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家にいる人  作者: 亀


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第一百零五章 それぞれの帰り道

六月に入ると、朝から蒸し暑い日が増えた。


周は庭へ出ると、最初に窓を開けた。


風はほとんどない。


名前の分からない植物は、先月よりも葉を増やしている。


支柱は少し曲がっているが、まだ倒れていなかった。


周は土をならし、伸びすぎた枝を一本だけ支え直した。


「暑くなってきたね」


劉が玄関から言った。


「そうだな」


「今年は早い気がする」


「毎年言ってる」


「そう?」


「去年も言ってた」


劉は笑った。


朝食を食べたあと、周は町へ出た。


駅の近くまで歩いていると、昔の知り合いの李に会った。


李は自転車を押していた。


「周さん、久しぶり」


「久しぶりだな」


「最近、どう?」


「普通だよ。李さんは?」


「仕事を辞めた」


周は少し驚いた。


「そうか」


「先月で終わった」


「次は?」


「まだ決まってない」


李は笑った。


「また『まだ決まってない』だよ」


「何か探してるのか?」


「探してる。いくつか見てるけど、まだ決めてない」


「そうか」


李は自転車のハンドルを握り直した。


「家では、早く決めろって言われるけどね」


「家にいると、そう言われるだろうな」


「そうなんだよ」


二人は駅前のベンチに座った。


李はスマートフォンを取り出した。


「昨日、二つ面接があった」


「どうだった?」


「一つは給料が低かった。もう一つは夜勤が多かった」


「それなら、すぐ決めなくてもいいな」


「そう思ってる」


李は少し笑った。


「でも、何もしないでいるわけじゃないんだよ」


「分かってる」


「それを家では説明するのが面倒でさ」


周は何も言わなかった。


しばらくして李が、


「周さんは、仕事を辞めた息子が家にいたら、どうする?」


と聞いた。


周は少し考えた。


「昔の俺なら、次を決めてから辞めろって言ってただろうな」


「今なら?」


「まず、本人がどうしたいか聞く」


「それだけ?」


「それだけじゃない。生活に困ってるなら、できることを考える」


李は頷いた。


「なるほど」


「でも、代わりに仕事を決めることはしない」


「そこまでできる親は少ないよ」


周は笑った。


「俺も昔はできなかった」


李は自転車を見た。


「親って、子どもが何かしてない時間を見ると、不安になるのかな」


「たぶんな」


「仕事してる、学校に行ってる、結婚してる。そういうのが見えてると安心する」


周は少し考えた。


「見えてるものがあると、分かった気になるからな」


李は頷いた。


「でも、実際に何を考えてるかは分からない」


「そういうことだ」


駅前を人が行き交っていた。


学生が何人か笑いながら通り過ぎていく。


スーツ姿の人もいる。


買い物袋を持った年配の女性もいる。


李は立ち上がった。


「じゃあ、俺、もう一件見てくる」


「気をつけて」


「また会ったら話そう」


「ああ」


李は自転車に乗って、駅とは反対方向へ走っていった。


周はしばらくその背中を見ていた。


家に戻ると、劉が昼食を作っていた。


「今日は遅かったね」


「李さんに会った」


「仕事辞めた人?」


「そう」


「次、決まった?」


「まだ」


劉は少し驚いた。


「また?」


「そういう人もいる」


「大丈夫なのかな」


「本人が探してるって言ってた」


「それならいいけど」


劉は鍋の火を弱くした。


「昔なら、心配して何か言ってたよね」


「今も心配はするよ」


「でも言わない」


「必要なときは言う」


劉は少し笑った。


「その『必要なとき』が難しいんじゃない?」


「そうだな」


午後、近所の子どもが庭の前を通った。


自転車に乗っていたが、途中で止まった。


「周さん、この前の植物、何?」


「分からない」


「知らないの?」


「知らない」


子どもは植物をしばらく見た。


「じゃあ、名前つければ?」


「何て名前?」


子どもは考えた。


「分からない」


周は笑った。


「じゃあ、今のままでいいな」


子どもも笑って、自転車に乗って行った。


夕方、息子から連絡が来た。


「来週の予定、まだ分からない」


周は、


「分かった」


と返した。


少しして、また届いた。


「決まったら連絡する」


「うん」


それだけだった。


夕食のあと、劉が聞いた。


「来週、帰ってくるかもしれないんだっけ?」


「まだ分からない」


「そう」


劉は冷蔵庫を開けた。


「魚は?」


「まだ買わなくていい」


「分かった」


今度は、劉も笑った。


「二人とも同じこと言うようになったね」


「何が?」


「まだ分からない、って」


周も笑った。


夜になり、周は庭へ出た。


昼間より涼しくなっていた。


植物の葉が、風に揺れている。


周は支柱に手を触れた。


少し曲がっている。


直そうと思ったが、今日はやめた。


まだ倒れてはいない。


そのままでも、しばらくは持ちそうだった。


周は家の中へ戻った。


台所では、劉が明日の朝の米を準備している。


息子がいつ帰ってくるのかは、まだ分からない。


李が次にどんな仕事を選ぶのかも分からない。


隣の家の若い男の父親が、今の仕事をどれくらい続けるのかも分からない。


けれど、それぞれの人が、それぞれの場所で一日を過ごしている。


決まっていないことがあるからといって、生活まで止まるわけではない。


周はそう思いながら、明日の米を量る劉の手元を見ていた。


「明日は何時に起きる?」


「いつも通り」


「そうか」


外はもう暗かった。


明日のことは、明日になってから考えればいい。


周はそう思い、玄関の戸を閉めた。

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