19_7話 山の番人
山の麓に着いたところで、宗一が足を止めた。
「さて、ここから先が問題の山だ」
見上げた山は、どこにでもありそうな緑豊かな山だった。木々が生い茂り、鳥の鳴き声も聞こえてくる。呪われた山などと呼ばれているとは、とても思えない。
「見た目は普通の山ですね」
「だからって油断するなよ。この先は何が出てくるか分からねえ。リョウ、俺たちから離れるなよ」
「はい。よろしくお願いします」
「特に魔法生物を見つけても、勝手に近づくんじゃねえぞ」
「分かってますって」
遼が苦笑すると、隣にいた六助がその肩を軽く叩いた。
「まあ、俺たちがついてるんだ。安心しな!」
「お前も油断するなよ、六助」
千代に注意され、六助は笑いながら頷いた。
出発前に装備を確認する。宗一たちはそれぞれ武器を携え、荷物も必要最低限にまとめていた。遼も工具や食料を入れた鞄を背負い、外套の襟元を整えた。
「そういやリョウ、今日はいつもと服が違うな」
颯太が外套の隙間からのぞく服に目を留めた。
「ああ、昔の仕事着を持ってきたんです。結構丈夫なので」
外套の下に着込んでいるのは、軍にいた頃の作業着だった。防刃性や耐衝撃性に優れた繊維で作られており、普通の衣服よりは多少の防御力が期待できる。
胸には所属と階級を示す隊員章が縫い付けられていた。
コールドスリープから目覚めた後も手元に残っていた、数少ない昔の持ち物の一つだ。
「へえ、変わった布だな。随分しっかりしてる」
「まあ、仕事中に怪我しないように作られてますから」
「いいなあ。俺にも一着くれよ」
「一着しか持ってないんですよ」
そんな話をしていると、宗一が振り返った。
「おしゃべりはそこまでだ。行くぞ」
こうして一行は山道へ足を踏み入れた。
◇
山道は想像以上に歩きにくかった。
かつて道だったと思われる場所には木々が生え、地面には大小の石が転がっている。ところどころに古い舗装の跡が残っているものの、ひび割れた隙間から植物が伸び、元の形はほとんど分からなかった。
「リョウ、そこは踏むな。右から回れ」
「はい!」
宗一の指示に従って足を運ぶ。
言われた場所をよく見ると、落ち葉の下に大きな亀裂が隠れていた。気づかず踏み込んでいれば、足を取られていたかもしれない。
先頭を歩く颯太は、時折足を止めて周囲を確認していた。木の枝を避け、地面の状態を調べ、安全な道を選んで進んでいく。
六助は大きな身体に似合わず、危険な足場でも器用に歩いていた。
「おっと!」
遼が濡れた岩に足を滑らせると、すぐ後ろにいた六助が腕を掴んで支えてくれた。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます。いやあ、情けないですね」
「慣れてなきゃこんなもんだ。無理すんなよ」
遼は礼を言い、足元を確かめながら歩き出した。
しばらく進んだところで、宗一が休憩を指示した。
倒木に腰掛けて水を飲む。遼が息を整えている間も、四人は周囲の様子を確認していた。
「皆さん、こういう場所にはよく来るんですか?」
「まあな。ここまで厄介な場所はそうそうねえが、道のない山を歩くのは慣れたもんだ」
宗一はそう答えながら、颯太の方へ目を向けた。
「どうだ?」
「今のところ変わったものはない。ただ、もう少し先から地面の様子が変わってる。気をつけた方がいいな」
「分かった。少し間隔を詰めて進もう」
何気ない会話だったが、遼には彼らの経験の深さが感じられた。
普段は冗談ばかり言っている颯太も、今は表情が引き締まっている。
(やっぱり、プロだなあ)
自分一人なら、とうに道に迷っていただろう。
改めて四人の頼もしさを感じながら、遼は立ち上がった。
◇
それから一時間ほど進んだ頃だった。
先頭の颯太が突然片手を上げた。
全員が足を止める。
「どうした?」
「静かに。何か聞こえる」
宗一が素早く周囲を見回し、近くの岩陰を指した。
一行は身を低くして移動する。
遼も耳を澄ませた。
最初は風に揺れる木々の音しか聞こえなかった。しかし、しばらくすると、その奥に低い唸りのような音が混じっていることに気づいた。
一定の間隔で強弱を繰り返す、独特の駆動音。
(モーターの音だ)
遼には聞き覚えがあった。
音は次第に近づいてくる。
やがて、木々の向こうで何かが動いた。
灰色の金属製の物体が、岩の上をゆっくりと移動している。
高さは大人の腰ほど。扁平な楕円形の胴体から八本の細長い脚が伸び、それぞれの関節を器用に動かしながら、不安定な岩場を進んでいた。
表面は汚れ、ところどころに苔のようなものが付着している。
胴体前面には複数の小さなセンサーが並び、その中央で赤い光が点滅していた。
「……出やがった」
宗一が小声でつぶやいた。
「あれが魔法生物だ。リョウ、見えるか?」
「はい」
遼は思わず身を乗り出しかけた。
(やっぱり警備ロボットだ!)
