02_プロローグ2 眠りにつく日
警報が鳴ったのは、柏木遼が第三整備区画の床下に潜り込み、第二補助冷却系統の循環ポンプを分解している最中だった。甲高い電子音が三度響き、基地内の照明が一斉に白から赤へ切り替わる。
『全施設に緊急警報。弾道飛翔体を複数探知。近畿防空管制は迎撃フェーズへ移行しました。全要員は指定シェルター区画へ――』
「またかよ」
遼は狭い点検口の中で顔をしかめた。頭上には太い冷却配管が走り、その隣を高電圧ケーブルと光通信線が束になって伸びている。目の前では分解途中の循環ポンプが口を開けたままになっており、今回の不具合は第二補助冷却系統の流量低下だった。おそらく原因は軸受けの摩耗だ。
ここ数か月、まともな交換部品はほとんど回ってきていない。新品のベアリングは前線基地や防空施設が優先され、こうした後方支援施設へ送られてくるのは、再生品か廃棄予定機から外した中古部品ばかりだった。それでも設備は動かさなければならない。この系統が止まれば、地下施設の空調や車両整備棟の冷却設備にも影響が出る。核融合炉そのものは別系統だったが、基地内の配電や冷却設備まで、何もせず永遠に動き続けるわけではない。どれだけ技術が進んでも、壊れるものは壊れる。そして最後にそれを直すのは、結局人間だった。
「柏木!」
点検口の外から声が飛んできた。
「聞こえてるか!」
「聞こえてます!」
遼は工具を掴み、床下から這い出した。作業服の膝についた埃を払う暇もなく顔を上げると、整備班長の野口が携帯端末を片手に立っていた。
「作業中止。工具まとめろ。第二待避区画へ移動する」
「ポンプは?」
「放っとけ」
「でも、今止めたら――」
「ミサイル警報中だぞ」
その一言で遼は黙った。戦争が始まって四年。警報そのものは、もはや珍しいものではなくなっていた。敵の長距離無人機、極超音速滑空兵器、巡航ミサイル、弾道弾。時には軌道上から投下される偵察機まで飛んでくる。開戦当初は警報が鳴るたびに基地全体が緊張したが、今では近畿圏へ向かう飛翔体が探知されても、自分たちの施設が目標でなければそのまま作業を続けることすらあった。
この基地は、山中に埋め込まれた後方支援施設だった。戦略指揮所でもなければ航空基地でもない。核戦力も置かれておらず、主な仕事は車両整備、機械保全、補給、災害対応、前線へ送る物資や装備の中継だ。要するに、地味な場所だった。遼はそれを気に入っていた。
徴兵された時から、前線へだけは行きたくなかった。人を撃つ自信などないし、体力にも自信がない。適性検査で機械整備の経験を申告し、ここへ回された時には心底ほっとしたものだった。戦争が終わるまで、壊れたポンプやトラックを直していればいい。
少なくとも、そう思っていた。
『迎撃失敗を確認』
基地放送の声が変わった。廊下を歩いていた全員の足が止まる。
『大阪湾北部へ接近中の飛翔体三。神戸地区へ接近中の飛翔体一。予測着弾まで――』
そこで放送が途切れた。
「班長」
「走れ」
野口の声から余裕が消えていた。
「走れ! 全員シェルターだ!」
遼も走った。赤い非常灯の下を、人が一斉に移動していく。自律搬送車は壁際へ緊急退避し、天井を巡回していた保守ドローンは充電ポートへ戻り、防火シャッターが順番に降り始める。基地AIは人間の避難経路を確保するため、使用していない区画を次々に封鎖していた。遼の腕の端末が強く振動する。表示された文字は短かった。
《戦略級攻撃警報》
《CBRN防護レベル4》
《電磁パルス対策モード移行》
「核?」
誰かが呟いた。次の瞬間、基地全体が大きく揺れた。地震とは違う。地面そのものを巨大な槌で殴られたような衝撃が伝わり、天井の照明が一斉に消える。
「伏せろ!」
遼は反射的に頭を抱えた。遅れて、腹の底まで響く低い轟音が押し寄せる。山そのものが唸ったような音だった。数秒後、非常灯が点灯した。
「EMPか?」
「分からん!」
「外部通信死んでます!」
「衛星回線は!」
「軌道網、応答なし!」
周囲で怒鳴り声が飛び交う。遼は床から身体を起こした。耳鳴りがしているが、腕の軍用端末は生きていた。EMP遮蔽のおかげだろう。しかし基地ネットワークとの接続表示は赤く染まっている。
『外部電源喪失。系統分離を実行』
『第一非常電源、起動失敗』
『第二非常電源へ切替』
「第一が死んだ?」
遼が顔を上げた瞬間、野口に肩を掴まれた。
「今は電源より避難だ!」
