17_5話 領主の招き
宿の裏小屋で、遼は古い足踏みミシンと向き合っていた。
踏み板から伸びるベルトは傷んでいたが、問題はそれだけではない。手で車輪を回すと、針が途中で引っかかる。油を差しても動きが変わらず、遼は首を傾げた。
「どこか曲がってるのかな」
顔を近づけたところで、入口の戸を叩く音がした。
「失礼いたします。柏木遼殿はこちらにいらっしゃいますか」
「はい、そうですけど」
振り向くと、身なりのよい男が立っていた。市場の商人には見えない。男は丁寧に一礼し、封書を差し出した。
「領主、有馬正隆様の使いで参りました。こちらをお預かりしております」
「…領主様?」
「はい。有馬様が、数日後に館へお越しいただきたいと仰せです」
遼は受け取った封書を開いた。日時と場所、それに丁寧な挨拶が書かれている。だが、何の用事なのかは分からなかった。
「あの、俺に何かご用でしょうか」
「申し訳ありません。詳しいことまでは伺っておりません。ご都合はいかがでしょうか」
遼は作業台を振り返った。急ぎの仕事はないし、領主からの招待を断るのも失礼だろう。
「その日に伺います、とお伝えください」
「承知いたしました。有馬様にそのようにお伝えいたします」
男は再び丁寧に一礼し、帰っていった。
遼はしばらく封書を眺めていたが、やがて作業台に置いた。
「なんで俺なんだろうな」
考えても分からない。針の動かないミシンを前に、しばらく手が止まってしまった。
平助なら何か知っているだろうか。遼はミシンに布をかけた。ちょうど部品を買いに出るつもりだったし、ついでに話を聞いてみよう。
◇
「領主様に呼ばれた?」
古物商の平助は封書を見るなり、眉を上げた。
「はい。何の用事か分からなくて」
「まあ、あの灯りの噂だろうな」
「ええ、まさかこんな大事になるとは……」
先日、荒地渡りの宗一たちから預かった手回し式の灯りを直した。町の人間には魔法の品らしく、思いのほか騒ぎになったのを覚えている。
「領主様って、どんな方なんです?」
「穏やかな方だよ。商人の話もよく聞いてくださるし、おかげでこの町もずいぶん栄えた。悪い噂は聞かねえな」
「なら、少し安心です」
「ただ、領主様は領主様だ。失礼のないようにな」
「それを聞きたかったんですよ。会うときは、やっぱりひざまずいた方がいいんですか?」
平助がぽかんとしたあと、吹き出した。
「ははっ、何だそりゃ。昔話じゃないんだぜ? 普通に頭を下げりゃいいんだよ。聞かれたことにちゃんと答えて、勝手な真似をしなきゃ大丈夫さ」
「なるほど。じゃあ、あまり難しく考えなくてもよさそうですね」
「お前さん、その油まみれの格好だけはやめとけよ」
「もちろん着替えますよ」
そう答えたものの、念のため宿の主人にも聞いてみた。主人は身なりを整えるよう念を押し、館の入口で書状を見せれば案内してもらえると教えてくれた。
当日は一番ましな服を選び、汚れがないことを何度も確かめてから出かけた。
宿を出るところで主人に呼び止められ、曲がっていた襟を直される。
「領主様の前で、いつもの調子で道具を広げたりするんじゃないよ」
「そんなことしませんって」
笑って返したものの、そもそも何を話すのか分からない。遼は少しだけ足取りを重くした。
◇
領主の館は、港町の大通りを少し進んだところにあった。
高い塀に囲まれてはいるが、物々しい城というより、大きな商館に近い。門を出入りする役人や商人の姿も見える。
遼が書状を見せると、門番はすぐに中へ通してくれた。
案内された部屋で待っていると、しばらくして年配の男が入ってきた。その後ろには、執事らしい落ち着いた身なりの男が一人控えている。
「お待たせしたね。私が有馬正隆だ」
正隆は五十歳ほどに見えた。柔らかな笑みを浮かべ、威張った様子はまるでない。
遼は慌てて立ち上がった。
