08_6話 村の日々
水車の修理から三日が経った。
「リョウ、そっちの鍬を取ってくれ」
「これですか?」
「違う違う。そいつは鋤だ。隣のだよ」
「ああ、こっちか」
柏木遼は壁に立てかけられた農具を持ち上げ、弥平に手渡した。村に来てからというもの、こんなやり取りが何度も続いている。鍬、鋤、鎌、唐鍬。名前くらいは知っていたが、実物を前にすると区別がつかないものも多い。まして用途や扱い方となれば、ほとんど素人だった。
「お前、本当に道具を直す仕事をしてたのか?」
「農具は専門外なんですよ」
「まあ、世の中いろんな仕事があるからな」
弥平は笑いながら鍬の柄を確かめた。
水車を直した日、遼は源蔵から正式に村での滞在を許された。住まいはこれまでと同じ村外れの小屋。食事は村で用意してもらい、その代わりに弥平たちの仕事を手伝うという取り決めだ。
もっとも、遼にできる仕事は限られていた。工具を扱うことには慣れているが、農業経験はない。木工も金属加工も基礎知識がある程度で、実際の作業となると勝手が違う。
何より、身体が思うように動かなかった。
「よし、次は畑だ。来い」
「畑ですか?」
「草取りだ。お前にも手伝ってもらう」
それなら自分にもできるだろう。遼は軽い気持ちで頷いた。その考えが甘かったと気づいたのは、作業を始めて三十分ほど経った頃だった。
「腰が……」
「何だ、もうへばったのか?」
「これ、ずっと中腰なんですか?」
「そりゃ草は地面に生えてるからな」
「ですよね……」
弥平は平然と作業を続けている。隣では年配の女性が、遼の倍近い速さで草を抜いていた。
長期間の休眠で衰えた身体は、まだ十分に回復していない。どうやら、この村で一番体力がないのは自分らしい。
「無理するなよ。倒れられたら困る」
弥平に促され、遼は畑の脇に腰を下ろした。
水を飲みながら、周囲を見渡す。
遠くまで田畑が広がり、牛が荷車を引いている。田へ水を引くための水路には木製の堰が設けられ、農具も用途に応じて作り分けられていた。
トラクターもコンバインもないが、ここには長い時間をかけて積み重ねられた知恵がある。
「兄ちゃん、また休んでる!」
冬馬が畦道を走ってきた。
「またって何だよ。今日初めてだぞ」
「昨日も座ってたじゃん!」
「昨日は休憩だ」
「今日も休憩じゃん!」
「うるさいな。お前も草取り手伝えよ」
「やだ!」
即答して走り去った冬馬は、数歩先で畦道の窪みに足を取られ、派手に転んだ。
「ほら言わんこっちゃない」
「いてて……」
泥のついた膝を払いながら立ち上がる冬馬を見て、遼は呆れながらも笑ってしまった。
村での暮らしは、そんな調子で始まった。
◇
一週間ほど経った頃、弥平が遼を鍛冶場へ連れていった。村の端に建つ小さな作業場には炉があり、壁には大小さまざまな金槌や火箸が並んでいた。炉の前では、日に焼けた腕の太い男が赤く熱した鉄を叩いている。カン、カン、と乾いた音が響いた。
「源吉、頼んでた鍬はどうだ?」
「もう少しだ。そいつが例の水車を直した男か?」
「ああ、リョウだ」
「柏木遼です。よろしくお願いします」
「源吉だ。弥平から話は聞いてる」
源吉は遼を眺め、作業台から一本の鍬を取り上げた。
「お前、道具に詳しいんだってな。こいつはどうだ?」
鍬の刃先が大きく曲がっていた。よく見ると、付け根付近には細い亀裂も入っている。
「どこかに強く当てたんですか?」
「畑の石に引っかけたらしい。無理にこじって、この有様だ」
遼は鍬を受け取り、曲がった部分を観察した。
「ここ、割れかけてますね。このまま曲げ戻すと折れるかもしれません」
「だろうな。だから火に入れる」
源吉は鍬を受け取り、炉へ差し込んだ。鞴を動かすと炭が赤く輝き、熱気が遼の頬を撫でる。やがて鉄が赤くなり、源吉はそれを金床の上に置いた。金槌が振り下ろされる。叩かれるたびに、鉄の形が少しずつ変わっていく。
「すごいですね。温度計もないのに、よく加工できますね」
「オン……何だって?」
「ああ、鉄の温度を測る道具です」
「そんなものがあるのか。鉄の熱さなんざ、色を見りゃだいたい分かるぞ」
そう言って源吉は再び金槌を振るった。遼は思わず見入った。自分の知る金属加工では、材質や温度、熱処理の条件を数値で管理するのが当たり前だった。だが源吉は鉄の色や音、金槌に伝わる感触を頼りに作業している。
しばらくすると、曲がっていた刃先が元の形に戻ってきた。
「この亀裂はどうするんです?」
「割れたところを開いて、汚れを落としてから繋ぎ直す」
「繋ぎ直す?」
「ああ。鉄を十分に熱して、叩いてくっつけるんだ」
なるほど、鍛接のことか。遼は納得した。電気溶接なら経験があるが、炉と金槌だけで鉄を接合する作業は初めて見る。