「はい!」
再び走り出す。その直後、今度こそ地面が大きく揺れた。
「うわっ!」
遼は壁へ肩をぶつけた。複数の警報が一斉に重なる。
『緊急地震速報』
『推定震度六強』
『構造監視システムに異常』
『南坑道変位量、許容値超過』
「嘘だろ!」
ミサイル攻撃と地震が同時に起きている。偶然なのか、先ほどの衝撃で地盤が崩れたのか、それとも別の原因なのか。遼には分からなかった。
施設設計者でもなければ地質学者でもない。ただ一つ分かるのは、この揺れが地下施設にとって非常にまずいということだけだった。天井から砂埃が落ち、配管が軋む。遠くでは、何か巨大なものが倒れる音が響いた。
『第一避難坑道、閉塞』
『第二避難坑道、構造損傷』
『地上接続ゲート応答なし』
「出口が…」
誰かの声が震えた。さらに爆発音が響く。今度は外ではなく、施設内部だった。
『火災発生。補給区画B』
『燃料電池貯蔵庫、熱異常』
『自動消火開始』
「第三連絡路へ回れ!」
野口の怒声と同時に一行が方向を変え、遼もその後を追った。途中で鼻を刺すような臭いがした。
「何だ、これ」
化学臭。嫌な臭いだった。壁面の表示灯が黄色から赤へ変わる。
《有害物質検知》
《区域内陽圧維持不能》
「マスク!」
全員が腰の緊急装備を引き抜き、遼も簡易呼吸器を顔へ押し当てた。フィルターが作動し、視界の端に残存時間が表示される。二時間十一分。
「二時間…」
長くはない。しかも、この装備は放射性物質や化学物質を完全に防ぐためのものではなく、あくまで避難用だった。
施設の奥へ進むにつれ、人の数は減っていった。途中の防火扉が閉じ、別区画にいた者たちとは完全に分断され、通信も途切れ始める。第二非常電源の出力は三十八パーセントまで低下。地下水ポンプ停止。換気設備の一部停止。外部アンテナ応答なし。地上監視カメラ、全損。端末に表示される情報は、見るたびに悪くなっていった。
「班長」
遼は息を切らしながら野口へ声をかけた。
「これ、外に出られないんじゃ?」
野口は答えなかった。答えられなかったのだろう。やがて一行が辿り着いたのは医療区画だった。白い壁に、半分ほど消えた照明。壁際には十数基のカプセルが並んでいる。遼はそれを見たことがあった。
「ECLS…」
正式名称は《ECLS――Emergency Cryogenic Life Support(緊急低代謝休眠装置)》。
負傷者や汚染区域の要員を一時的に低代謝状態へ移行させ、救援や搬送まで生命を維持するための装置だった。俗に言う、コールドスリープ。SF映画のように何百年も眠る装置ではない。標準運用は数週間程度。長期運用でも数年が想定されている。あくまで救助が来るまでの時間を稼ぐための設備だった。
「まさか」
遼が呟く横で、野口は医療端末を操作していた。
「地上へ出られない。換気も長く持たん」
「救援は?」
「通信が死んでる」
「でも」
「非常ビーコンは独立電源だ。たぶん生きてる」
たぶん。 その一言が、ひどく怖かった。
「防災軍でも中央でもいい。基地が生きてると分かれば救援は来る。外の線量が下がってから掘り出してもらえばいい」
野口は遼たちに説明しているというより、自分自身に言い聞かせているようだった。休眠装置のステータスが端末に並ぶ。十二基中、正常稼働可能は七基。冷却系統正常。薬剤残量正常。独立蓄電池正常。主電源は施設側。バックアップ電源接続済み。そこで遼の目が止まった。
「待ってください」
「何だ」
「これ、冷却系統の二次側、基地の第二補助冷却を使ってませんか」
野口の手が止まる。二人で系統図を確認した。遼の顔から血の気が引いた。さっきまで自分が修理していた、あのポンプだった。
「流量が落ちてます」
「どれくらい持つ」
「分かりません」
「直せるか」
遼は答えられなかった。直せる可能性はある。交換予定だった軸受けはすでに外してあり、再生部品を組み込めば一時的には動かせるかもしれない。だが、そのためには第三整備区画まで戻らなければならない。崩れかけた通路を通り、有害物質警報の出ている区画を抜け、また地震が来るかもしれない中を戻る必要がある。
怖かった。本気で、行きたくなかった。
「柏木」
野口が呼ぶ。命令ではなかった。だから余計に嫌だった。遼は目を閉じ、数秒だけ黙った。
「……行きます」
自分でも、なぜそう答えたのか分からなかった。勇敢だからではない。七基の休眠装置が動けば、七人が助かる。その中には自分も入れるかもしれない。それだけだった。