軍の施設で使用されていた自律型警備機に似ている。
八本脚による不整地走行と、周囲を監視するセンサー群。山岳施設の警備用としては理にかなった設計だった。
もっと近くで確認したいところだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「動くなよ。あいつらは目がいい」
宗一の言葉に、遼は慌てて頭を引っ込めた。
警備ロボットは岩の上で一度停止した。
前面のセンサーがゆっくりと左右に動く。
遼は息を殺した。
しばらくすると、ロボットは再び歩き始め、木々の向こうへ姿を消した。
駆動音が遠ざかっていく。
「……行ったか」
宗一が慎重に岩陰から顔を出す。
「今のうちに進むぞ。颯太、別の道を探してくれ」
「了解」
一行は警備ロボットの進んだ方向を避け、山腹を回り込むように進んだ。
その後も何度か遠くから駆動音が聞こえたが、宗一たちの判断で接触を避けることができた。
遼は移動しながら、先ほど見た機体について考えていた。
(あれだけ古いのに、よく動いてるな)
外装はかなり傷んでいたが、脚の動きは思った以上に滑らかだった。
多少の異音はあったものの、致命的な故障は起きていないように見える。
旧世界の技術力に、今さらながら感心してしまった。
◇
山頂に近づくにつれ、周囲には人工物が増えてきた。
地面から突き出した金属製の支柱。木々に絡みつく古いフェンス。苔に覆われたコンクリートの壁。
そして、木々の隙間から巨大な鉄塔が見え始めた。
「あれか……」
遼は思わず声を漏らした。
細い鉄骨を組み合わせた塔が、山頂近くにそびえている。途中にはいくつもの設備が取り付けられていたが、その大半は植物に覆われていた。
それでも、塔そのものは今も形を保っている。
(間違いない。通信施設だ)
遼は昔の記憶をたどった。
自分が勤務していた施設とは違うが、軍用の通信基地なら似たような構造のものを見たことがある。
「リョウ、何か分かるか?」
「ええ。たぶん、あの塔は通信に使う設備ですね」
「通信?」
「遠くの人と連絡を取るためのものです。詳しくは近くで見ないと分かりませんけど」
「なるほどな。じゃあ、もう少し近づいてみるか」
宗一は周囲を見回した。
正面には崩れたフェンスがあり、その奥に建物らしいものが見える。だが、開けた場所を通れば、警備ロボットに発見される可能性が高い。
「右から回ろう。あっちなら木が多い」
颯太の提案に従い、一行は斜面沿いに進んだ。
そのときだった。
ピッ。
小さな電子音が響いた。
「え?」
遼が足を止める。
すぐ近くの倒れた支柱に、小さな黒い半球状の装置が取り付けられていた。
表面は土と苔に覆われているが、その中央で赤い光が点滅している。
(監視センサー?)
そう思った瞬間、装置から警告音が鳴り始めた。
『警告。制限区域への侵入を検知』
「まずい!」
遼が声を上げるより早く、宗一が叫んだ。
「全員、戻れ!」
一行は来た道へ引き返そうとした。
しかし、背後の茂みから聞き覚えのある駆動音が響いた。
金属製の脚が地面を叩き、灰色の機体が姿を現す。
一体ではない。
二体の警備ロボットが、道を塞ぐように立っていた。
「くそっ! 左だ!」
宗一の指示で斜面へ向かおうとしたところ、今度は上方の岩場から別の機体が現れた。
さらに右手の茂みが揺れる。
一体、また一体。
気がつけば、五体の警備ロボットが一行を取り囲んでいた。
「……冗談だろ」
颯太の声が震える。
警備ロボットたちは一定の距離を保ちながら、じりじりと包囲を狭めてくる。
宗一が剣を抜き、六助も大きな武器を構えた。
「千代、リョウを守れ!」
「分かった!」
千代が遼の前に立つ。
その間にも、警備ロボットの胴体下部から小さな武装がせり出してきた。
五体の赤いセンサーが、一斉にこちらを向く。
『警告。未確認侵入者五名。ここは軍の立入制限区域です。直ちに行動を停止してください』
『警告。武装を確認。直ちに解除してください』
『警告。指示に従わない場合、武力を行使します』
機械的な音声が次々と響いた。
宗一たちには意味が分からないらしい。だが武器を向けられていることは明らかだった。
「宗一さん、まずいです。武装解除しないと攻撃してきます!」
「武器を捨てたらそのままやられちまうだろ!何とか突破するぞ!」
宗一が周囲を見回す。
しかし、逃げ道はすべて塞がれていた。
一体でも厄介な相手が五体。
まともに戦えば、無事では済まないだろう。
遼の背中を冷たい汗が伝った。
(どうする?なんとかしないと!)