「柏木遼です。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、突然呼び立ててすまなかった。どうぞ座ってくれ」
茶が運ばれ、正隆はまず町での暮らしを尋ねた。
「この町には最近来たそうだね。もう慣れたかな」
「はい。皆さん親切ですし、仕事もありますから」
「それはよかった。どんな仕事をしているんだい?」
「古い道具を買って直したり、修理を頼まれたりですね。今は宿の裏に小屋を借りています」
「ほう。仕事場まであるのか」
「仕事場と言っても小さいですよ。大きな物を預かると、足の踏み場もなくなります」
正隆が笑った。
「繁盛している証拠じゃないか」
「そうだといいんですけどね。道具も足りなくて、金物屋さんに助けてもらってばかりです」
話しているうちに、遼の緊張も少しずつほぐれてきた。
正隆は町の食べ物や市場の様子にも興味を示し、遼が平助や新吉の名前を出すと、ああ、あの店かと頷いた。領主なのに、町の店のことまで知っているらしい。
「港は賑やかだろう。最初は驚かなかったかい?」
「驚きました。こんなに人が集まる町だと思っていなかったので」
「ここには水都からいろいろな物が運ばれてくるからね。商人も職人も忙しいんだ」
「ええ。おかげで俺も仕事に困りません」
「それなら、しばらくはこの町にいてくれるのかな」
「今のところ、そのつもりです。まだ直してみたい物もありますし」
正隆は嬉しそうに頷いた。
「実はね、今日はひとつ見てほしい物があるんだ」
ひとしきり話したところで、正隆が切り出した。
「古い魔法具なんだが、動かなくなってしまって。君なら分かるかもしれないと思ってね」
「何でしょう?」
控えていた執事が、小さな金属製の箱を机に置いた。
遼は思わず目を瞬かせた。
「電卓だ」
「でんたく?」
「ああ、計算する道具です。ちょっと触ってもいいですか?」
「もちろん。直せそうなら頼みたい」
手のひらほどの古い計算機だった。上部には太陽電池、下には数字のボタンが並んでいる。外装は古びているが、ひどい破損は見当たらない。
窓際に持っていき、ボタンを押す。表示は出なかった。
「中を開けても?」
「構わないよ」
「じゃあ、少し工具をお借りできますか」
「構わないが、ここで直すのかい?」
「はい。もし簡単な故障なら、その場で済むと思います」
正隆は驚いたように眉を上げ、執事に目配せした。
すぐに細いねじ回しが用意された。
遼が裏蓋を外すと、基板と細い配線が見えた。太陽電池から伸びた線の端子が、一か所外れている。
「ああ、これかな」
「分かったのかい?」
「たぶん。ちょっと試してみますね」
端子を元の位置に差し込み、軽く押さえる。窓から差す光の下でボタンを押すと、表示窓に数字が浮かんだ。
「よし。動きました」
「もう?」
「今回は線が外れていただけみたいです」
遼は何度か計算を試し、蓋を戻した。正隆に渡して簡単な使い方を説明すると、正隆は自分でもボタンを押し、表示が変わるのを確かめた。
「いやあ、助かった。こんなに早く直るとは思わなかったよ」
「大したことじゃありませんよ。今回は運がよかったです」
「こういう品の修理は得意なのかい?」
「見覚えのある物なら、ある程度は。でも、何でも直せるわけじゃないです。部品が駄目になってたら、代わりがないとどうにもなりませんし」
「なるほど。光る道具も直したと聞いたよ」
「ああ、あれですか。あっちは結構苦労しました。結局、元どおりにはできなかったんですけど」
ハンドルを回す間だけ光るようにしたと話すと、正隆は面白そうに頷いた。
「壊れたまま捨てるより、ずっといいね」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
「その技術は、どこで覚えたんだい?」