「一人じゃ行かせん」
「班長はここに残ってください。医療装置の起動、やったことないでしょう」
「お前もないだろ」
「整備マニュアルなら読めます」
「俺だって読める」
こんな状況なのに、少しだけ笑いそうになった。結局、遼は一人で戻ることになった。野口には医療区画へ残ってもらい、呼吸器の残り時間を確認する。一時間三十二分。
非常灯だけが点いた通路を進む。何度も足が止まった。怖かった。崩れた区画を迂回し、非常解除レバーで防火扉を開け、ようやく第三整備区画へ戻った時には、全身が汗で濡れていた。問題のポンプは完全に停止していた。
「頼むぞ」
誰に言ったのか、自分でも分からない。遼は工具を握った。分解して状態を確認し、摩耗した軸受けを再生部品へ交換する。芯を合わせ、手動で潤滑し、ケーシングを戻して絶縁を確認する。バイパス弁を開き、手動起動。一度目は失敗した。
「くそ!」
警報表示を見る。
《呼吸器残量三十一分》
二度目も回らない。モーター側ではない。遼は歯を食いしばり、再びカバーを開けた。シャフトが噛んでいる。変形していた。
「こんなの」
本来なら交換だ。だが新品のシャフトなどない。遼は工具箱をひっくり返し、使えそうなスペーサーとシム、ヤスリ、手動プレスを引っ張り出した。完全に直す必要はない。新品同様に戻す必要もない。とにかく動けばいい。救援が来るまで。数日。長くても数週間。それだけ持てばいい。
三度目の起動。ポンプが小さく震えた。
「回れ…」
低い唸りが響く。
「回れ!」
流量計の数字が上がった。
二十二。
三十一。
四十六。
規定値には届かない。それでも休眠装置の最低要求流量は超えた。
「よし!」
遼はその場へ座り込みそうになった。だが、まだ終わっていない。医療区画へ戻らなければならない。途中で再び大きな揺れが来た。天井の一部が崩れ、遼は右肩を強く打った。
「いっ!」
痛みに顔をしかめる。それでも立ち上がった。ようやく医療区画へ戻った時には、呼吸器の残り時間が七分を切っていた。
「柏木!」
野口が駆け寄ってくる。
「動きました!最低流量は出てます」
「よくやった!」
「長くは持たないです」
「救援まで持てばいい!」
また、その言葉だった。救援まで。七基のカプセルが順番に起動していく。一人ずつ中へ入り、薬剤が注入され、体温が下げられ、代謝が抑制されていく。最後に残ったのは遼だった。
「班長は?」
野口は首を振った。
「六番機、エラーだ」
「直します」
「もう時間がない」
「でも――」
「柏木」
野口は遼の肩を掴んだ。
「入れ」
「班長」
「お前が直したんだろ」
野口は笑った。
「だったら、お前が使え」
遼は何も言えなかった。警報が鳴る。換気系統停止まで十二分。
「救援が来たら起こしてやる」
「絶対ですよ」
「ああ」
それが本当に守れる約束なのかは、二人とも分かっていなかった。それでも遼はカプセルへ入った。透明なカバーが閉じる。
『ECLS七号機、起動します』
『予定休眠期間、未設定』
『外部救難信号を監視』
『自動覚醒条件――救援信号受信、外部環境安全確認、電力低下、医療異常』
透明なカバー越しに、野口が何かを言っている。もう声は聞こえない。腕に冷たい感覚が走り、薬剤が体内へ入ってくる。視界が少しずつぼやけていった。怖かった。このまま死ぬのではないかと思った。それでも、遼は自分に言い聞かせる。数日だ。長くても数週間。戦争が続いていても、地下基地一つくらいなら救援は来る。日本の行政も、軍も、通信網も、まだ残っている。
そう信じていた。最後に見えたのは、赤い非常灯だった。その光が滲み、やがて闇へ溶けていく。柏木遼は眠りについた。救援信号は、その後もしばらく送信され続けた。
一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一か月が過ぎても、救援は来なかった。やがて基地の通信設備は沈黙し、地上への通路は土砂に埋まり、施設そのものが世界から忘れられていった。電源は失われ、残された設備も一つずつ停止していく。本来なら、休眠装置もそこで終わるはずだった。だが、七号機だけは止まらなかった。
お読みいただきありがとうございます。
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