↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
883/1023

潮路を集める――美保の港と清盛館

美保へ入ると、少弐冬明はまず港を歩いた。


美保神社への挨拶も、寺を訪ねるのも後である。せっかく小早川隆景の船で関門海峡を抜け、日本海側から美保へ入ったのだ。まず見ておきたいものがあった。


港そのものだった。


「どこから来られた?」


荷を降ろしていた商人に少弐が尋ねる。


「伯耆からでございます」


「伯耆のどこから?」


「淀江の方で」


「これは?」


「米と、こちらは干した魚で」


少弐はすぐ帳面を開いた。


商人の出身地、船を出した浦、積んできた品、途中で立ち寄った場所まで書き込んでゆく。


別の船を見つければ、また近づいた。


「そちらは隠岐か?」


「よくお分かりで」


「荷を見てそう思っただけだ。島前か、島後か?」


品物を見るだけではない。


誰が運んだのか。


どこから来たのか。


どこで仕入れたのか。


美保で売った後、今度は何を積んで帰るのか。


少弐が知りたかったのは、品物そのものよりも、品物を動かしている人と海の道だった。


帳面には次々と地名が増えていった。


出雲、伯耆、隠岐、石見、但馬、若狭。


もちろん美保近辺で得られる魚介、海藻、魚油などもある。


しかし港を歩き回っていると、それだけではないことが分かってくる。


山側から来た米や雑穀。木材。鉄や鉄器。紙。蝋。皮革。


さらに商人の荷を丹念に見ていけば、もっと遠くから来たものまで混じっていた。


唐物らしい布。


薬種。


香。


陶磁器。


顔料。


朝鮮物だという紙や器。


そうなると少弐は黙っていられない。


「これは朝鮮から直接?」


「いえ、私どもが買ったのは石見で」


「石見のどこ?」


「温泉津でございます」


「では、その前は?」


「そこまでは……博多から来たものではないかと」


少弐はそれもそのまま書いた。


分からないものを勝手に決めつけることはしない。


朝鮮物という。石見温泉津にて仕入れ。それ以前の経路不明。博多回りとの商人談あり。


そう記しておく。


別の商人から唐物の器を見せてもらえば、


「こちらは?」


「若狭から回ってきたものです」


「若狭の商人から買った?」


「左様で」


「その者はどこで仕入れたと言っていた?」


しまいには商人たちの方が、少弐を見るなり、


「これは隠岐からですぞ」


「こっちは石見回りで」


と先に説明するようになった。


小早川隆景は少し離れたところから、その様子を面白そうに眺めていた。


少弐は気づけば、欲しい物を帳面の端に書き始めていた。


美保で加工された海産物。


隠岐から来た品。


伯耆の紙。


薬種。


顔料。


唐物の小さな陶磁器。


朝鮮物だという紙。


それから比較用に鉄器も少々。


そこで、ふと手が止まった。


沖を見る。


停泊しているのは自分の船ではない。


今回ここまで乗せてもらったのは、小早川隆景の船である。


「……やめておこう」


隆景が聞きつけた。


「何をです?」


「買い物を」


少弐は帳面を閉じた。


「人様の船です。帰りもありますし、私がこういうところで買い始めるときりがない」


隆景は少弐の手元を見た。


「もう相当、買う物を書いておられるようですが」


「書くだけなら荷にはなりません」


「では、買えばよろしい」


少弐が隆景を見る。


「よいのですか?」


「積めるだけなら構いませぬ。帰りも安芸を通られるのでしょう」


「そのつもりです」


「ならば我らの船に積んでおけばよい。後日、兵庫津へ送る船なり、少弐殿の船なりへ載せ替えれば済むことです」


少弐の表情が変わった。


隆景はすぐ気づいた。


「……先ほどまで遠慮していた方とは思えぬ顔ですな」


「許可をいただきましたので」


それからは早かった。


もっとも、少弐は大量に買い込んだわけではない。


一つ一つは少量だった。


美保の海産物なら加工法が分かる程度。


紙なら数枚。


薬種なら一包み。


顔料なら小壺。


陶磁器なら代表的なものを一つ。


鉄器も形の異なるものを選んだ。


だが――種類が多かった。


やがて小さな箱が一つできた。


二つになった。


三つになった。


隆景が箱を眺めた。


「少量ずつ、と申されましたな」


「一品一品は少量です」


「種類が多い」


「美保が悪いのです。物が集まりすぎる」


隆景は声を上げて笑った。


だが、これは少弐の土産ではなかった。


「これは兵庫津へ送ります」


少弐は荷札を用意させた。


そこへ自ら筆を取って書く。


清盛館納

美保関諸品


神戸、兵庫津。


そこに少弐が活動拠点として使っている清盛館がある。


兵庫津に縁深い平清盛の名を冠した館であり、少弐の西国における滞在所であると同時に、旅で集めたものを整理し、保存するための場所でもあった。


書庫がある。


海図を広げる部屋がある。


旅先で作った模型を置く場所がある。


そして各地から持ち帰った実物資料を収める資料室がある。


少弐は美保で集めた品を、そこへ入れるつもりだった。


しかも品物だけを置くのではない。


宿へ戻ると、一つ一つの品を改めて机へ並べた。


小さな紙札を作る。


品名。


産地。


美保へ持ち込んだ商人の出身地。


仕入れ地。


購入価格。


聞き取った流通経路。


不明なところは不明と書く。


伝聞なら伝聞と記す。


保存できない魚介などについては、特徴を文章で残し、必要なら簡単な図を添えた。


「清盛館へ行けば、美保へ来なくとも、美保に何が集まっているのか分かるようにしたい」


少弐は札を書きながら言った。


隆景は箱の中を覗いた。


「なるほど」


少し考えてから笑う。


「少弐殿は美保で買い物をしているのではないのですな」


「と言いますと?」


「美保という港そのものを、兵庫津へ持って帰ろうとしておられる」


少弐は筆を止めた。


そして笑った。


「それはいい」


その言葉を気に入ったらしい。


「ならば、そうしましょう」


その夜、少弐は品物の整理を終えると、今度は海図を広げた。


昼間、商人や船頭から聞いた話をそこへ書き加えてゆく。


美保から隠岐。


美保から石見。


東へ向かえば伯耆、但馬、さらに若狭。


西へ向かえば石見から長門へ。


そしてその先には、つい先日、自ら船で通った関門海峡がある。


少弐は関門で記録した海図を隣へ置いた。


二枚を見比べる。


関門では潮そのものが道を支配していた。


美保では、いくつもの土地から来た船と品物が一つの港へ集まり、また散っていく。


性格のまるで違う二つの海だった。


それでも、つながっている。


「ここか……」


少弐は美保から西へ線を引いた。


石見。


長門。


関門。


その先は瀬戸内へ続く。


反対へ目を向ければ、但馬、若狭、さらに北国へと海路を伸ばすこともできる。


厳島で作り始めた模型地図にも、この海路を書き加えなければならない。


品物だけではない。


海図も。


聞き書きも。


港で聞いた商人たちの出身地も。


この旅で作る模型も。


すべて最後には兵庫津の清盛館へ収める。


そうすれば清盛館の一室には、少弐が実際に歩き、船で渡り、人から聞いて確かめた西国の姿が少しずつ出来上がっていく。


少弐は美保の港から聞こえてくる船乗りたちの声を聞きながら、もう一度筆を取った。


今度は海図の隅に小さく記した。


美保――諸国の物と人、ここに集まり、また海へ散る。


清盛館へ持ち帰るべきものは、珍しい品々だけではない。


この港を行き交う人々が知っている、海の道そのものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。