20XX年 9月5日 彼女の見た夢
妹の体温を感じながら、私は絶望と向かい合っていた。
昨日見た夢は、他人事だった。
今は、自分の事に思えた。
だって、Rroookoooが側にいるから。
この子を、守らなきゃ。
だって私が、お姉ちゃんだから。
腕は後ろで拘束されたままだ。
妹も同じ。
私達、悪いヤツラに捕まったんだ。
だって、コイツが食べやすいように、私も妹も薄いキャミソール姿だから。
そして、この絶望が形を変えたイキモノの、生きたエサにされているんだ。
胸の赤い蝶ネクタイだけが、私を私でいさせてくれる。
私を、人間でいさせてくれる。
妹を促して、何とか立ち上がる。
背中を向けたら、だめだ。
絶対に目を逸らしたら、だめだ。
恐怖に飲まれてもだめだ。
この子を、妹を、守らないと、だめだ。
絶望が形を変えたそのイキモノは、荒くて臭い息を私たちに吐きつけて、ランランと瞳を光らせて、ゆっくり迫ってくる。
無機質なコンクリートの部屋は狭くて、私達はすぐに壁際に追い込まれてしまった。もう、後ろには下がれない。
私の頭など、一齧りで噛み切ってしまえそうな牙と口。
金色の瞳。
長く尖った、大きなイヌ科の耳。
全身を黒い剛毛で包まれた、軽自動車程の大きさはあるだろう、巨大な狼。
そいつが、わたしと妹を値踏みしている。
妹の身体が、拘束された私の腕に、手に、すり寄ってくる。
逃げられない。いや、守らなくちゃならない。
「娘、お前は、我を恐れないのか」
無機質なコンクリートの部屋中に共鳴するかのように響く、低い声。
「私は、恐れない。だって、お前の事を、知っているから」
そう。私はコイツを知っている。
人狼。夜に紛れて、人を喰うケダモノ。
恐れ、おののき、疑念、不安……
人の心の弱い部分をつつき、信頼を破壊し、バラバラにして、喰うんだ。
そう。私はコイツを、よく知っている。
「お前は、我を恐れないのだろう。だが、そこの小娘はどうだ?」
妹は、守らなければならない。どうしても、絶対に。
「妹は、私が守る」
大きな人狼は、大きく鼻を鳴らした。そうやって、私を怯えさせようとしているかのように。
「このまま喰っても、面白くないな。娘よ、我と取引をしようではないか」
「取引?」
心が、揺れる。
ロクなものではないのは、分かっている。
でも、妹を、守るためには、話だけでも聞いた方が良いのだと、思う。
「お前は人狼の花嫁となる。代わりに、お前の妹は家に帰してやろう」
「花嫁……?」
「そうだ。お前は我を受け入れ、我の代わりに人族の社会に潜り込むのだ。そうすれば、お前の妹は家に帰してやろう」
甘い言葉で誘って、罠に嵌めるつもりだとしか思えない。
「信頼できない」
人狼が、愉快そうに笑う。
「契約を結ぶ。我々は、契約を重視する。契約を裏切る事はない」
そういって人狼は、怯える妹を、ねめつけるような視線で見つめた。
「幼過ぎて喰い応えが無さそうな娘だな。しかし、我が主シャードーラーン様は、幼く無垢な魂が恐怖と絶望に染まる様を眺めるのを好まれるのだ。お前が我の提案を断るのなら、その娘は生ける供物として、我が主に捧げることにでもしようぞ」
「そんな事はさせない」
私は、妹を隠すように、人狼の前に立ちはだかった。
「フハハ、気に入ったぞ、娘。ならば、お前にも人族として生き残るチャンスをくれてやろう。ここを出たお前たちは、ここで起こった事の全てを忘れ去るのだ。だが、お前が人族の元で暮らし続け、絶望に心が囚われてしまうまでは、お前の身体はお前の意識の元にある。我はその様子を、この空間でじっくりと見物させて貰おう」
人狼は再び笑い、私を見つめる。
「妹はそのまま還してやる。お前は、人狼の花嫁として、我を愉しませろ」
私は、頷くしか、無いのだろうか。
他に妹を助ける方法を、思いつくことが出来ない。
私は、何も知らない。
私は、何もできない。
コイツの言いなりになって人狼の花嫁になるしか、妹を助ける方法を、思いつかなかった。
それでも、それでも、必死に考え続けた。
「妹の無事を確かめる方法が無いわ」
「花嫁殿の妹君を、契約に反して裏切る事などせぬ。だが、お前の言い分を聞いてやる道理も無い。お前が人族の元に戻ったのち、自分で確かめるが良かろう。我が契約をたがえたとお前が知った時は、お前は人狼の花嫁から解放される。それで良かろう」
私は、頷くしか、無かった。
「では、契約を結ぶぞ」
「……分かったわ」
私が頷くと同時に、腕や手の拘束がほどけた。
私は拘束されたままの妹を抱きしめて「大丈夫、大丈夫だよ」と優しく言い聞かせた。
「お姉ちゃん……」
妹は、私の胸に顔をうずめて、ひとしきり泣いた。