「前に、機械の整備をする仕事をしてまして」
「ほう。ずっと職人を?」
「まあ、そんなところです」
遼は曖昧に笑った。昔の軍のことなど、うまく説明できる気がしない。
正隆は一瞬だけ遼を見たが、それ以上は尋ねなかった。
「今も修理の仕事は楽しいかい?」
「ええ。壊れた物が動くと、やっぱり嬉しいですね」
「そうか。それは何よりだ」
その後も少し町の話をして、面会は終わった。
正隆が修理の礼を渡そうとすると、遼は慌てて首を振った。
「いや、本当に簡単な修理でしたから」
「こちらが頼んだ仕事だよ。遠慮せず受け取ってほしい」
そう言われては断りづらい。遼は礼を述べて受け取った。
少しばかり気が引けたが、せっかくの厚意を何度も断るのも失礼だろう。正隆の方は、遼が恐縮していることなど気にしていないようだった。
「また何かあれば、相談してもいいかな」
「はい。俺に直せる物なら、いつでも」
「ありがとう。今日は来てくれて助かったよ」
正隆は最後まで穏やかな笑顔だった。
◇
館を出た遼は、ようやく肩の力を抜いた。
「いやあ、何事かと思った」
結局、世間話をして古い計算機を一つ直しただけだった。礼までもらってしまったが、あんな簡単な故障でよかったのだろうか。
それにしても、正隆は話しやすい人だった。平助の言ったとおり、町の暮らしにも詳しかったし、余計なことも聞かれずに済んだ。
「いい領主様なんだな」
帰り道、遼の頭はもう別のことに向いていた。
小屋に置いてきたミシンの引っかかりを、もう一度調べてみよう。針棒の辺りが怪しかった気がする。
そんなことを考えながら、港の方へ足を向けた。
◇
遼が帰った後、正隆は執事に目を向けた。
「伊藤を呼んでくれ」
「かしこまりました」
ほどなく、有馬家に仕える魔法技師が部屋に入ってきた。
正隆は先ほどの計算機を差し出した。
「見てくれ」
伊藤は裏蓋を外し、内部を確かめた。
「……確かに、元に戻っていますな。外しておいた端子もきちんとつながっています」
この計算機は、正隆が試験のために用意させたものだった。伊藤に頼んで、修理できる範囲でわざと動かなくしていたのである。
「手際はどう思う?」
「少なくとも、この品の構造はよく分かっているのでしょう。迷わず原因を見つけたのであれば、相応の知識があります」
「そうか。ありがとう」
伊藤が退出すると、正隆は椅子にもたれた。
「どうやら、噂だけの男ではなさそうだな」
執事が静かに頷く。
「お人柄はいかがでしたか」
「悪人には見えなかった。技術も確かだろう。ただ、少々脇が甘いな」
「と申しますと?」
「初めて会った私の前で、あっさり道具を分解して直してみせた。こちらが何を知りたいのか、あまり疑っていなかったようだ」
正隆は小さく笑った。
「まあ、そこも含めて、仕事は頼めそうだ」
そう言ってから、表情を改める。
「例の立入禁止地区について、調査記録を集めておいてくれ。過去の被害も含めてな」
「承知いたしました」
「それから、調査を頼む場合の段取りを整えてほしい。報酬や必要な物資も考えておこう」
「護衛はいかがいたしますか」
「腕の立つ荒地渡りを探してくれ。できれば、柏木遼とつながりのある者がいい。候補を挙げて、実績を調べておいてほしい」
執事は手元の帳面に書き留めた。
「本人には、まだ知らせなくてよろしいので?」
「ああ。まずは準備だ。危険な仕事だからね。話を持ちかけるにしても、こちらでできることは整えておきたい」
「かしこまりました」
執事が一礼して退出すると、正隆は机の上の計算機を見た。
表示窓には、小さな数字が並んでいる。
「さて、彼は期待に応えてくれるかな?」
正隆は計算機を脇へ寄せ、次の書類を開いた。
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