ふと、ある可能性が頭をよぎった。
あのロボットたちが今も軍の命令に従っているのなら、保全要員だった自分の身分が通用するかもしれない。
しかし、認証情報が残っている保証はないし、所属する部隊が違えば拒否されることもある。
今の機体が正常に判断できる状態なのかも分からなかった。
『最終警告。侵入者は直ちに行動を停止してください』
警備ロボットの武装が動いた。
もう迷っている時間はなかった。
「待て!」
遼は千代の横をすり抜け、前に出た。
「リョウ!何してる!」
宗一の怒声が飛ぶ。
それでも遼は止まらなかった。
外套を大きく開き、胸元の隊員章を見せる。
「関西方面軍第3師団、丹波地区支援施設保全班所属!2等陸曹、柏木遼!」
声が上ずりそうになるのを必死に抑え、続けて隊員識別番号を告げた。
「施設の点検、整備のために来ました!認証をお願いします!」
警備ロボットの動きが止まった。
先頭の一体が胴体を持ち上げ、遼へセンサーを向ける。
『認証要求を受信』
赤い光が胸元を照らした。
『隊員章を走査中……』
遼はその場に立ち尽くした。
心臓が激しく脈打っている。
(頼む。通ってくれ!)
長い沈黙が続いた。
実際には数秒だったのかもしれないが、遼には何分にも感じられた。
やがて、機体から電子音が鳴った。
『認証完了』
遼は息を呑んだ。
『正規保全要員を確認しました。警戒態勢を解除します』
先頭の機体が武装を収納した。
続いて、周囲の四体も次々と武装を収めていく。
赤く光っていたセンサーが、穏やかな青白い光に変わった。
『保全要員の施設内立ち入りを許可します』
「……助かった」
遼は大きく息を吐いた。
膝から力が抜けそうになる。
こんなに怖い思いをしたのは、地下基地が攻撃されたあの日以来かもしれない。
少なくとも、もう二度と経験したくなかった。
「お、おい……」
背後から宗一の声が聞こえた。
「リョウ、今、何をした?」
「ああ、ええと……」
遼が振り返ろうとした、そのときだった。
『保全要員を確認。整備を要請します』
「え?」
先頭の警備ロボットが遼に近づいてきた。
八本の脚を器用に動かし、目の前で停止する。
『右第三脚、駆動系異常。点検を要請します』
そう告げると、右側の脚を一本持ち上げた。
関節部分から、かすかな異音が聞こえている。
「ああ、確かにちょっと音が変だな……」
遼が思わず覗き込む。
すると、横から別の機体が割り込んできた。
『定期点検期限を超過しています。整備を要請します』
「え、そっちも?」
『左第二脚、動作精度低下。調整を要請します』
今度は後ろから三体目が近づいてきた。
『外装損傷を検知。補修を要請します』
『光学センサー感度低下。清掃を要請します』
次々と不具合の報告が始まった。
「ちょ、ちょっと待って!」
遼が慌てて両手を上げる。
しかし、警備ロボットたちは構わず近づいてくる。
一体は脚を持ち上げ、別の一体は胴体の点検パネルを開いた。さらにもう一体が遼の足元まで寄ってきて、何度も電子音を鳴らしている。
気がつけば、五体すべてが遼の周囲に集まっていた。
「分かった!分かったから!順番に見るって!押すな!」
長い間、整備担当者が訪れなかったのだろう。
それぞれの機体には、大小さまざまな不具合が蓄積しているらしい。
遼は目の前で脚を持ち上げている機体を見た。
関節の隙間には泥が詰まり、外装もかなり傷んでいる。
「うわあ、こりゃひどいな。よく今まで動いてたよ」
整備士としては、放っておけない状態だった。
とはいえ、五体同時に面倒を見るのは無理がある。
「とりあえず、そこに並んで」
『指示を受領』
意外にも、ロボットたちは素直に従った。
五体が遼の正面に移動し、横一列に並ぶ。
「おお、よくできました」
遼はほっとして笑った。
その背後では、宗一たち四人が呆然と立ち尽くしていた。
「……なあ」
颯太が口を開く。
「あいつら、リョウになついてないか?」
「……そう見えるな」
六助が頷いた。
「魔法生物って、なつくもんなのか?」
「そんな話、聞いたことないですね」
千代も困惑した様子で答える。
つい先ほどまで自分たちを殺そうとしていた魔法生物が、今は遼の前におとなしく並んでいる。
しかも、何かを訴えるように脚を持ち上げたり、胴体を傾けたりしているのだ。
どう見ても、飼い主に甘える動物のようだった。
宗一はしばらくその光景を眺めていたが、やがてゆっくりと遼に近づいた。
「……リョウ」
「はい?」
「お前、いったい何者なんだ?」
遼は五体の警備ロボットを見回し、それから困ったように笑った。
「いや、ただの整備士ですけど……」
宗一たちは、誰一人として納得しなかった。
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