老将、息子を連れてくる
天正元年――元亀四年、七月。
京で行われた西方・南方の管区を定める評定が終わると、那須資忠と佐野昌綱はそれぞれの持ち場へ帰っていった。
那須は四国へ。
大友と島津を見据える南方を預かる以上、長く京に留まってはいられない。
佐野もまた山城・大和方面へ戻った。
本人が望んだ通り、これからは艦隊から手を離し、対織田を中心とする陸の備えに集中する。
少弐冬明も神戸へ戻った。
西方艦隊の責任者となり、紀伊・淡路を管区として預かる。
もっとも、神戸へ戻ったところで暇になるはずもない。
清盛館には連日のように船頭、商人、武将、役人が出入りしていた。
そんなある日のことである。
「筑前守殿。客人です」
「誰だ?」
「松永様でございます」
少弐は筆を止めた。
「松永殿?」
評定が終わったばかりである。
何か伝え忘れたことでもあったのかと思った。
ところが、
「お一人ではございません」
という。
少弐が玄関へ出ると、見慣れた老人が立っていた。
松永久秀である。
すでに六十を越えているというのに、立ち姿にはまだ妙な張りがある。
そして、その隣に一人の男がいた。
久秀よりはるかに若い。
だが親子と言われれば、どことなく似ている。
久秀は少弐の顔を見るなり、
「突然参ってすまぬな、筑前守殿」
と笑った。
「それは構いませんが……」
少弐の視線が隣の男へ移る。
久秀はそれに気づいた。
「うむ。そのために来た」
そして男を前へ出す。
「倅だ」
少弐が目を瞬かせた。
久秀は何でもないことのように言った。
「松永久通と申す」
久通が頭を下げた。
「松永久通にございます。父より筑前守殿のことは聞いております」
少弐も頭を下げる。
「少弐冬明です」
そう答えてから、少弐は久秀を見る。
「わざわざ息子殿を紹介するために神戸まで?」
「それもある」
久秀は悪びれない。
「まあ、座って話そうではないか」
まるで自分の館のように言う。
少弐は苦笑した。
「どうぞ」
三人は清盛館の座敷へ移った。
冷やした水と茶が運ばれてくる。
七月の神戸は暑い。
海から風が入ってくるとはいえ、じっと座っていても汗が滲む。
久秀は茶を一口飲むと、さっそく本題へ入った。
「先日の評定で、某は筑前守殿の下につくこととなった」
「下といっても、名目でしょう」
「名目は大事だぞ」
久秀が笑った。
「誰が最後に決めるか。それが分からぬ組織ほど面倒なものはない」
少弐は少し意外そうに久秀を見た。
もっと反発するかと思っていた。
久秀ほどの経歴を持つ男である。
三好長慶の時代から畿内政治の中心を渡り歩いてきた。
その男が、三十ほど年下の少弐の副責任者となったのだ。
だが久秀自身は、あまり気にしていないようだった。
「某ももう若くない」
久秀は扇を開いた。
「船に乗って中国まで駆け回れと言われても困る」
「私も腰が悪いので、あまり駆け回りたくありませんが」
「ならば二人とも人を使えばよい」
久通がわずかに笑った。
少弐も笑う。
久秀はそこで息子を見た。
「だから、こいつを連れてきた」
「久通殿を?」
「うむ」
久秀は扇で久通を示した。
「淡路のことを某一人に覚えさせても仕方あるまい」
少弐は黙って聞く。
「某は六十五だ」
久秀はさらりと言った。
「十年後も同じように働いていると思われては困る」
「十年働くつもりなのですね」
「そこではない」
久秀が少弐を睨んだ。
久通が今度ははっきり笑った。
「父上は、最近それを気にしております」
「余計なことを言うな」
久秀は咳払いした。
そして改めて少弐を見る。
「淡路を某に任せるというなら、倅にも今のうちから見せておきたい」
港。
水軍。
商人。
四国との往来。
紀伊との連絡。
そして神戸。
淡路は単独で成り立つ土地ではない。
西方管区の中に組み込まれて初めて、その価値が最大になる。
「それに」
久秀の声が少し低くなった。
「筑前守殿の顔も覚えさせておかねばならぬ」
少弐は久通を見る。
久通も少弐を見ていた。
「私の?」
「某が死んだ後、倅が『父から何も聞いておりませぬ』などと言い出したら困るだろう」
「父上」
久通が困った顔をする。
少弐は思わず吹き出した。
「ずいぶん先の話をしますね」
「六十五にもなれば、先ではない」
久秀だけは笑わなかった。
それで少弐も少し真面目になる。
これは単なる親子の挨拶ではない。
久秀は自分の後を考え始めている。
評定によって西国の役割が整理された今だからこそ、息子を少弐へ引き合わせたのだ。
松永家が淡路で何を担うのか。
少弐とどう付き合うのか。
自分がいなくなった後も、それを続けられるのか。
その確認である。
少弐は久通へ向き直った。
「では久通殿」
「はい」
「今日は清盛館だけでなく、港も見ていかれますか」
久通が少し驚く。
「よろしいので?」
「むしろ見てもらったほうがいいでしょう」
少弐は立ち上がった。
「淡路を預かるなら、向こう岸に何があるか知ってもらわないと困ります」
久秀が満足そうに笑った。
「ほれ」
久通を見る。
「こういう男だ」
「どういう意味です?」
少弐が尋ねる。
「話が早いということだ」
三人は清盛館を出た。
夏の日差しの向こうに、神戸の港が広がっている。
商船。
軍船。
荷を運ぶ人足。
新しく建てられた蔵。
そして海の向こうには淡路がある。
久秀は港を眺めながら、息子へ言った。
「よく見ておけ」
久通が父を見る。
「これから我らが見るのは城だけではない」
久秀は海を指した。
「あの船が行く先までが、仕事になる。」
少弐は何も言わず、その言葉を聞いていた。
六十五歳の松永久秀が、息子を連れて清盛館へやって来た。
それは単なる挨拶ではなかった。
西国の新しい仕組みの中へ、松永家そのものを組み込むための最初の一歩だった。




