本音
第二話【本音】
「私も言いたいことあります」
「俺もある」
「私も」
修一は十一人の顔を見回した。
つい十分前まで、いつもの月曜だった。
いや。
世界が六日後に終わる時点で、いつもの月曜ではない。
それでも少なくとも朝礼までは、みんないつもの会社員をやっていた。
それが田中の一言で壊れた。
「俺、部長のこと大嫌いでした」
黒田部長はまだ立ったままだった。
「……田中」
「はい」
「そういうのは、今言わなきゃ駄目か?」
「今しか言えないと思って」
「六日あるだろ」
「意外とありますね」
「あるよ」
何の会話だ。
修一は思った。
黒田は咳払いした。
「まあいい。言いたいことがあるなら聞く。ただし業務に支障がない範囲で――」
「部長」
「なんだ」
「もうその言い方が嫌いです」
「……そうか」
黒田は少し傷ついた顔をした。
田中が続ける。
「あと、朝礼長いです」
「五分だぞ」
「体感十五分です」
「それは知らん」
「営業会議も長いです」
「会議は必要だろ」
「メールで済みます」
黒田が修一を見る。
「高橋」
「俺に振らないでください」
「お前はどう思う」
「今日は田中の話を聞きましょう」
逃げた。
「あと――」
「まだあるのか」
「あります」
田中が指を折り始めた。
黒田の顔がだんだん険しくなる。
「『俺がお前くらいの頃は』っていう話、あれ何回も聞きました」
「何回だ」
「分かりません」
「じゃあ何回もって言うな」
「回数覚えてたら、それはそれで怖くないですか?」
誰かが笑った。
黒田がそちらを見る。
笑いが止まる。
田中は最後に言った。
「でも」
少しだけ声が小さくなった。
「入社して最初の契約取った時、飯奢ってくれたのは嬉しかったです」
黒田が黙る。
「以上です」
「……そうか」
「はい」
「じゃあ座れ」
「はい」
田中が座った。
黒田も座ろうとした。
「あの」
山本美咲が手を挙げた。
黒田がゆっくり振り返る。
「山本も俺か?」
「はい」
「もう勘弁してくれよ」
「田中君とは違います」
「そうなの?」
「はい」
山本は立ち上がった。
田中が興味津々で見る。
「私――」
山本が一度息を吸った。
「黒田部長のこと、好きでした」
誰も動かなかった。
修一は黒田を見る。
田中を見る。
山本を見る。
もう一度黒田を見る。
黒田本人が一番驚いていた。
「……俺?」
「はい」
「俺?」
「そうです」
「いつ?」
「七年くらい前からです」
「七年?」
「はい」
「長くない?」
「長いですね」
田中が小さく呟いた。
「俺との落差すごいな」
「お前は黙ってろ」
「はい」
黒田は完全に困っていた。
「いや、山本。俺、結婚してるぞ」
「知ってます」
「知ってるよな」
「別にどうこうしてほしいわけじゃありません」
「じゃあ、なんで」
「言ってみたかっただけです」
山本は少し笑った。
「もう言う機会ないので」
黒田は頭を掻いた。
「そうか」
「はい」
「……ありがとう、でいいのか?」
「いいんじゃないですか」
「そうか。ありがとう」
「どういたしまして」
山本は座った。
黒田も座った。
妙な沈黙が流れた。
修一は時計を見る。
九時十二分。
まだ始業から十二分しか経っていない。
今日は長くなりそうだった。
*
十分後。
なぜか会議室に十一人全員が集まっていた。
仕事はまだ誰も始めていない。
「じゃあ次、佐々木」
「なんで順番になってるんですか」
「言いたいことあるんだろ?」
「まあ、ありますけど」
佐々木亮が腕を組む。
「会社というより、高橋さんに」
「俺?」
修一は嫌な予感がした。
「高橋さん、去年の十二月二十六日、覚えてます?」
「覚えてない」
「僕が有休申請した日です」
「ああ」
「理由聞きましたよね」
「聞いたっけ」
「『何かあるの?』って」
「それくらい聞くだろ」
「有休って理由いらないですよね?」
「……そうだな」
「ずっと言いたかったんですよ」
「悪かったよ」
「まだあります」
「お前もか」
「僕が帰ろうとすると、『もう帰るの?』って言うのやめてください」
「そんなこと言った?」
「三回言われました」
「数えてんの?」
「田中と違って僕は数えてます」
田中が頷く。
「証拠大事ですよ」
「お前ら急に強くなったな」
佐々木が笑った。
「だって、あと六日ですよ」
修一は反論出来なかった。
「他には?」
「え?」
「あるなら全部言えよ」
佐々木が少し考える。
「高橋さん」
「うん」
「飲みに連れてってくれた時、いつも奢ってくれるのはありがとうございます」
「急にやめろよ」
「なんでですか」
「怒られてる方が楽だった」
また笑いが起きた。
不思議だった。
悪口を言われているのに、いつもの会社より空気が軽い。
もしかすると、みんなずっとこういう話をしたかったのかもしれない。
世界が終わるくらいのことがなければ、出来なかっただけで。
*
午前十時三分。
ようやく仕事が始まった。
修一は自分の席でメールを開いた。
未読、三十七件。
いつもならうんざりする数字だった。
今日は違う。
ほとんどの取引先から同じような内容が届いていた。
【本日の営業について】
