↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
871/1023

老将、息子を連れてくる

天正元年――元亀四年、七月。


京で行われた西方・南方の管区を定める評定が終わると、那須資忠と佐野昌綱はそれぞれの持ち場へ帰っていった。


那須は四国へ。


大友と島津を見据える南方を預かる以上、長く京に留まってはいられない。


佐野もまた山城・大和方面へ戻った。


本人が望んだ通り、これからは艦隊から手を離し、対織田を中心とする陸の備えに集中する。


少弐冬明も神戸へ戻った。


西方艦隊の責任者となり、紀伊・淡路を管区として預かる。


もっとも、神戸へ戻ったところで暇になるはずもない。


清盛館には連日のように船頭、商人、武将、役人が出入りしていた。


そんなある日のことである。


「筑前守殿。客人です」


「誰だ?」


「松永様でございます」


少弐は筆を止めた。


「松永殿?」


評定が終わったばかりである。


何か伝え忘れたことでもあったのかと思った。


ところが、


「お一人ではございません」


という。


少弐が玄関へ出ると、見慣れた老人が立っていた。


松永久秀である。


すでに六十を越えているというのに、立ち姿にはまだ妙な張りがある。


そして、その隣に一人の男がいた。


久秀よりはるかに若い。


だが親子と言われれば、どことなく似ている。


久秀は少弐の顔を見るなり、


「突然参ってすまぬな、筑前守殿」


と笑った。


「それは構いませんが……」


少弐の視線が隣の男へ移る。


久秀はそれに気づいた。


「うむ。そのために来た」


そして男を前へ出す。


「倅だ」


少弐が目を瞬かせた。


久秀は何でもないことのように言った。


「松永久通と申す」


久通が頭を下げた。


「松永久通にございます。父より筑前守殿のことは聞いております」


少弐も頭を下げる。


「少弐冬明です」


そう答えてから、少弐は久秀を見る。


「わざわざ息子殿を紹介するために神戸まで?」


「それもある」


久秀は悪びれない。


「まあ、座って話そうではないか」


まるで自分の館のように言う。


少弐は苦笑した。


「どうぞ」


三人は清盛館の座敷へ移った。


冷やした水と茶が運ばれてくる。


七月の神戸は暑い。


海から風が入ってくるとはいえ、じっと座っていても汗が滲む。


久秀は茶を一口飲むと、さっそく本題へ入った。


「先日の評定で、某は筑前守殿の下につくこととなった」


「下といっても、名目でしょう」


「名目は大事だぞ」


久秀が笑った。


「誰が最後に決めるか。それが分からぬ組織ほど面倒なものはない」


少弐は少し意外そうに久秀を見た。


もっと反発するかと思っていた。


久秀ほどの経歴を持つ男である。


三好長慶の時代から畿内政治の中心を渡り歩いてきた。


その男が、三十ほど年下の少弐の副責任者となったのだ。


だが久秀自身は、あまり気にしていないようだった。


「某ももう若くない」


久秀は扇を開いた。


「船に乗って中国まで駆け回れと言われても困る」


「私も腰が悪いので、あまり駆け回りたくありませんが」


「ならば二人とも人を使えばよい」


久通がわずかに笑った。


少弐も笑う。


久秀はそこで息子を見た。


「だから、こいつを連れてきた」


「久通殿を?」


「うむ」


久秀は扇で久通を示した。


「淡路のことを某一人に覚えさせても仕方あるまい」


少弐は黙って聞く。


「某は六十五だ」


久秀はさらりと言った。


「十年後も同じように働いていると思われては困る」


「十年働くつもりなのですね」


「そこではない」


久秀が少弐を睨んだ。


久通が今度ははっきり笑った。


「父上は、最近それを気にしております」


「余計なことを言うな」


久秀は咳払いした。


そして改めて少弐を見る。


「淡路を某に任せるというなら、倅にも今のうちから見せておきたい」


港。


水軍。


商人。


四国との往来。


紀伊との連絡。


そして神戸。


淡路は単独で成り立つ土地ではない。


西方管区の中に組み込まれて初めて、その価値が最大になる。


「それに」


久秀の声が少し低くなった。


「筑前守殿の顔も覚えさせておかねばならぬ」


少弐は久通を見る。


久通も少弐を見ていた。


「私の?」


「某が死んだ後、倅が『父から何も聞いておりませぬ』などと言い出したら困るだろう」


「父上」


久通が困った顔をする。


少弐は思わず吹き出した。


「ずいぶん先の話をしますね」


「六十五にもなれば、先ではない」


久秀だけは笑わなかった。


それで少弐も少し真面目になる。


これは単なる親子の挨拶ではない。


久秀は自分の後を考え始めている。


評定によって西国の役割が整理された今だからこそ、息子を少弐へ引き合わせたのだ。


松永家が淡路で何を担うのか。


少弐とどう付き合うのか。


自分がいなくなった後も、それを続けられるのか。


その確認である。


少弐は久通へ向き直った。


「では久通殿」


「はい」


「今日は清盛館だけでなく、港も見ていかれますか」


久通が少し驚く。


「よろしいので?」


「むしろ見てもらったほうがいいでしょう」


少弐は立ち上がった。


「淡路を預かるなら、向こう岸に何があるか知ってもらわないと困ります」


久秀が満足そうに笑った。


「ほれ」


久通を見る。


「こういう男だ」


「どういう意味です?」


少弐が尋ねる。


「話が早いということだ」


三人は清盛館を出た。


夏の日差しの向こうに、神戸の港が広がっている。


商船。


軍船。


荷を運ぶ人足。


新しく建てられた蔵。


そして海の向こうには淡路がある。


久秀は港を眺めながら、息子へ言った。


「よく見ておけ」


久通が父を見る。


「これから我らが見るのは城だけではない」


久秀は海を指した。


「あの船が行く先までが、仕事になる。」


少弐は何も言わず、その言葉を聞いていた。


六十五歳の松永久秀が、息子を連れて清盛館へやって来た。


それは単なる挨拶ではなかった。


西国の新しい仕組みの中へ、松永家そのものを組み込むための最初の一歩だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。