01_プロローグ1 昔話
初投稿です。
長期間コールドスリープされていた、元整備士の青年の物語です。
よろしくお願いします。
「今日は何のお話がいい?」
母親が尋ねると、娘は毛布の中で少し考え、枕元に置かれた古い絵本を指差した。
「昔の世界のお話がいい!」
「またそれ?」
「うん!」
母親は笑って絵本を手に取った。何度も読み聞かせてきた本で、紙は黄ばみ、表紙も擦り切れている。それでも娘は、この話だけは何度聞いても飽きなかった。
母親は寝台の縁に腰掛け、最初の頁を開く。
「ずっとずっと昔。人々はとても豊かな世界に暮らしていました」
挿絵には、空へ伸びる巨大な建物と、どこまでも続く広い道が描かれている。
「町では夜になっても昼のように明るかったそうです。火を焚かなくても、家も道も、町じゅうが光っていたんですって」
「魔法?」
「そうね。昔はたくさんの魔法で溢れていたの」
娘は嬉しそうに頁を覗き込んだ。次の絵には、大きな翼を持ったものが雲の上を飛んでいる。
「空には、鉄でできた鳥が飛んでいました。その中にはたくさんの人が乗れて、海の向こうまで一日のうちに行けたそうよ」
「鉄なのに?」
「鉄なのに」
「それも魔法?」
「きっとね」
娘はますます目を輝かせる。母親は次の頁をめくった。今度は星空だった。
「それから昔の人は、空よりもっと高いところへ行くこともできました。月まで渡った人もいたと言われています」
「月に?」
「そう。大きな船に乗って、星の間を進んだんですって」
娘は思わず窓の外を見た。夜空には、白い月が浮かんでいる。
「月にも人がいるの?」
「今もいるかは、お母さんにも分からないわ」
「いたら、こっち見てるかな」
「どうでしょうね」
娘は毛布から手を出し、窓の向こうへ小さく振った。
「こんばんはー」
母親は思わず笑った。
「昔の人って、すごかったんだね」
「そうね。魔法使いがたくさんいて、とても豊かな時代だったそうよ」
母親はそう答えながら、次の頁へ手をかけた。そこで、絵本の色が変わる。明るい町も、青い空もない。黒い煙と、燃え上がる町が描かれていた。
「でも、昔の人たちは戦争を始めました」
娘の笑顔が消えた。
「どうして?」
「いろいろな国が争ったそうよ。でも、何のために始まったのか、今ではもうよく分からないの」
戦争は長く続いた。空を飛ぶ魔法も、遠くへ物を運ぶ魔法も、人々を豊かにしていた力も、やがて戦いのために使われるようになった。そして最後には、人々は最も恐ろしい魔法を使った。
「地上へ、太陽を落としたの」
「太陽?」
「本当の太陽じゃないわ。でも、太陽みたいに眩しくて、町を丸ごと焼いてしまうほど大きな火だったそうよ」
娘はしばらく絵本を見つめていた。
「そんなことしたら、お家なくなるよ」
「そうね」
「田んぼも?」
「なくなったところも、たくさんあったでしょうね」
「じゃあ、なんで使ったの?」
母親は少し困ったように笑った。
「それは、お母さんにも分からないわ」
次の頁には、森に埋もれた町と、崩れた建物が描かれていた。
「戦争のあとも、大地が揺れたり、海が町を飲み込んだりして、世界は少しずつ姿を変えていきました。道には草が生え、町には木が育って、たくさんあった魔法も少しずつ失われていったの」
「魔法、なくなったの?」
「ほとんどはね」
「全部じゃない?」
「昔の遺跡には、今でも残っているものがあるでしょう?」
娘はすぐに窓の向こうの山を思い出したらしい。
「あの灰色のやつ?」
「そうかもしれないわね」
森の中に残る巨大な柱も、山を貫く穴も、ときおり土の中から掘り出される不思議な金属も、昔の魔法の名残だと言われている。何のために作られたのか、今ではもう誰にも分からない。
「それで、人はどうなったの?」
「みんないなくなったわけじゃないわ」
母親は最後の頁を開いた。そこには田畑と村、その向こうに城壁で囲まれた町が描かれている。
「生き残った人たちは、また田畑を作って、家を建てて、村を作りました。子供が生まれて、その子供にもまた子供が生まれて……長い時間をかけて、今の国や町ができたの」
「じゃあ、私たちも昔の魔法使いの子供?」
「ずっとずっと遠い子供ね」
娘は少し考えてから、嬉しそうに笑った。
「じゃあ私も魔法使えるかも」
「まずは一人で厠に行けるようになってからね」
「それとこれとは別!」
娘が頬を膨らませた直後、大きなあくびをした。
「ほら、もう眠いでしょう」
「眠くないもん……」
「続きは明日ね」
母親が毛布を掛け直すと、娘はまだ何か言いたそうにしながらも、すぐに目を閉じた。
「おやすみ」
「おやすみ……」
ほどなくして、小さな寝息が聞こえ始める。母親は油灯の火を弱め、絵本を枕元へ戻した。窓の外には月明かりを映した水田が広がり、その向こうの山から、森に埋もれた灰色の構造物がわずかに姿を覗かせている。
空を飛び、月へ渡り、夜を昼のように照らした魔法の時代。今ではもう、子供に聞かせる昔話の中にしか残っていない。すべて、遠い昔に終わったことだった。
お読みいただきありがとうございます。
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