13_2話 最初の商売
固着していた留め具が、ようやく動いた。
「よし、外れた」
遼は工具を置き、ウインチの内部を覗き込んだ。
歯車や軸の周囲には錆と古い油汚れがこびりついていたが、幸い目立った欠損はない。長年放置されて動かなくなっているだけのようだ。
部品を並べ、錆を落として汚れを拭き取る。手持ちの工具では苦労したものの、作業自体はそれほど難しくなかった。
昼過ぎには、どうにか元の形に戻すことができた。
「さて、動いてくれよ」
ゆっくりハンドルを回すと、かすかな金属音とともに歯車が動き、巻き取り軸が回転した。
「おお、いいじゃないか!」
逆転防止の爪も点検し、小屋にあった木箱を使って荷重をかけてみる。巻き上げも停止も問題なさそうだった。
もちろん、元の性能まで戻ったとは言えない。それでも軽い荷物を持ち上げる程度なら使えるだろう。
「うん。悪くない」
遼は満足げに頷いた。気づけば昼食も忘れて作業に没頭していた。
こんなに夢中で機械をいじったのは、いつ以来だろう。
工具を片づけながら、ふと笑みがこぼれる。目を覚ましてからずっと、知らない世界でどう生きていくか、そればかり考えていた。けれど、機械を前にして手を動かしている間は、余計なことを忘れていられた。
あとは、これが売れてくれればいいのだが。
◇
翌朝、遼はウインチを抱えて市場へ向かった。
港は朝から賑わっていた。荷を下ろす船乗りたち、魚を売る女たち、行き交う荷車。あちこちで威勢のいい声が上がっている。
まず立ち寄ったのは、昨日ウインチを買った露店だ。
「おう、兄ちゃん。また来たのか。やっぱり動かなかったか?」
「いえ、動きましたよ」
「は?」
遼が台に置いたウインチのハンドルを回すと、男は目を丸くした。
「おいおい、本当に動いてるじゃねえか!」
「思ったより状態がよかったみたいで。それで、こういうのを買い取ってくれる店を探してるんですが」
「だったら平助のところだな。そこの角を曲がった先に古物商がある」
「ありがとうございます」
「昨日買った物をもう売るのか。忙しい兄ちゃんだな!」
笑う男に頭を下げ、教えられた店へ向かった。
古物商の平助の店は、市場の喧騒から少し離れた通りにあった。軒先には古い家具や金属製の道具が並び、店内にも大小さまざまな品が積み上げられている。
「こんにちは」
「はいよ。何か探し物かい?」
奥から現れたのは、五十歳ほどの小柄な男だった。人のよさそうな笑顔とは裏腹に、品物を見る目は鋭そうだ。
「平助さんですか? これを買い取っていただきたくて」
遼がウインチを置くと、平助は興味深そうに眺めた。
「古代の道具か。綺麗にしてあるな」
「昨日、市場で買ったんです。壊れていたので直してみました」
「こいつを修理したのかい?」
「はい。動かしてみますか?」
平助はハンドルを握り、ゆっくり回した。
「ほう。縄を巻きつけて荷物を引っ張り上げるわけか。港で使えそうだな」
「ただ、古い物ですから、あまり重い荷物には使わない方がいいと思います」
「そりゃそうだ。荷を落としたら大事だからな」
平助は逆転防止の仕組みにも目を留め、何度かハンドルを回していた。壊れたときにどうなるかと聞かれ、遼は分かる範囲で説明した。商売人とはいえ、使い道だけでなく危険も確かめてくれるのはありがたい。
平助はもう一度ウインチを眺め、遼に向き直った。
「で、いくら欲しい?」
遼は少し身構えた。宿代や食費の相場は分かってきたが、道具の値段となると見当もつかない。購入費と手間を考えて希望額を告げると、平助は声を上げて笑った。
「おいおい、遺物技師の兄ちゃんよ。そりゃ景気のいい値段だ」
「高いですか?」
「俺だって商売なんだ。買った値段より高く売らなきゃ飯が食えん」
提示された金額は、今度は遼にとって安すぎた。
「もう少し何とかなりませんか?」
「これでも頑張ってるんだぞ。どれだけ長持ちするか分からん品だからな」
「それはそうですけど、修理には結構手間がかかったんですよ」
「手間賃まで全部は出せんよ」
そこからしばらく交渉し、互いに少しずつ譲って話がまとまった。
受け取った硬貨を数える。購入費を差し引いても十分な利益が残っていた。宿代に換算すれば、なかなかの額だ。
「ありがとうございます!」
「こっちこそ、いい買い物をしたよ。ところで兄ちゃん、名前は?」
「柏木遼です」
「リョウか。どこの出身だい?」
「北の方です。山の村でしばらく世話になって、昨日この町に着きました」
「なるほど。それで、これからどうするんだ?」
「まだ決めてませんが、壊れた道具を直して売る仕事ができたらと思ってます」
すると平助は、にやりと笑った。
「だったら、俺とは長い付き合いになりそうだな」
◇
店を出ようとすると、平助に昼飯へ誘われた。
「聞きたいこともあるんだろ? 今日は俺が奢ってやるよ」
近くの食堂で魚と野菜の汁物にパンを食べながら、遼は町のことを尋ねた。
「この辺りは、古い道具を扱う店が多いですね」
「水都があるからな。ここいらじゃ魚と遺物が飯の種さ」
水都から引き揚げられた品は遺物漁師から古物商へ渡り、使えそうな物は職人が手を入れる。用途の分からない物は飾りとして売られ、壊れた金属製品も材料になる。交易船が立ち寄る港だけあって、品物も客も絶えないらしい。
「修理する職人もいるんですか?」
「遺物技師って連中がいる。古い道具の仕組みを調べて、直す仕事だ。さっき俺もあんたをそう呼んだろ?」
「ああ、なるほど」
