので、今日は少しだけだった。
名前の分からない植物は、以前よりも茎が太くなっている。
近くを見ると、小さなつぼみのようなものが一つできていた。
周は顔を近づけた。
「これ、花かな」
後ろから劉が来た。
「どれ?」
「これ」
「本当だ」
二人でしばらく見ていた。
「何色になるかな」
「まだ分からない」
「またそれ」
劉は笑った。
周も笑った。
夜になって、息子から短いメッセージが届いた。
「明日、帰る。たぶん九時過ぎ」
周は、
「分かった。気をつけて」
と返した。
そのあと、少し考えてから、
「魚は明日買う」
と送った。
しばらくして、
「ありがとう」
と返ってきた。
周はスマートフォンを机の上に置いた。
劉は隣でテレビを見ている。
「帰ってくるって?」
「うん」
「何時?」
「九時過ぎ」
「じゃあ、明日の夕方に買い物に行こう」
「そうしよう」
特別な話はそれ以上なかった。
周はテレビを見ながら、明日のことを少し考えた。
魚を買う。
ご飯を炊く。
息子が帰ってくる。
食べ終わったら、また仕事の話をするかもしれない。
しないかもしれない。
それでいいと思った。
夜が深くなり、周は庭の戸締まりを確認した。
つぼみは暗くて見えなかった。
朝になれば、また見える。
周は電気を消して、家の中へ戻った。




