海の底には何がある
天正二年――一五七四年正月。
兵庫津の清盛館では、正月だというのに少弐冬明が酒瓶を並べていた。
酒盛りをするためではない。
近く信長に見せるつもりの地球儀。その地球儀に合わせて、世界各地の酒を七つほど用意しようと思いついたのである。
日本。
朝鮮。
明。
マカオ。
ルソン、マニラ。
さらに南蛮船によって運ばれてきた酒。
集めてみれば六種類まではさほど苦労しなかった。
少弐自身が旅をしてきたこともあるし、兵庫津にはいまや坂東、瀬戸内、九州、朝鮮、南蛮へとつながる商人が出入りしている。
問題は最後の一つだった。
「あと一つか」
少弐は地球儀の横に並んだ六つの酒を眺めた。
別に六つでも構わない。
信長から七種類揃えろと言われたわけでもない。
それでも、ここまで集めるともう一つ欲しくなる。
「何かなかったかな……」
そう呟きながら、少弐は清盛館の倉へ入った。
北方から届いた毛皮。
朝鮮の白磁。
明から流れてきた品。
南蛮のガラス。
琉球の工芸品。
対馬から届いた書物や記録。
少弐の旅が長くなるにつれて、清盛館の倉は奇妙なものばかりになっていた。
その奥で、ふと足が止まった。
大穂田から持ち帰った品々がある。
少弐は棚の前で腕を組んだ。
そして思い出した。
オホーツクの海底。
沈没船。
引き揚げた壺。
その中に残されていた蜂蜜酒――ミード。
「あった」
最後の一つが決まった。
貴重な酒である。
壺ごと持っていく必要はない。
信長と少弐が味を見る程度を小瓶へ移せばよい。
これで七つ揃う。
話はそれで終わるはずだった。
だが、少弐は倉から出なかった。
棚の前に立ったまま、別のことを考え始めたのである。
「……待てよ」
オホーツクの海に沈没船があった。
そこで古い積荷を拾うことができた。
ならば。
「瀬戸内にもあるはずだ」
少弐は呟いた。
瀬戸内など、オホーツクとは比較にならないほど長く船が行き交っている。
難波から西へ。
播磨灘を抜け。
備前、備中、安芸、周防。
そして九州へ。
さらに博多から対馬を経て朝鮮へ。
遣唐使よりも昔から船は通っている。
遣新羅使もいた。
遣唐使もいた。
商人もいた。
僧もいた。
海賊もいた。
戦に敗れて沈んだ船もあれば、嵐に呑まれた船もある。
「博多にもある」
指を折る。
「対馬にもある」
そして最後に、
「この兵庫津の沖にあったって、おかしくない」
少弐は倉から飛び出した。
七つ目の酒はもう見つかった。
だが今度は、酒とはまったく別の好奇心に火がついてしまった。
その日のうちに海老屋へ使いが走った。
やってきた海老屋の者へ、少弐はいきなり言った。
「船を一隻造ってほしい」
「どのような船を?」
「沈んだ船を引き揚げる船だ」
「…………はい?」
少弐は紙を広げた。
「正確には、沈没船そのものを必ず引き揚げなくてもいい。積荷だけでもいい。壺一つでもいい」
大穂田での経験がある。
あの時はあり合わせの船、人、綱、滑車を使った。
今度は最初から、その仕事のための船を造ればいい。
船体は幅を取る。
多少重いものを吊っても傾きにくくする。
甲板には太い梁。
そこへ何組もの滑車を掛ける。
大型の轆轤も必要になる。
錨は前後左右に落とせるようにする。
潮に流されず、沈没地点の真上へ船を固定するためだった。
「小舟も載せたい」
「小舟まで?」
「潜る者を運ぶ」
「なるほど……」
海老屋の者も、ようやく少弐が何を造ろうとしているのか理解し始めた。
「それと綱だ。太いものだけでは駄目だ。細いものもいる。海底で物を探すのだからな」
「船を引き揚げるだけではないのですな」
「探すところからやる」
海老屋の者は腕を組んだ。
商船ではない。
軍船でもない。
漁船でもない。
「妙な船になりますぞ」
「構わん」
少弐は笑った。
「妙なことをするための船だからな」
完成を急がせるつもりもなかった。
まだ正月である。
瀬戸内の海へ出て、本格的に海底を探し回るには季節も考えなければならない。
まずは一隻。
大穂田で偶然やったことを、今度は意図してできる船を造る。
そして少弐の頭の中では、すでに兵庫津から西へ海が広がっていた。
播磨灘。
瀬戸内。
博多。
対馬。
長い年月、人が行き交ってきた海である。
その底に何が沈んでいるのか。
まだ誰も知らない。
もっとも――。
そのきっかけになった七つ目の酒については、すでに決着していた。
オホーツクの海底から引き揚げた古い蜂蜜酒。
少弐は保存していた酒からほんのわずかを小瓶へ移させ、六つの酒の横へ置いた。
「これで七つ」
地球儀の横に世界の酒が並んだ。
少弐は満足そうにそれを眺めた。
そしてすぐに、海老屋へ渡す船の注文書へ戻った。
まだ一月。
新しい一年は始まったばかりだった。




