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地球最後の通常営業  作者: One Point


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3/5

最後にやりたいこと

午後三時四十分。


 佐々木の席は空いたままだった。


 机の上には飲みかけのコーヒーと、午前中に作っていた見積書が残っている。


 修一はそれを見るたびに、妙な気分になった。


 早退理由。


 貯金を使うため。


 昨日までなら絶対に認めていない。


 いや、そもそも申請する人間もいない。


「高橋さん」


 隣から田中が声をかけてきた。


「ん?」


「佐々木さん、本当に買い物行ったんですか?」


「行ったよ」


「何買うんです?」


「時計だって」


「いくらの?」


「知らん。高いやつじゃない?」


 田中が腕時計を見る。


「僕の、八千円です」


「聞いてない」


「これで十分ですよ」


「じゃあいいじゃん」


「でも六日後に死ぬなら、百万円の時計してみたくないですか?」


 修一は田中の腕を見る。


「時間は同じだぞ」


「夢がないですね」


「時計に百万円使う方が分からん」


 田中が少し考える。


「じゃあ高橋さん、六日後に死ぬとして、何したいです?」


「俺?」


「はい」


 修一は答えようとして、止まった。


 何がしたい。


 世界が終わるまで、あと六日。


 何をしてもいい。


 会社にも行かなくていい。


 金を残す必要もない。


 老後もない。


 健康診断の数値も、もう気にしなくていい。


「……焼肉かな」


「焼肉?」


「いや、違う。今のなし」


「なんでですか」


「六日しかないのに焼肉って、なんか小さいだろ」


「でも食べたいんですよね?」


「まあ」


「じゃあ焼肉でいいじゃないですか」


「お前は?」


「僕ですか?」


 田中は即答した。


「会社辞めたいです」


「あと六日だぞ」


「だからです」


「辞めなくても終わるだろ」


「でも一回やってみたいんですよ。『今日で辞めます』って」


「体験なの?」


「はい」


「退職体験?」


「そうです」


「別のことにしろよ」


     *


「みんなは何したい?」


 田中が勝手に話を広げた。


 山本がパソコンから顔を上げる。


「何が?」


「死ぬまでにやりたいことです」


「急に重いね」


「六日しかないんですよ」


「知ってる」


「山本さんは?」


「特にないかな」


「絶対あるでしょう」


「ない」


 田中が黒田を見る。


 山本も一瞬だけ黒田を見た。


 修一も見た。


「……何だよ」


 黒田が三人を見る。


「いえ」


「別に」


「何でもないです」


「気持ち悪いな」


 田中が聞く。


「部長は何したいです?」


「何が」


「あと六日で」


「仕事」


 全員が黙った。


「……本気ですか?」


「本気だよ」


「他にないんですか?」


「ない」


「旅行とか」


「混んでるだろ」


「うまいもの食べるとか」


「昨日、妻がカレー作った」


「そういう話じゃなくて」


「じゃあ何だよ」


 田中が諦めた。


「やっぱり嫌いだな」


「聞こえてるぞ」


     *


 その時、入口のドアが開いた。


「おう、お疲れ」


 大森社長だった。


 黒い鞄を持って、いつもと同じように入ってくる。


「お疲れさまです」


 全員が反射的に挨拶する。


 大森は自分の机へ行き、鞄を置いた。


「高橋」


「はい」


「来週の予定、出てる?」


 修一は聞き間違えたと思った。


「来週ですか?」


「うん」


「……来週?」


「そう」


「社長」


「何?」


「来週、ないですよ」


 大森が眉を寄せる。


「カレンダーにはあるだろ」


「いや、そういう意味じゃなくて」


「分かってるよ」


 大森はパソコンを立ち上げた。


「まだ分からんだろ」


「政府が衝突は確実だって」


「政府が確実って言ったら確実なのか?」


「まあ……」


「天気予報だって外れる」


「隕石と天気予報、一緒にして大丈夫ですか?」


「似たようなもんだろ」


「だいぶ違うと思います」


 大森は気にせず予定表を開いた。


「十五日の取引先との打ち合わせ、どうなってる?」


「だから十五日は――」


 修一は言いかけて、やめた。


「入ってます」


「じゃあそのままで」


「はい」


 大森は満足そうに頷いた。


 田中が修一のところへ来る。


 小声で聞く。


「社長、分かってます?」


「多分」


「本当に?」


「多分」


     *


 午後四時十五分。


 修一は給湯室でコーヒーを入れていた。


 小林正志が入ってきた。


 五十九歳。


 この会社では社長の次に古い。


「小林さん」


「ん?」


「一個聞いていいですか」


「金なら貸さんぞ」


「借りませんよ。六日後なくなる金を借りてどうするんですか」


「返さなくていいだろ」


「……確かに」


 一瞬、本気で考えてしまった。


「そうじゃなくて。小林さん、何かしたいことあります?」


