京に耳を置く――吉田兄弟の取次
天正元年九月末。
山城で吉田兄弟との話を終えた少弐冬明には、本来ならまだ予定が残っていた。
このあと大和へ下り、興福寺と東大寺を訪ねる。
さらに帰路では摂津の住吉大社にも立ち寄る。
寺社には公家も武家も商人も集まる。
そこで顔の広い僧や神人を何人か紹介してもらい、京や大和で、
――誰が何を欲しがっているのか。
――どんな品が流行っているのか。
――珍しい品を探している者はいないか。
そうした話を拾って神戸へ知らせてもらうつもりだった。
山城で数人。
大和で数人。
摂津でも数人。
全部合わせて十人ほど協力してくれれば十分だろう。
少弐としては、その程度の計画だった。
ところが最初に訪ねた吉田兄弟との話で、予定が狂った。
以前、ライラが伊丹の剣友会へ参加した際、二月ほど参加の調整を手伝ってくれた兄弟である。
少弐は単純に、
「山城に顔の広い知人がいる」
くらいに考えていた。
その二人へ、
「京の寺社や公家の間で、神戸の品を欲しがる者がいれば注文を取り次いでほしい」
と頼んだ。
すると兄弟は、
「それなら父にも話しておきましょう」
と答えた。
少弐が何気なく、
「お父上は、そういう方面にお詳しいので?」
と尋ねたところで話がおかしくなった。
兄弟の父は吉田兼右。
吉田家そのものが持つ神道・朝廷・公家社会へのつながりを考えれば、少弐がこれから一軒ずつ寺社を回って作ろうとしていた縁より、遥かに大きな網へ話を通せる。
少弐はしばらく黙った。
「……興福寺、行かなくていいかな」
兄弟が笑った。
「行かれる御用がおありなら、もちろん」
「いや、人を紹介してもらおうと思っていただけなんです」
「東大寺にも?」
「はい」
「住吉にも?」
「……はい」
兄弟は顔を見合わせた。
少弐は頭を掻いた。
「十人くらい、話を聞いてくれる人が見つかればいいと思っていたんですよ」
「十人」
「十人です」
どうも話の規模が違う。
ここでさらに興福寺、東大寺、住吉大社まで回って同じ依頼をすれば、今度は少弐側が処理できなくなる可能性がある。
少弐は決めた。
「やめよう」
大和へ行くのをやめた。
住吉へ寄るのもやめた。
まず吉田家との話がどこまで広がるのかを見てからでいい。
少弐は予定を切り上げ、そのまま神戸へ帰った。
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帰り道で、少弐は吉田兄弟との役割を改めて考えた。
二人を神戸へ呼ぶつもりはない。
そもそも神戸へ来てもらっては意味がない。
京都にいるから価値がある。
公家がいる。
寺社がある。
武家も出入りする。
茶会がある。
香の席がある。
さまざまな人間が顔を合わせる。
吉田兄弟には、その中に今まで通りいてもらえばいい。
神戸から、
――北方から新しい毛皮が入った。
――朝鮮から変わった器が届いた。
――珍しい香がある。
――鷹が入る。
そんな知らせを京へ送る。
吉田兄弟は、興味を持ちそうな者がいれば話のついでに知らせる。
欲しがる者が現れれば、注文を取り次ぐ。
それだけだ。
値段や数量について確認が必要なら、文を神戸へ送る。
急ぐなら人を走らせる。
実物を見たい者がいれば、その家の使者が神戸へ来てもいい。
逆に少弐が京へ出向かなければならないほど重要な相手なら、そのときだけ少弐自身が動けばいい。
「これなら俺が毎回京へ行く必要がないな」
少弐はようやく、自分が欲しかった形を理解した。
吉田兄弟は商人ではない。
少弐の家臣にするわけでもない。
京都側の取次口になってもらうのである。
さらに吉田家の縁で協力してくれる者が増えたとしても、その者たちまで神戸へ集める必要はない。
僧なら寺にいる。
神人なら社にいる。
商人なら店を続ける。
