10_8話 森の道
村を出てから数時間。遼は道端の倒木に腰を下ろし、背負っていた荷物を降ろした。
「重い。工具、もう少し減らせばよかったな」
村での暮らしで体力は戻ったものの、荷物を背負って山道を歩くのは思った以上にきつかった。竹筒の水を飲み、源蔵からもらった地図を広げる。山や川が大まかに描かれているだけで、現在地ははっきりしない。それでも南へ向かっていることは間違いなさそうだった。
荷物を背負い直すと、工具袋に結びつけた木札が揺れた。冬馬が作ってくれた水車の絵だ。
「あいつ、今頃何してるかな」
弥平に叱られながら走り回っている姿が目に浮かび、遼は少し笑った。
やがて山道は、荷車の轍が残る広い街道に合流した。人の往来がある道に出られたことに安堵していると、後ろから馬の蹄の音が聞こえてきた。
「おう、兄ちゃん。旅の途中か?」
振り返ると、荷馬を引いた中年の男が近づいてきた。馬の背には布袋や木箱が積まれている。
「はい。南へ向かってるんですが、この道で合ってますか?」
「ああ。途中で道が分かれるから、右へ行きな。左は谷の村へ下りちまう」
「右ですね。ありがとうございます」
「それと、でかい石の道が見えても、上がらねえ方がいいぞ」
「石の道?」
「ああ。昔の人間が造ったらしいんだが、今じゃ崩れ放題でな。石の柱が何本も立ってるから、すぐ分かるさ」
「柱の上に道があるんですか?」
「昔はあったらしいな。何であんな高いところに造ったんだか」
男は不思議そうに首を振った。
「まあ、見りゃ分かる。崩れてきても知らんから、近寄りすぎるなよ」
「分かりました。ありがとうございます」
「この先に小さな集落がある。日暮れまでには着けるだろう。じゃあな」
男は荷馬を引いて先へ進んでいった。遼も少し休んでから、その後を追うように歩き出した。
◇
それを見つけたのは、さらに一時間ほど歩いた頃だった。
森の向こうに、灰色の巨大な構造物が見えた。最初は岩壁かと思ったが、近づくにつれて人工物であることが分かった。
太いコンクリートの柱が、山の斜面に沿って一定の間隔で並んでいる。その上には平らな構造物が残っている場所もあったが、大半は失われていた。足元には巨大なコンクリートの塊が転がり、周囲の木々に埋もれている。
遼は足を止めた。
「高速道路じゃないか、これ」
間違いなかった。かつて山の斜面を横切っていた、高速道路の高架橋だった。橋桁が残っているのは短い区間だけで、その先は途切れている。崩れ落ちた橋桁の上には土砂が積もり、太い木々が根を張っていた。橋脚も無事ではなく、途中から折れたものや、大きく傾いたものがある。それでも、原形を保っている部分は驚くほど頑丈そうに見えた。
「よく残ってるな」
遼は近くの橋脚へ歩み寄った。表面は黒ずみ、苔や蔦に覆われている。しかし、植物のない部分には比較的滑らかなコンクリート面が残っていた。細い亀裂に沿って、白い鉱物のようなものが筋状に固まっている。
「自己修復材でも入ってるのかな」
遼のいた時代には、重要なインフラに高耐久材料が広く使われていた。微細な亀裂を自然に塞ぐコンクリートや、腐食しにくい補強材などだ。軍の施設にも似たような技術が使われていた。もっとも、遼は土木材料の専門家ではない。目の前の橋脚がどのような材料で造られ、あとどれだけ持ちこたえられるのかは分からなかった。
頭上を見上げる。橋桁の一部は残っているが、その先は何もない。どれほど丈夫な材料でも、地盤が動けば柱は傾く。橋桁がずれれば道路は途切れる。点検も補修もされないまま長い年月が過ぎたなら、無傷で残る方が不思議なのだろう。
「それにしたって、どれだけ時間が経ってるんだよ」
村で見た水田や木造の家々は、自分の知る日本とはまるで違っていた。だが、目の前にあるのは確かに自分が知っているものだった。道路の形も、橋脚の構造も分かる。かつてここを何台もの車が走っていたことも知っている。
それが今では、森の一部になっている。
◇
高架橋から少し離れた場所には、かつての道路跡と思われる平らな土地が続いていた。遼は斜面を登り、木々の間へ入った。落ち葉を払うと、土の下からひび割れたアスファルトが現れた。一部には薄くなった白線も残っている。
かつて車が走っていた道路に、今では大きな木が何本も育っていた。
「すっかり森だな」
昔なら、道路をこんな状態になるまで放置するなど考えられなかった。定期的に点検し、傷んだ部分を補修する。それが当たり前だった。だが、そんな日常はもう残っていない。