「何かって?」


「世界が終わるまでに」


「ああ」


 小林はインスタントコーヒーに湯を注ぐ。


「ないな」


「ないんですか?」


「ない」


「旅行とか」


「疲れる」


「食べたいものとか」


「昨日、鯖食った」


 黒田と似ている。


「会いたい人は?」


 小林の手が、ほんの少しだけ止まった。


 修一は気づいた。


 しかし小林は何事もなかったようにカップを持つ。


「いないな」


「そうですか」


「高橋は?」


「俺ですか」


「何したい」


「……焼肉」


 小林が笑った。


「いいじゃないか」


「田中にも言われました」


「焼肉はうまいぞ」


「知ってますよ」


 小林はコーヒーを一口飲んだ。


「最後だからって、急にスカイダイビングしたってしょうがないだろ」


「まあ」


「今まで好きだったことやればいいんだよ」


 そう言って給湯室を出ていった。


 修一は一人で残った。


 焼肉。


 頭に浮かんでいた店がある。


 高級店ではない。


 駅から十分ほど歩いたところにある、小さな焼肉屋。


 昔、家族三人でよく行った。


 彩花がまだ小学生だった頃。


 誕生日。


 運動会。


 何でもない土曜日。


 最後に三人で行ったのは、いつだったか。


 修一は思い出せなかった。


     *


 午後五時二十八分。


 スマートフォンが震えた。


 佐々木からだった。


 写真が一枚。


 腕。


 そこに銀色の時計。


 続けてメッセージ。


【買いました】


 修一は返信する。


【いくら?】


 すぐ返ってきた。


【178万】


「馬鹿だ」


 声に出た。


 田中が反応する。


「何がです?」


「佐々木。時計百七十八万」


「マジですか!」


 田中が寄ってくる。


「見せてください」


 写真を見せる。


「うわ、かっこいい」


「そうか?」


「僕の二百二十二本分です」


「なんで自分の時計で割った?」


 さらにメッセージ。


【このあと寿司行きます】


【一人で?】


【一人です】


【楽しい?】


 少し間があった。


【まあまあです】


 修一は笑った。


【楽しめ】


 送信。


 その直後だった。


 田中のスマートフォンから大きな通知音が鳴った。


「あ」


「何?」


「ニュース」


 田中の顔から笑いが消える。


「高橋さん」


「どうした」


「これ」


 画面を見せる。


【小惑星2026QX1 新たな観測データ】


【政府、午後7時より緊急会見】


 修一は記事を開く。


 詳細はない。


 新たな観測結果が得られたため、衝突予測について説明するという。


「何だこれ」


 黒田も近づいてくる。


「軌道変わったのか?」


「分かりません」


「外れるとか?」


「だから分かりませんって」


 社内がざわつく。


 修一は佐々木へ送った。


【ニュース見た?】


 既読。


 五秒。


 返信。


【見ました】


 さらに一通。


【高橋さん】


【この時計返品できますかね】


 修一は吹き出した。


【知らん】


     *


 午後六時五十分。


 誰も帰らなかった。


 テレビの前に十一人。


 大森社長までいる。


 佐々木はいない。


 百七十八万円の時計をつけたまま、高級寿司を食べているはずだ。


「あと十分」


 田中が言う。


「分かってる」


 黒田が腕を組んでいる。


 山本も黙ってテレビを見る。


 小林だけが自分の席で仕事をしていた。


「小林さん、見ないんですか?」


 修一が聞く。


「始まったら教えて」


「気にならないんですか?」


「十回見ても結果は一緒だろ」


 確かにそうだった。


 午後七時。


 画面が切り替わる。


 会見場。


 朝と同じような顔をした専門家が並んでいる。


 説明が始まった。


 難しい言葉が続く。


「結局どっちなんだよ」


 田中が呟く。


 数分後。


 結論が出た。


『新たな観測データを含め再計算を行いましたが、現時点において衝突予測に変更はありません』


 誰も喋らなかった。


『引き続き、当初発表した時刻前後の地球衝突が予測されています』


「……なんだ」


 田中が息を吐く。


 黒田も椅子にもたれた。


 大森だけが言った。


「ほら、現時点だろ」


 修一が見る。


「社長、そこ拾います?」


 スマートフォンが震えた。


 佐々木。


【高橋さん】


【よかったぁ……】


 修一は画面を見る。


 そして返信した。


【何がよかったんだよ】


 すぐに既読がついた。


 返事はなかった。


 修一は窓の外を見る。


 いつもの街だった。


 車が走っている。


 信号が変わる。


 ビルには明かりがついている。


 六日後には全部なくなる。


 そう言われても、まだ実感はなかった。


 修一はもう一度、娘とのトーク画面を開いた。


 そして入力した。


【今週、飯でも食わないか】


 今度は消さずに送った。

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