↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
879/1023

西へ――毛利元就への土産

天正元年九月末。


神戸の商いがようやく少弐冬明自身の手を離れ始めた。


京から来る注文は吉田兄弟が取り次ぐ。


神戸で荷を受け、仕分け、値を確認し、京や大和へ送り出す仕事については、四国から呼び寄せた者たちへ任せた。


少弐は帳面の山を眺めた。


香。


毛皮。


茶器。


鷹。


牙細工。


穀物。


酒。


紙。


注文そのものは増えている。


だが、それを少弐自身が一件ずつ処理していては意味がない。


「よし」


帳面を閉じた。


「本業に戻ろう」


少弐の本業は商人ではない。


氏治から任されたのは、西方艦隊と中国方面である。


そして今、神戸には異様なほど船が集まっていた。


四国方面に配備されていた艦隊を、今回の西方管区再編に合わせてほとんど引き上げてきたからである。


ならば一度、実際に西へ行くべきだった。


少弐は地図を広げた。


播磨。


備前。


備中。


安芸。


周防。


岩国。


石見。


そして出雲。


指が西へ動く。


「毛利だな」


中国方面を預かった以上、避けて通れない相手だった。


毛利と戦うためではない。


むしろ逆である。


まず会う。


話す。


何を考えているのかを見る。


そして毛利の領国そのものを見る。


少弐は旅程に希望を書き加えた。


岩国。


石見。


出雲大社。


軍事視察だけにするつもりはなかった。


土地を見る。


港を見る。


道を見る。


寺社を見る。


人が何を食べ、何を作り、何を売っているのかを見る。


北方を歩いたときと同じだった。


そこで少弐は、もう一人必要な人物を思い出した。


「イネスを借りるか」



---


勝手に連れ出すわけにはいかない。


少弐は佐野昌綱へ書状を送った。


中国方面へ赴き、毛利領を視察したい。


その際、土地の自然、植物、建築、寺社、衣食、風俗なども記録として残したいので、イネスを同行させたい。


佐野から許可が出ると、イネスが神戸へやってきた。


「今度はどこです?」


「西」


「それでは分かりません」


少弐は地図を見せた。


「まず毛利。そこから岩国を見たい。できれば石見、それから出雲大社」


イネスは地図を眺めた。


「また長くなりそうですね」


「今回は北方ほどではない」


「あなたは毎回そう言います」


少弐は聞かなかったことにした。


「記録を頼みたい」


地形。


港。


植物。


動物。


町。


寺社。


人々の服装。


道具。


そして目についたもの。


文章だけではなく、可能な限り挿絵にする。


イネスはすでに少弐の求める記録方法を理解していた。


「分かりました」


これで一人決まった。


次は毛利への土産だった。


少弐は倉へ向かった。


そこには北方交易によって手に入った品々の中から、保存・研究用に加工されたものも置かれていた。


その中に、


虎の標本


がある。


北方・大陸方面から入手した虎皮や資料をもとに、いくつか作らせていた標本の一つだった。


少弐はそれを見上げた。


「これにしよう」


毛利元就ほどの人物なら、普通の刀や馬を持っていっても面白くない。


虎そのものを見た者は少ない。


まして、姿を留めた標本となれば別である。


「一つ毛利殿へ贈る」


周囲が少し驚いた。


標本は数が多くない。


だが少弐は構わなかった。


これは単なる贈答ではない。


頼み事をするための品でもある。



---


毛利へ送る書状には、妙なことを書いた。


まず西方管区を預かることになった挨拶。


今後、中国方面で互いの船や商人が行き交う以上、一度直接会って話をしたいこと。


そこまでは普通だった。


その後が少弐だった。


――毛利殿の御領内を、見せていただきたい。


城だけではない。


港。


町。


街道。


石見。


そして可能なら出雲方面。


さらに出雲大社にも参詣したい。


同行者には記録を取らせたい。


少弐は隠さなかった。


軍事機密を盗み見るつもりではない。


見せられないところは見せなくていい。


その代わり、見せてもよい中国地方を自分の目で見たい。


最後に贈答品について記した。


――北方より得た虎を標本としたものがございます。


――いくらか作らせたうちの一つを、御挨拶の品として献上いたしたく存じます。


書状を読み返した少弐は、


「これでいい」


と封をした。


普通なら中国方面の責任者が大艦隊を率いて毛利領へ向かうとなれば、それだけで緊張が走る。


だからこそ先に知らせる。


戦うためではない。


会うために行く。


そして、


あなたの国を見せてほしい。


その意思を明確にした。



---


出航の日。


神戸の沖には西方艦隊の船影が並んだ。


四国から集められた艦隊の多くがここにいる。


イネスは甲板からそれを見回した。


「これで『見学に来ました』と言うのですか?」


「そうだ」


「説得力があります?」


少弐も海を見た。


「だから虎を持っていく」


「虎で解決する問題でしょうか」


「元就殿なら笑ってくれるだろう」


「会ったことがあるのですか?」


「ない」


イネスは黙った。


少弐は西を向いた。


これまで北へ行った。


朝鮮へ行った。


琉球へ行った。


今度は中国地方である。


その先には毛利がいる。


さらに尼子の残党がいる。


そして、いずれ織田もこちらへ手を伸ばしてくる。


だからこそ、戦になる前に見ておきたかった。


毛利元就とは、どんな男なのか。


毛利の国とは、どんな土地なのか。


少弐は出航を命じた。


目指すは西。


虎の標本と記録帳を積み、


少弐冬明は初めて、毛利元就の領国へ向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。