公家に出入りする者なら、その関係をそのまま保ってもらう。
そこで聞いた話のうち、
「神戸なら用意できるのではないか」
というものだけ吉田兄弟へ流せばいい。
最後に注文をまとめ、神戸へ送る。
少弐が欲しかったのは人そのものではなかった。
京に置く耳だった。
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神戸へ戻った少弐は、すぐ渡辺を呼んだ。
「帰りましたか。興福寺はいかがでした?」
「行ってない」
「では東大寺は」
「行ってない」
「住吉大社は?」
「それも行ってない」
渡辺が怪訝な顔をした。
「何をしに山城へ行かれたので?」
「吉田兄弟に会った」
「それだけで?」
「それだけで予定が終わった」
少弐は事情を説明した。
吉田家の名前が出たところで、渡辺も事情を察した。
「……それなら、まず様子を見るべきでしょうな」
「だろう?」
少弐は注文帳を広げた。
問題は京都ではなく、むしろこちらになった。
京から注文が増えれば、それを受けるのは神戸である。
商品を探す。
買い付ける。
必要なら加工する。
値を決める。
梱包する。
船や荷車を手配する。
そして京へ送る。
「京都から人が来るわけじゃない」
少弐は言った。
「文と注文が来る」
渡辺が頷く。
「では、こちらがそれを捌けるようにしておかねばなりませんな」
「そういうことだ」
少弐が神戸へ急いで戻った本当の理由はそこだった。
吉田兄弟がどれほど注文を拾ってくるか、まだ分からない。
だが少なくとも近衛家と鷹司家だけを相手にしていた頃より増える。
ならば先に販路と供給を太くする。
少弐は神戸の商人たちを呼んだ。
京へ安定して送れる品を確認する。
米。
麦。
豆。
酒。
塩。
油。
紙。
蝋燭。
布。
干物。
薪炭。
坂東で余り始めた穀物や畜産物も、西へ回せる。
これらは珍品ではない。
しかし毎日使う。
一方で利益の大きな品も扱う。
香。
茶器。
毛皮。
鷹。
牙細工。
異国の武具。
珍しい調度。
こちらは数こそ出ないが、一度の商いが大きい。
少弐は二つを組み合わせることにした。
珍品だけに頼れば、注文が途切れたとき商いも止まる。
日用品だけなら神戸まで珍品を集める意味が薄れる。
日々売れる品で商いを支え、珍品で大きく稼ぐ。
そうすれば、これから神戸で増える商人、職人、荷役、加工を担う者たちも食っていける。
さらに少弐は、荷を一方通行にしないよう命じた。
神戸から京へ商品を送る。
帰りの荷車には京の商品を積む。
大和方面と取引するなら、奈良の商品を神戸へ持ってくる。
それを今度は船へ載せ、淡路、四国、中国方面、あるいは坂東へ流す。
空荷で帰らせない。
船も荷車も人も、往復で銭を生むようにする。
数日かけてそれを確認し、少弐はようやく清盛館へ戻った。
腰を下ろす。
「……これなら大丈夫か」
渡辺が笑った。
「吉田殿たちから、まだ一件も注文は来ておりませぬぞ」
「来てから慌てるよりいい」
少弐は横になった。
本当なら今ごろ大和にいたはずだった。
興福寺を訪ね、
東大寺を訪ね、
帰りに住吉大社へ寄っていたはずである。
それが山城で吉田兄弟に一つ頼み事をしただけで、全部取りやめになった。
少弐は天井を見ながら呟いた。
「十人くらい欲しかっただけなんだがな……」
だが結果として、もっと面白い仕組みが生まれようとしていた。
少弐が京へ行くのではない。
吉田兄弟も神戸へ来ない。
京都で注文が生まれ、文と人だけが神戸との間を往復する。
京には耳を置く。
神戸には品を置く。
そして両者の間を、情報と商品だけが行き交う。
近衛家と鷹司家へ自ら珍品を持ち込むところから始まった少弐の商売は、ようやく少弐本人が歩き回らなくても動く形へ変わり始めていた。