【今後のお取引について】
【小惑星衝突報道を受けて】
その中に一通、いつも取引している会社からメールが来ていた。
【先週ご依頼しました御見積書の件、その後いかがでしょうか】
修一は画面を見つめた。
「すごいな」
佐々木が振り返る。
「何がです?」
「見積もり催促された」
「今日?」
「今日」
「送るんですか?」
「どうしよう」
二人で考える。
「一応送った方がいいんじゃないですか」
「だよな」
「向こうも待ってますし」
「だよな」
修一は見積書を作り始めた。
途中で手が止まる。
「納期、来月末なんだけど」
佐々木も止まった。
「……どうします?」
「どうしよう」
「予定通りでいいんじゃないですか」
「来月ないぞ」
「でもフォーマット変えるの面倒ですよ」
「じゃあ来月末でいいか」
「いいと思います」
世界が終わる六日前。
修一は存在しない来月の納期を書いた見積書を送信した。
五分後。
返信が来た。
【迅速なご対応ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします】
「引き続き、か」
修一は少し笑った。
*
昼。
「飯どうします?」
佐々木が聞いた。
「いつもの定食屋でいいだろ」
「やってますかね」
「電話してみる」
修一が電話をかける。
三回目の呼び出しで店主が出た。
『はい、まる福です』
「あ、高橋です。今日やってます?」
『やってるよ』
「本当に?」
『そっちこそ会社行ってんの?』
「行ってます」
『じゃあ人のこと言えないだろ』
「確かに」
『日替わり、生姜焼きね』
「世界最後の週でも?」
『仕入れちゃったから』
電話が切れた。
修一は立ち上がった。
「生姜焼きだって」
「行きます」
田中も立つ。
「僕も」
黒田も上着を取った。
「俺も行く」
田中の動きが止まる。
「……部長も?」
「駄目なのか」
「いや」
四人で会社を出た。
エレベーターを待つ。
田中と黒田が並んでいる。
気まずい。
かなり気まずい。
修一は笑いそうになった。
黒田が田中を見る。
「お前、生姜焼き好きか?」
「普通です」
「そうか」
「はい」
会話が終わった。
世界が終わるまで、あと六日。
嫌いだと言った上司とも、
昼飯は食わなければならない。
*
午後一時十八分。
会社へ戻る途中、佐々木が銀行の前で立ち止まった。
ATMには長い列が出来ている。
「すごいですね」
修一も見る。
「みんな現金下ろしてるのか」
「そりゃ使いますよね」
「何に?」
「使いたかったもの全部」
佐々木は少し考えた。
「高橋さん」
「ん?」
「貯金、いくらあります?」
「なんで教えなきゃいけないんだよ」
「僕、六百八十万あるんですよ」
「結構あるな」
「これ」
佐々木はATMの列を見る。
「残して死んだら、めちゃくちゃ損じゃないですか?」
「損っていうのか、それ」
「使った方がよくないですか?」
「まあ……」
「俺、全部使います」
「全部?」
「はい」
「六百八十万?」
「はい」
佐々木は妙に晴れやかな顔をしていた。
「ずっと欲しかった車あるんですよ」
「買うの?」
「買います」
「今から?」
「今から」
「納車間に合わないだろ」
佐々木が止まった。
「……確かに」
初めてそこまで考えたらしい。
「じゃあ時計にします」
「切り替え早いな」
佐々木はスマートフォンを取り出した。
「今日、早退していいですか?」
修一は反射的に聞きそうになった。
――何かあるの?
やめた。
「いいよ」
「ありがとうございます」
佐々木が歩き出す。
「あ、佐々木」
「はい?」
「有休?」
「残り四日あります」
「使い切れないな」
二人で少し考えた。
「もったいないですね」
「そこ気にする?」
*
午後三時。
修一は仕事をしながら、スマートフォンを何度も見ていた。
妻の恵。
娘の彩花。
まだどちらにも連絡していない。
社員には、
言いたいことがあるなら言え。
そう言った。
自分だけ何も言っていない。
彩花とのトーク画面を開く。
最後のやり取りは半年前。
【お父さん、今度の日曜空いてる?】
【仕事】
【わかった】
それだけ。
修一は入力する。
【久しぶり。】
消す。
【ニュース見た?】
消す。
【元気か?】
消す。
三分考えた。
五分考えた。
ようやく文章を作る。
【世界終わるらしいけど、元気?】
送信。
送ってから気づいた。
「……俺、馬鹿なのかな」
既読。
早い。
修一は画面を見つめる。
一分。
二分。
返事は来ない。
やっぱり文章を間違えた。
取り消そうとした。
その時。
彩花から返信が来た。
【元気】
たった二文字。
それでも修一は、しばらく画面を見ていた。
もう一通。
【お父さんは?】
修一は少し笑った。
入力する。
【仕事してる】
すぐ既読になった。
今度は返信も早かった。
【なんで?】
修一は会社を見回した。
黒田は電話をしている。
田中はパソコンに向かっている。
山本は書類を整理している。
世界が終わるまで、あと六日。
修一は返信した。
【俺にもよく分からない】
送信。
少しして、
【笑】
と返ってきた。
半年ぶりの娘との会話だった。




