縁を結ぶ――出雲大社
石見銀山を見終えた少弐冬明は、再び出雲へ向かった。
美保を見た。
温泉津を見た。
石見銀山まで足を延ばした。
港で商人を捕まえては、どこから来た、何を積んだ、どこへ売ると尋ね、寺では帝の話を聞き、山へ入れば銀の掘り方まで聞いた。
だが、この山陰行で少弐がもっとも欲しかったものは、珍しい産物でも銀でもなかった。
出雲大社との縁である。
それも一度参詣して終わるような縁ではない。
今後も続く縁だった。
出雲大社と結びつき、大社の御用向きを任されるようになれば、それを理由として出雲へ人を遣わせることができる。
品を届ける。
必要なものを探す。
書状を運ぶ。
祭礼に合わせて使者を出す。
修繕や調達について相談する。
理由はいくらでも生まれる。
そうなれば少弐の使者が山陰へ入っても、
――少弐冬明の手の者が何を探りに来た。
ではなく、
――大社の御用で来た。
となる。
しかも出雲大社ならば、土地の者から見ても不自然ではない。
諸国から人が参詣する。
商人も来る。
神職も動く。
各地から奉納物も集まる。
その人の流れの中へ自分の使者を混ぜられる。
山陰の情勢を知るための、実に都合のよい窓になる。
もっとも――。
そんな腹の内を、少弐が表へ出すはずもなかった。
出雲大社へ着いた少弐は、まず丁寧に参詣した。
そして大社の者たちへ挨拶すると、自分がこれまで各地で集めてきた話について語った。
北の海の話。
奥州で聞いた古い伝承。
都の寺で調べた記録。
厳島で聞いた安芸の話。
美保では隠岐へ流された帝について寺僧から聞いたこと。
話してみれば、少弐が単なる物見遊山で来たわけではないことは伝わった。
「出雲でも、ぜひ昔のお話を伺いたいのです」
少弐が頼んだ。
「大社のことでも、この土地の神々のことでも構いません」
そこで始まったのは、出雲そのものについての話だった。
国譲り。
大国主大神。
国造り。
因幡の白兎。
須佐之男命。
八岐大蛇。
神々の系譜。
なぜこの地に大社があるのか。
昔からどのように祀られてきたのか。
社殿について伝わる古い話。
祭礼の由緒。
そして出雲という土地そのものに残る伝承。
少弐はよく聞いた。
ときどき質問する。
「その話では、大国主大神は最初からこの土地を治めておられたのですか」
「その古い社殿というのは、今より大きかったと?」
「八岐大蛇の話はこちらでは、どのように伝わっています?」
だが、不思議なほど現在の出雲については尋ねなかった。
誰がどこの城を持っているのか。
誰がどこで戦ったのか。
どの家とどの家が争っているのか。
誰と誰の仲が悪いのか。
毛利の支配をどう思っているのか。
そうした話には、一切踏み込まなかった。
小早川隆景は、それに気づいていた。
帰り際、二人きりになったところで尋ねた。
「少弐殿」
「なんでしょう」
「聞かぬのですな」
少弐はとぼけた。
「何をです?」
「今の出雲を」
少弐は少しだけ笑った。
さすがに隆景は気づく。
「まだ、いいでしょう」
「知りたくはないと?」
「まさか」
少弐は即答した。
「知りたいですよ」
そして声を落とした。
「だから聞かないのです」
隆景が少弐を見る。
少弐は歩きながら続けた。
「初めて来た者が、誰と誰が仲が悪い、どこの城主に不満がある、どこで兵が動いている――そんなことばかり聞いたら、どう思われます?」
「間者ですな」
「でしょう?」
少弐は笑った。
「それに、聞いて答えてもらった話より、自分から話してくれたことの方が面白い」
大社の者たちと親しくなる。
また来る。
贈り物をする。
頼まれ事を引き受ける。
大社からも、
少弐殿ならば頼める
と思ってもらう。
まずはそこからだった。
「懐へ入ってしまえばいいのです」
少弐は言った。
「急いで聞かなくとも、そのうち向こうから言いますよ」
――最近、あそこの領主が困ったことをしている。
――あの道は争いがあるから通らない方がいい。
――あの家とあの家は昔から折り合いが悪い。
――今年は兵が出たので、この村では人手が足りない。
何度も出雲へ来る者なら、そんな話はいずれ日常の雑談として出てくる。
その時に聞けばいい。
尋問のように質問する必要などない。
「随分と気の長い間者ですな」
隆景が言った。
「間者ではありませんよ」
少弐は笑った。
「大社と仲良くなりたいだけです」
「その結果、出雲のことが分かる」
「それは仕方ありませんな」
隆景は呆れたように笑った。
しかし少弐自身は、半ば本気だった。
情報だけ欲しいのなら、別の方法はいくらでもある。
商人に金を渡してもいい。
船頭から聞いてもいい。
人を潜り込ませてもいい。
だが、それでは一度きりである。
少弐が欲しいのは、十年、二十年と使える道だった。
そのためには、こちらから先に何かを差し出す必要がある。
そこで少弐は大社側へ申し出た。
「もし今後、御用向きがございましたら、私にお申し付けください」
神職が少弐を見る。
「御用、と申されますと?」
「何でも、とは申しません」
少弐は笑った。
「ですが私は、あちらこちらへ参ります」
京にも行く。
堺にも行く。
兵庫津にもいる。
瀬戸内を渡る。
九州へも行く。
朝鮮へ渡ったこともある。
北方へさえ船を進めた。
「こちらでは手に入りにくい書物、薬、道具。あるいは遠国の品。そういうものならば、お探しできるかもしれません」
これは少弐だからこそできる申し出だった。
「代わりに、というわけではありませんが」
少弐は少し笑った。
「また出雲へ来た折には、昔話の続きを聞かせてください」
欲がないようにも聞こえる。
だが少弐にとっては、それで十分だった。
大社から頼まれ事が一つ来れば、次が生まれる。
一度届ければ顔を覚えられる。
二度来れば知人になる。
三度来れば、茶が出る。
何度も来れば、世間話が始まる。
その世間話こそが、少弐の欲しいものだった。
その日の記録にも、現在の出雲の軍事情勢についてはほとんど書かなかった。
代わりに大社の由緒、祭礼、神々の伝承、土地の古い話をびっしりと書いた。
最後に一行だけ、自分のための覚えを残した。
出雲の今を急ぎて問うべからず。まず古きを聞き、縁を結ぶべし。
そして帳面を閉じる。
誰がどこで戦っているのか。
誰と誰が仲が悪いのか。
それを聞くのは、まだ先でいい。
こちらから尋ねなくとも話してくれるようになった時――。
その時初めて、少弐冬明は本当の意味で出雲へ入ったことになるのである。