「それでちゃんとくっつくんですか?」
「当たり前だ。まあ、下手な奴がやりゃすぐ割れるがな」
源吉はそう言って再び鉄を炉に入れた。十分に熱した鉄を取り出し、金床の上で金槌を振るう。理屈は理解できても、同じことができる気はしなかった。
「こういう修理、よくするんですか?」
「ああ。鉄は高いからな。使えるうちは何度でも直す」
「鉄って、どこから来るんです?」
「山向こうの町からだ。古い鉄を持ち込む商人もいるぞ」
「古い鉄?」
「昔の遺跡から掘り出してきたやつだ。何に使ってたか分からねえものも多いが、使えるところは使う」
遼は思わず顔を上げた。
「その鉄、俺も見られますか?」
「今はねえな。手に入ったら見せてやる」
「お願いします」
源吉は不思議そうな顔をした。
「お前、変わった奴だな。壊れた道具や古い鉄ばかり気にして」
「昔からこうなんですよ」
遼は苦笑した。その後も源吉は、さまざまな農具の修理を見せてくれた。遼には不具合の原因が分かるものもあったが、実際の加工では源吉にまったく歯が立たなかった。試しに金槌を握らせてもらったものの、狙った場所にうまく当てることすらできない。
「違う。力任せに振るんじゃねえ」
「そんなに力入れてませんよ」
「だから余計に下手なんだよ」
源吉が笑い、隣で見ていた弥平まで笑い出した。
「お前、畑でも鍛冶場でも役に立たんな」
「整備ならもう少しまともに働けるんですけどね」
「なら、また水車が壊れたら頼むさ」
「壊れない方がいいでしょう」
「そりゃそうだ!」
三人で笑った。遼は金槌を源吉に返した。水車の修理でも、原因を見つけたのは自分だが、受け木を加工したのは弥平だった。ここには自分の知らない技術がいくらでもある。何でも一人でやろうとする必要はないのだろう。
◇
村の暮らしにも少しずつ慣れてきた。
朝は鶏の声で目を覚まし、食事を済ませて仕事へ向かう。
水路の掃除や農具の手入れを手伝い、弥平と水車の様子を確かめる。仕事が終われば身体を洗い、夕食を取って小屋へ戻る。
二週間、三週間と過ぎるうちに、以前のように少し歩いただけで息が切れることもなくなってきた。そして冬馬は、ほとんど毎日のように遼の仕事場へ顔を出した。
「兄ちゃん、それ何?」
「ねじ回し」
「何に使うの?」
「ねじを回すんだよ」
「ねじって何?」
「そこからか……」
ある日の午後、遼は小屋の前で工具の手入れをしていた。地下施設から持ち出した工具は、今の遼にとって数少ない財産だ。壊れたら簡単には買い替えられない。一本ずつ汚れを落としていると、冬馬が隣にしゃがみ込んだ。
「兄ちゃんの道具、変なのばっかりだな」
「便利なんだぞ、これ」
「こっちは?」
「六角レンチ」
「ろっかく?」
「六角形の穴があるねじを回す道具」
「そんなねじ、村にはないぞ」
「そうなんだよなあ」
遼は苦笑した。村で使われる道具は、木の楔や釘、縄などで固定されているものが多い。
「じゃあ、何に使うんだ?」
「いつか使うかもしれないだろ」
「使わないかもしれないじゃん」
「そういうこと言うなよ」
冬馬は声を上げて笑った。
「兄ちゃんって、昔の魔法使いみたいだな」
「魔法使い?」
「うん! 昔の人は魔法で何でも動かせたんだって!」
「何でも?」
「夜でも町が明るくて、鉄の鳥が空を飛んで、遠くの人とも話せたんだって!」
遼は手を止めた。
「それ、誰に聞いたんだ?」
「爺ちゃん!」
「魔法ねえ……」
電灯、航空機、通信設備。冬馬が話しているのは、どれも遼にとっては実在した技術だった。
「兄ちゃんも魔法使えるの?」
「いや、俺は使えないよ」
「ええっ! 道具いっぱい持ってるのに?」
「道具を使うのと魔法は違うだろ」
「でも昔の魔法使いも、道具を使ってたって爺ちゃん言ってたぞ」
「そうなのか?」
「うん。光る箱とか、勝手に動く鉄の人形とか!」
光る箱は携帯端末だろうか。鉄の人形は作業用ロボットかもしれない。遼は少し考えた。
「冬馬、その魔法の話、もっと聞かせてくれないか?」
「いいよ! でも兄ちゃんも何か面白い話して!」
「面白い話か……。じゃあ、昔は馬がいなくても走る車があったって話はどうだ?」
「車って荷車?」
「まあ、そんな感じだな」
「馬がいないのに、どうやって動くんだよ!」
「それを説明すると長くなるんだけど……」
「やっぱり魔法じゃん!」
冬馬は得意げに言った。
遼は返す言葉が見つからなかった。
◇
村に来て一か月ほどが過ぎた頃、商人がやって来た。馬に引かれた荷車には、布や塩、鉄製品などが積まれている。村で作れないものは、こうした商人を通じて手に入れるらしい。
遼もこの一か月で、少しずつ村の仕組みを理解していた。