遼はしばらく周囲を眺めていたが、日が傾き始めていることに気づき、街道へ引き返した。
途中、崩れ落ちた橋桁の脇に、荷車の轍が残る細い道が続いていた。古い構造物を避けるように、森の中を回り込んでいる。昔の道路は壊れてしまった。けれど、今の人々は新しい道を造り、使い続けている。
「こっちの方が安全だな」
遼はその道を進んだ。
◇
夕暮れが近づいた頃、ようやく小さな集落が見えてきた。木造の家が十数軒並び、その周囲には畑が広がっている。
集落の入口では、昼間に出会った男が馬の荷を降ろしていた。
「おう、兄ちゃん。無事に着いたか」
「何とか。教えてもらった石の道も見ましたよ」
「見に行ったのか。物好きだなあ」
「いや、あれは気になりますよ」
「そうかねえ。俺なんざ見慣れちまったよ」
男は笑いながら荷を下ろし、地面に置いた木箱の縄を解いた。
「それにしても、よくあんなものを造りましたよね」
「昔の人間は何考えてたんだろうな。兄ちゃん、ああいう古いもんが好きなのか?」
「まあ、興味はありますね」
「だったら南へ行くのは正解だな。あっちには古いもんがごろごろしてる」
「そんなにあるんですか?」
「ああ。何に使うのか分からねえ鉄くずが、とんでもねえ値段になったりするんだ。俺にはさっぱり分からんがね」
男は肩をすくめた。
「で、兄ちゃんはどこまで行くんだ?」
「神戸って町を探してるんですけど、知りませんか?」
「コウベ?」
「昔、大きな港があったところなんですが」
「さあ、聞かねえな。南の海の方か?」
「はい。その辺りだと思います」
「海か。なら水都に行ってみるといい」
「水都?」
「ああ、すいと。聞いたことねえか?」
遼が首を振ると、男は少し意外そうな顔をした。
「そりゃ珍しいな。あの辺りじゃ有名なんだが」
「どんなところなんです?」
「海の中に街があるんだよ。でっかい建物がいくつも並んでてな。水の澄んだ日にゃ、上からでもよく見える」
「海の中に、ですか?」
「ああ。初めて見たときは驚いたぜ。建物の上を魚が泳いでるんだからな」
男はその光景を思い出したのか、楽しそうに笑った。
「朝日が当たると、そりゃあ綺麗でな。あれを見るためだけに、遠くからわざわざ来る物好きもいるんだとさ」
「そんなに綺麗なんですか?」
「俺は一度しか見てねえが、忘れられねえ景色だったな。金持ちの領主様なんか、あれを見るために大金使って旅するらしいぞ」
「へえ」
「俺にゃ真似できねえな。そんな金があったら、もっと荷を仕入れるよ」
男は笑い、木箱の蓋を開けた。
「もっとも、あそこは景色だけじゃねえ。魚もよく獲れるし、古い道具なんかも出てくる。商売するにはいいところだ」
「道具が出てくるんですか?」
「海に潜って拾ってくる連中がいるんだ。時々、妙なものが売りに出されるぞ」
遼は興味を引かれた。海の中に残る建物から、旧文明の品が回収されているらしい。
「危なくないんですか?」
「そりゃ危ねえさ。たまにでっかい化け物も出るって話だしな。俺なら金積まれても潜りたくねえよ」
男はそう言って、木箱から取り出した布を畳み直した。
「それにしても、昔の人間は海の中にまで街を造ったのかねえ」
「どうなんでしょうね」
「後から海になったって話も聞くが、誰にも分からん。まあ、綺麗ならどっちでもいいか」
何気なく言われたその言葉に、遼は返事ができなかった。
海の中に街がある。建物が並び、その上を魚が泳いでいる。
男にとっては美しい景色であり、珍しい遺跡なのだろう。
だが、遼には一つの可能性が浮かんでいた。
「その水都って、ここからどうやって行くんですか?」
「おっ、行ってみる気になったか?」
「ええ。ちょっと気になって」
「なら、この先の町まで行きな。そこから山を越える道がある。海沿いまで出れば、すぐ分かるはずだ」
「ありがとうございます」
「おう。どうせなら晴れた日に行けよ。曇ってちゃもったいねえからな」
男は笑い、再び荷物の整理に戻った。
遼は南の山並みを見つめた。その向こうには、自分の生まれ育った神戸があるはずだった。両親と暮らした家も、毎日のように歩いた道も、まだどこかに残っているかもしれない。
だが、もし男の話す水都が神戸だったなら。
人々が美しいと語り、わざわざ見物に訪れるその景色の下に、自分の故郷が眠っていることになる。
遼はもう一度、山の向こうへ目を向けた。
「確かめないとな」
神戸がどうなったのか。
その答えは、もう遠くないところにあるのかもしれなかった。
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