潮路を集める――美保の港と清盛館
美保へ入ると、少弐冬明はまず港を歩いた。
美保神社への挨拶も、寺を訪ねるのも後である。せっかく小早川隆景の船で関門海峡を抜け、日本海側から美保へ入ったのだ。まず見ておきたいものがあった。
港そのものだった。
「どこから来られた?」
荷を降ろしていた商人に少弐が尋ねる。
「伯耆からでございます」
「伯耆のどこから?」
「淀江の方で」
「これは?」
「米と、こちらは干した魚で」
少弐はすぐ帳面を開いた。
商人の出身地、船を出した浦、積んできた品、途中で立ち寄った場所まで書き込んでゆく。
別の船を見つければ、また近づいた。
「そちらは隠岐か?」
「よくお分かりで」
「荷を見てそう思っただけだ。島前か、島後か?」
品物を見るだけではない。
誰が運んだのか。
どこから来たのか。
どこで仕入れたのか。
美保で売った後、今度は何を積んで帰るのか。
少弐が知りたかったのは、品物そのものよりも、品物を動かしている人と海の道だった。
帳面には次々と地名が増えていった。
出雲、伯耆、隠岐、石見、但馬、若狭。
もちろん美保近辺で得られる魚介、海藻、魚油などもある。
しかし港を歩き回っていると、それだけではないことが分かってくる。
山側から来た米や雑穀。木材。鉄や鉄器。紙。蝋。皮革。
さらに商人の荷を丹念に見ていけば、もっと遠くから来たものまで混じっていた。
唐物らしい布。
薬種。
香。
陶磁器。
顔料。
朝鮮物だという紙や器。
そうなると少弐は黙っていられない。
「これは朝鮮から直接?」
「いえ、私どもが買ったのは石見で」
「石見のどこ?」
「温泉津でございます」
「では、その前は?」
「そこまでは……博多から来たものではないかと」
少弐はそれもそのまま書いた。
分からないものを勝手に決めつけることはしない。
朝鮮物という。石見温泉津にて仕入れ。それ以前の経路不明。博多回りとの商人談あり。
そう記しておく。
別の商人から唐物の器を見せてもらえば、
「こちらは?」
「若狭から回ってきたものです」
「若狭の商人から買った?」
「左様で」
「その者はどこで仕入れたと言っていた?」
しまいには商人たちの方が、少弐を見るなり、
「これは隠岐からですぞ」
「こっちは石見回りで」
と先に説明するようになった。
小早川隆景は少し離れたところから、その様子を面白そうに眺めていた。
少弐は気づけば、欲しい物を帳面の端に書き始めていた。
美保で加工された海産物。
隠岐から来た品。
伯耆の紙。
薬種。
顔料。
唐物の小さな陶磁器。
朝鮮物だという紙。
それから比較用に鉄器も少々。
そこで、ふと手が止まった。
沖を見る。
停泊しているのは自分の船ではない。
今回ここまで乗せてもらったのは、小早川隆景の船である。
「……やめておこう」
隆景が聞きつけた。
「何をです?」
「買い物を」
少弐は帳面を閉じた。
「人様の船です。帰りもありますし、私がこういうところで買い始めるときりがない」
隆景は少弐の手元を見た。
「もう相当、買う物を書いておられるようですが」
「書くだけなら荷にはなりません」
「では、買えばよろしい」
少弐が隆景を見る。
「よいのですか?」
「積めるだけなら構いませぬ。帰りも安芸を通られるのでしょう」
「そのつもりです」
「ならば我らの船に積んでおけばよい。後日、兵庫津へ送る船なり、少弐殿の船なりへ載せ替えれば済むことです」
少弐の表情が変わった。
隆景はすぐ気づいた。
「……先ほどまで遠慮していた方とは思えぬ顔ですな」
「許可をいただきましたので」
それからは早かった。
もっとも、少弐は大量に買い込んだわけではない。
一つ一つは少量だった。
美保の海産物なら加工法が分かる程度。
紙なら数枚。
薬種なら一包み。
顔料なら小壺。
陶磁器なら代表的なものを一つ。
鉄器も形の異なるものを選んだ。
だが――種類が多かった。
やがて小さな箱が一つできた。
二つになった。
三つになった。
隆景が箱を眺めた。
「少量ずつ、と申されましたな」
「一品一品は少量です」
「種類が多い」
「美保が悪いのです。物が集まりすぎる」
隆景は声を上げて笑った。
だが、これは少弐の土産ではなかった。
「これは兵庫津へ送ります」
少弐は荷札を用意させた。
そこへ自ら筆を取って書く。
清盛館納
美保関諸品
神戸、兵庫津。
そこに少弐が活動拠点として使っている清盛館がある。
兵庫津に縁深い平清盛の名を冠した館であり、少弐の西国における滞在所であると同時に、旅で集めたものを整理し、保存するための場所でもあった。
書庫がある。
海図を広げる部屋がある。
旅先で作った模型を置く場所がある。
そして各地から持ち帰った実物資料を収める資料室がある。
少弐は美保で集めた品を、そこへ入れるつもりだった。
しかも品物だけを置くのではない。
宿へ戻ると、一つ一つの品を改めて机へ並べた。
小さな紙札を作る。
品名。
産地。
美保へ持ち込んだ商人の出身地。
仕入れ地。
購入価格。
聞き取った流通経路。
不明なところは不明と書く。
伝聞なら伝聞と記す。
保存できない魚介などについては、特徴を文章で残し、必要なら簡単な図を添えた。
「清盛館へ行けば、美保へ来なくとも、美保に何が集まっているのか分かるようにしたい」
少弐は札を書きながら言った。
隆景は箱の中を覗いた。
「なるほど」
少し考えてから笑う。
「少弐殿は美保で買い物をしているのではないのですな」
「と言いますと?」
「美保という港そのものを、兵庫津へ持って帰ろうとしておられる」
少弐は筆を止めた。
そして笑った。
「それはいい」
その言葉を気に入ったらしい。
「ならば、そうしましょう」
その夜、少弐は品物の整理を終えると、今度は海図を広げた。
昼間、商人や船頭から聞いた話をそこへ書き加えてゆく。
美保から隠岐。
美保から石見。
東へ向かえば伯耆、但馬、さらに若狭。
西へ向かえば石見から長門へ。
そしてその先には、つい先日、自ら船で通った関門海峡がある。
少弐は関門で記録した海図を隣へ置いた。
二枚を見比べる。
関門では潮そのものが道を支配していた。
美保では、いくつもの土地から来た船と品物が一つの港へ集まり、また散っていく。
性格のまるで違う二つの海だった。
それでも、つながっている。
「ここか……」
少弐は美保から西へ線を引いた。
石見。
長門。
関門。
その先は瀬戸内へ続く。
反対へ目を向ければ、但馬、若狭、さらに北国へと海路を伸ばすこともできる。
厳島で作り始めた模型地図にも、この海路を書き加えなければならない。
品物だけではない。
海図も。
聞き書きも。
港で聞いた商人たちの出身地も。
この旅で作る模型も。
すべて最後には兵庫津の清盛館へ収める。
そうすれば清盛館の一室には、少弐が実際に歩き、船で渡り、人から聞いて確かめた西国の姿が少しずつ出来上がっていく。
少弐は美保の港から聞こえてくる船乗りたちの声を聞きながら、もう一度筆を取った。
今度は海図の隅に小さく記した。
美保――諸国の物と人、ここに集まり、また海へ散る。
清盛館へ持ち帰るべきものは、珍しい品々だけではない。
この港を行き交う人々が知っている、海の道そのものだった。