収穫した穀物の一部は領主へ納め、残りを食料や交易に使う。貨幣も流通しているが、村の中では物々交換も珍しくない。
村人たちは周囲の土地をよく知っていた。水源や山道、危険な森の場所まで、弥平は地図なしで説明できる。ただし、遠く離れた土地となると話は別だった。
「おう、弥平。水車が直ったって聞いたぞ」
荷車から降りてきたのは、短い髭を生やした中年の男だった。
「ああ。こいつのおかげでな」
弥平が遼を指差す。
「柏木遼です」
「俺は宗助だ。あちこちの村を回って商いをしてる」
「よろしくお願いします」
遼は宗助の荷物を眺めながら尋ねた。
「この辺りの村を全部回ってるんですか?」
「全部ってわけじゃないが、顔を出す村は多いな」
「南の方にも行きます?」
「南? ああ、もちろんだ」
遼は少し身を乗り出した。
「神戸って町、知りませんか?」
「コウベ?」
宗助は首を傾げた。
「聞かねえ名だな。どの辺りだ?」
「ここから南です。昔は大きな港があった場所なんですけど」
「港か。南なら海沿いにいくつも町があるが……」
宗助は腕を組んで考えた。
「古い名かもしれんな。町の名なんざ、何代も経てば変わるからな」
「そうですか……」
「そこへ行きたいのか?」
「はい。昔、住んでいたんです」
「随分遠くから来たんだな」
「まあ、いろいろありまして」
遼は曖昧に笑った。
「南へ行くなら、まず街道を通って大きな町へ出ることだな。そこから先は道を知ってる奴を探せ」
「ここから歩いて行けますか?」
「行けるさ。ただ、簡単な旅じゃないぞ」
宗助によれば、山道は雨で崩れることもあり、野盗や獣にも注意が必要らしい。宿を取るにも食料を買うにも金が要る。
「お前さん、旅慣れてるようには見えねえな」
「全然ですね」
「なら、急がねえことだ」
宗助は笑った。
「南には昔の遺跡も多いらしい。古い石の建物や、妙な鉄の塊がそこらにあるって話だ」
「遺跡ですか?」
「ああ。昔の人間が作ったものらしいが、何に使ったのか分からねえものばかりだそうだ」
「そういう場所へ行く人もいるんですか?」
「そりゃいるさ。古い金属や珍しい品を探して売る連中だ。危ない場所ほど値打ちのあるものが残ってるって話だな」
遼は考え込んだ。
昔の世界のものが、今では商品として扱われている。だが、そこへ行けば自分の知る時代のものが残っているかもしれない。神戸の場所を確かめる手がかりだって見つかる可能性がある。
「南へ行くなら、また話を聞かせてください」
「構わねえよ。しばらくしたら、またこの村へ来る」
宗助はそう答え、弥平との商談に戻った。
遼は荷車に積まれた品物を眺めた。
食料、水、寝具、それに旅の金。
今の自分には、足りないものが多すぎた。
◇
それからさらに半月が経った。
遼の体調はかなり回復し、村での仕事にも慣れてきた。
弥平と水路を見回り、源吉の鍛冶場に顔を出す。ときには村人から壊れた道具を見てほしいと頼まれることもあった。直せないものもあったが、そういうときは弥平や源吉と相談した。村人たちも、遼を特別扱いしなくなっていた。道ですれ違えば挨拶を交わし、仕事があれば声をかけてくれる。最初は遠巻きに見ていた子供たちも、冬馬に連れられて遊びに来るようになった。
「リョウ、明日は水路の様子を見に行くぞ」
「分かりました。朝からですか?」
「ああ。冬馬も連れていく」
「またあいつ、余計なことしませんかね」
「どうせ勝手についてくる。なら目の届くところに置いといた方がましだ」
「それは確かに」
二人で笑った。夕方、遼は小屋へ戻る途中で足を止めた。田畑では人々が一日の仕事を終えようとしている。水路には静かに水が流れ、遠くでは水車が回っていた。この村でなら、暮らしていけそうだった。働く場所があり、食事があり、寝る場所もある。少しずつ知り合いも増えた。
それでも、南へ行きたいという気持ちは変わらない。
神戸。
自分が生まれ育った町。両親と暮らした家。あの場所がどうなったのか、まだ何も分かっていない。
「そろそろ、ちゃんと準備しないとな」
道も知らず、食料も金も足りない。だが、ここへ来た頃と違い、相談できる相手がいる.
まずは弥平と源蔵に話してみよう。そう決めて歩き出すと、背後から声が飛んできた。
「兄ちゃん! 明日も来るんだろ!」
振り返ると、冬馬が道の向こうで手を振っていた。
「ああ、行くよ!」
「絶対だぞ!」
「分かってるって!」
冬馬は満足そうに頷き、また走っていった。遼はその背中を見送り、小屋へ向かって歩き出した。
神戸へ行く。そのための準備を、そろそろ始めよう。
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