『世界観ノート』序章(2/5)「もし、違う場所だったら?」
雇い主と博士は、カフェあおいで向かい合っている。
二人とも、いつもより少しだけ肩の力が抜けていた。
テーブルには、二つのコーヒー。
カウンターの奥では、女将がカップを拭きながら、和やかな表情で二人を見ている。
雇い主「……博士」
博士「はい」
雇い主「少し、相談していいか?」
博士「珍しいですね。雇い主から相談とは」
雇い主は、コーヒーを一口飲んだ。
雇い主「私は、ずっと“彼女の計画”を追ってきた」
博士「そうですね」
雇い主「そのために、読者を知ろうとした」
博士は黙って聞いている。
雇い主「別の時空にも行ってみた。別の場所にも行ってみた」
博士「はい」
雇い主「……これは、正しかったのだろうか?」
博士は、すぐには答えなかった。
しばらくして、カップをテーブルに置く。
博士「正しいかどうかは、分かりません」
雇い主「そうか」
博士「ただ……」
博士は少しだけ笑った。
博士「それが、“解を求めた結果”なのでしょう」
雇い主「解を求めた結果?」
博士「はい。最初にあったのは、ひとつの問いだった」
雇い主「“彼女の計画”」
博士「そうです」
博士「その答えを探しているうちに、別の問いが生まれた」
雇い主「……」
博士「そして、その問いを確かめるために、また別の場所へ行った」
雇い主「それで、物語が増えた」
博士「増えたというより……」
博士は、カウンターの女将を見る。
博士「見つかっていった、と言った方が近いかもしれません」
女将は何も言わず、二人のカップにコーヒーを注ぎ足した。
雇い主「では、何が分かった?」
博士「少しずつ、ですが」
博士は指を折るように話し始める。
博士「読者を知ろうとした場所では、“答えは一つではない”ということが見えてきた」
雇い主「……」
博士「時を越えた場所では、同じものが別の時代にも届くことが分かった」
雇い主「同じもの?」
博士「熱、と呼んでもいいでしょう」
雇い主は、黙ってコーヒーを見る。
博士「別の場所では、同じ問いを置いてみた」
雇い主「それで?」
博士「やはり、明確な答えは出なかった」
雇い主「……喫茶店も、教室も?」
博士は少し笑う。
博士「ええ」
雇い主「答えを探したのに、答えは出なかった」
博士「そうですね」
雇い主「では、失敗だったのか?」
博士「いいえ」
即答だった。
博士「答えが出なかったことも、答えの一つです」
雇い主「……」
博士「少なくとも、“一つの答えですべてを説明できるわけではない”ことは、少しずつ分かってきた」
雇い主「なるほど」
博士「だから、信じるしかないのでしょう」
雇い主「何を?」
博士は、少し考える。
博士「ここまで歩いてきたことを」
雇い主「……」
博士「最初の問いから、次の問いへ」
「ひとつの場所から、別の場所へ」
「ひとつの時代から、別の時代へ」
「そこで見つけたものを、また次の場所へ持っていく」
博士はコーヒーを飲む。
博士「それが、間違っていたのかどうかは、まだ分かりません」
雇い主「まだ?」
博士「ええ」
博士「だって、“計画”そのものが、まだ分かっていないのでしょう?」
雇い主は、少しだけ笑った。
雇い主「……そうだったな」
カウンターの奥で、女将が静かにカップを置いた。
女将「冷める前に、どうぞ」
二人は、それぞれのコーヒーに手を伸ばした。
答えは、まだない。
けれど。
問いを追いかけてきたことで、世界は少しずつ広がっていた。
そして、その広がった先には、また次の問いが待っている。
――世界は、答えを見つけるために広がったのか。
それとも。
――答えが一つではないことを知るために、広がったのか。
雇い主は、もう一度コーヒーを飲んだ。
博士は、何も言わなかった。
女将は、ただ静かに二人を見ていた。
しばらくして、博士が席を立つ。
雇い主は、その後ろ姿を見ながら呟いた。
雇い主「……それを、どう理解すればいいんだろうな」
博士は振り返らなかった。
ただ、少しだけ手を上げた。
――中継セクター世界観記録・終了。
『現象と哲学の狭間』
答えを探して、
違う場所へ行った。
違う時代へも行った。
けれど、
どこへ行っても、
ひとつの答えには辿り着かなかった。
それは失敗だったのだろうか。
――答えが
一つではないと知ることも、
ひとつの答えなのかもしれない。