「それより上には魔法技師ってのもいる。光ったり、勝手に動いたりするような、不思議な遺物まで扱える連中さ。もっとも、大抵は領主様に抱えられてるから、滅多に会えんがな」
遼はパンをちぎる手を止めた。懐中電灯のような物も、この時代には魔法なのだろうか。
「じゃあ、修理を頼む人もいるんですね」
「もちろん。ただ、あんたは来たばかりだろ。高価な品を知らない奴に預ける客は少ないさ」
「まずは自分で買って直す方がよさそうですね」
「うちに持ってくりゃ買い取るし、客も紹介できるぞ。値段はきっちり交渉するがな」
「そこはお手柔らかにお願いします」
二人は笑った。
平助は市場の決まりも教えてくれた。露店を構えるには場所代が必要だが、古物商へ品物を売るだけなら難しい手続きはない。商売を広げるなら税についても役人に確認した方がいいという。
「それから、修理を請け負うなら金の話は先に決めとけよ。直らなかったときどうするか、材料代は誰が持つか。後で揉めるからな」
「分かりました。気をつけます」
遼は頷いた。元の職場でも、修理する範囲や費用をめぐって話がこじれることはあった。道具の姿は違っても、仕事をする上で大切なことは変わらないらしい。
この町でどう暮らしていけばいいか、少しずつ見えてきた気がした。
◇
食堂から戻ると、店先にがっしりした男が立っていた。年は三十代半ばほどで、腰に使い込まれた工具袋を下げている。
「おう、平助。頼んでた金具、まだか?」
「ちょうどいい。面白い奴を紹介してやるよ。こいつはリョウ、遺物技師だ」
「ほんとか? 自称じゃねえのか?」
男は胡散臭そうに遼を見た。
「柏木遼です。よろしくお願いします」
「俺は新吉。そこの金物屋をやってる」
平助が先ほど買い取ったウインチを出すと、新吉はハンドルを回して中を覗き込んだ。
「へえ、ちゃんと動くじゃねえか。軸まで外したのか?」
「はい。固着していたので、分解して掃除しました」
「なるほどな。噛み合わせも悪くねえ」
新吉は感心したように頷いた。
「新吉さんは工具なんかも作るんですか?」
「刃物も金具も作るぞ。何か欲しいのか?」
「工具が足りなくて。部品の加工を頼める場所も探してるんです」
「だったら一度うちに来な。できることなら引き受ける。ただし金はもらうぞ」
「もちろんです」
「話が早くていいな」
平助が横で笑った。
「お前さんたち、気が合いそうだな」
「まだ分からん。腕は見てみねえとな」
「それは俺も同じです。新吉さんの仕事も見せてもらいたいですね」
「ほう。いいぜ、いつでも来な」
旧文明の機械なら遼の方が詳しいだろう。しかし、手作業で金属を加工する技術には、新吉から学べることが多そうだった。
互いに得意なことが違う。それが遼には嬉しかった。
◇
それから数日、遼は市場と宿の裏小屋を往復して過ごした。
壊れた道具を買ってきて修理し、動くようになれば平助に売る。何でも直せるわけではなく、部品が欠けて諦めた品もあったが、いくつかは無事に売れた。
「また来たのか、リョウ。今日は何を直した?」
平助は、遼の顔を見るとそんなことを言うようになった。
新吉の店にも顔を出し、工具を買ったり加工を頼んだりした。鍛冶場では火花を散らして鉄を叩く職人たちが働いている。遼が加工の様子を眺めていると、新吉が手を止めて道具の使い方を教えてくれることもあった。
新吉も古い機械に興味を持ったらしく、珍しい物が入ると声をかけてくれる。
ある日、裏小屋で作業をしていると、宿の女将が顔を出した。
「またやってるのかい。ずいぶん熱心だねえ」
「すみません。いつも使わせてもらって」
「別にいいよ。それにしても、最近楽しそうだね。最初に来たときは難しい顔をしてたのに」
「そうですか?」
「そうさ。で、ちゃんと飯は食べてるのかい?」
「あ、今日はまだです」
「まったく。ほどほどにしなよ」
女将が呆れたように笑う。
遼はこの機会に、小屋を今後も使わせてもらえないか相談した。女将は使用料を払うことと、火や騒音に気をつけることを条件に承諾してくれた。
「それじゃ、しばらくお借りします」
「ああ。ただし壊したら弁償してもらうよ」
「そこは任せてください。直すのは得意なので」
「そういう問題じゃないよ!」
二人で笑った。
こうして遼は、町で初めて自分の仕事場を手に入れた。設備はろくにない小屋だが、自分の腕で稼いだ金で借りた場所だった。
その夕方、遼が市場から宿へ戻る途中、通りの向こうから声が飛んできた。
「おう、リョウ! 明日、店に寄ってくれ! 面白い物が入ったぞ!」
平助だ。
「分かりました!」
その先では、新吉が店先で金具を磨いていた。
「リョウ、頼まれてた工具、できてるぞ」
「ありがとうございます。明日取りに行きます!」
何でもないやり取りだったが、歩きながら頬が緩んだ。
数日前まで、この町には知り合いが一人もいなかった。今では名前を呼んでくれる人がいて、仕事を相談できる相手もいる。
港の向こうには、夕日に照らされた水都の高層建築が見えた。あの景色を見ると、今でも胸が痛む。それでも、その手前の町には、少しずつ見慣れた風景が増えていた。
「さて、明日は何が入ったんだろうな」
平助の言っていた品物が気になる。どんな機械だろう。直せるだろうか。
そんなことを考えながら、遼は宿へ向かった。
この町での暮らしは、思っていたよりずっと面白くなりそうだった。
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