北海の種、官位となって返る
評定を終えた少弐冬明は、そのまま伊丹にしばらく留まった。
神戸――兵庫津へ使いを走らせ、清盛館の蔵からいくつか荷を送らせたのである。
戦のための鉄砲でも、兵糧でもない。
北方から持ち帰った珍品だった。
鷹。
チョルガル方面から入ってきた虎皮。
セイウチの牙を削り、柄や鞘に細工を施した小刀。
そして、ラッコの毛皮で仕立てた外套。
どれも売れば相当な値がつく。
だが少弐は売らなかった。
「まずは献上する」
そう言って、京へ向かった。
狙いは単純だった。
以前、氏治公の婚姻をめぐって接点のできた鷹司家。
そして、かつて佐野昌綱が交流を持った近衛家。
まずは高位の公家へ北方の品を入れてみる。
誰が何に目を留めるか。
鷹なのか。
虎皮なのか。
セイウチの牙なのか。
それともラッコなのか。
少弐自身の目で確かめたかった。
「商人に任せれば、売れた、売れなかったという話しか返ってこないからな」
少弐はそう考えていた。
ならば自分で持っていけばよい。
もっとも、公家の屋敷を訪れておきながら、少弐の話は商売らしい商売にはならなかった。
鷹を見せれば、
「北ではもっと大きな鳥もおります」
という話になる。
虎皮を広げれば、
「これは大陸の北のほうから流れてきたものでしてな」
となる。
セイウチの牙を見せれば、当然、
「そのセイウチとは何じゃ」
と聞かれる。
すると少弐は嬉々として話し始めた。
「海にいる、でかい獣です。口からこんな牙を二本生やしております」
手で大きさまで示す。
そこから話は宗谷へ飛び、樺太へ飛び、さらに大陸沿岸へ飛んだ。
朝鮮にも行った。
琉球にも行った。
北では海が凍る。
見たこともない獣がいる。
言葉の違う者たちと酒を飲み、煙草を吸い、交易の話をした。
熊を追った話までした。
難しい外交報告にはしない。
失敗した話を混ぜる。
寒さに震えた話。
食べ物の作法を間違えそうになった話。
言葉が分からずシレトクに助けられた話。
「それで虎には会うたのか」
そう聞かれると、少弐は真顔で答えた。
「皮になってから会いました。生きているうちは遠慮いたします」
座が笑いに包まれる。
近衛家でも似たようなものだった。
こちらでは朝鮮の話が受けた。
王都の書庫。
向こうの学者。
麒麟について調べたこと。
さらに北へ行けば、一本の長い角を持つ海獣がいるらしいという話。
セイウチの牙の小刀を手に取りながら、公家たちは少弐の話を聞いた。
少弐は満足だった。
反応は十分に見られた。
鷹には鷹の客がいる。
虎皮には虎皮の客がいる。
そしてラッコの毛皮には、明らかに強い興味を示す者がいた。
――これはいける。
少弐の頭の中では、すでに兵庫津から京へ流す北方交易品の値段と量が組み立てられ始めていた。
帰り際にも注文は取らなかった。
「また面白いものが入りましたら、お持ちいたします」
それだけだった。
売るのは後でいい。
まず欲しがらせる。
高位の公家が使えば、それを見た者が欲しがる。
公家が欲しがれば大名が真似る。
大名が欲しがれば堺の商人が動く。
「種は蒔いた」
少弐は満足して伊丹へ戻った。
ところが――。
その種は、少弐が予想もしなかった方向へ芽を出した。
翌月。
兵庫津の清盛館へ、坂東から氏治の書状が届いた。
「氏治公から?」
少弐は何気なく封を切った。
以前、氏治から尋ねられていたことがあった。
――冬明、お前もあちこちへ使いに出る。欲しい官位はないか。
朝鮮、琉球、西国、北方。
確かに何の肩書もないよりは、朝廷から正式な官位官職を受けていたほうが外交では便利だった。
そこで少弐も希望を伝えていた。
大したものではない。
従六位下・筑前介。
それくらいあれば十分だと思っていた。
少弐という姓で筑前介を名乗れば、九州や対馬方面へ出た際にも格好がつく。
氏治なら多少話を通してくれるだろう。
その程度に考えていた。
書状を読む。
少弐の目が止まった。
もう一度読む。
「……ん?」
顔を近づける。
読み間違いではない。
少弐は最初から読み直した。
やはり同じだった。
従五位上。
そして、
筑前守。
少弐冬明、従五位上筑前守。
「…………」
しばらく黙った。
「高くないか?」
誰にともなく呟いた。
筑前守だけならまだ分かる。
氏治が、
――介では半端だから守にしてやろう。
くらいのことを考えたのかもしれない。
あの人ならやる。
だが問題は、その前だった。
「従五位上?」
もう一度見る。
やはり従五位上。
「俺は従六位下と言ったんだぞ」
そこへシレトクがやってきた。
少弐が難しい顔で書状を睨んでいるので、何事かと思ったらしい。
「戦か?」
「違う」
「誰か死んだか?」
「違う」
「では何だ」
少弐は書状を見せた。
シレトクには官位の細かな意味までは分からない。
「偉くなったのか?」
「……偉くなった」
「なら、よかったではないか」
「よくない」
シレトクが首を傾げた。
「なぜだ」
「頼んだものより上が来た」
「よいことではないか」
「だから困っているんだ」
少弐自身、何に困っているのか説明しながら分からなくなってきた。
さらに京から事情を知らせる書状が届いた。
それを読んで、ようやく少弐にも何が起こったのか見えてきた。
氏治が少弐の叙任について朝廷へ働きかけた。
当初、氏治としても筑前守あたりまで引き上げてやれれば十分だと考えていたらしい。
ところが話を通してみると、反応が予想以上によかった。
――少弐冬明とは、先ごろ鷹司家を訪れた、あの者か。
――近衛家でも北海の話をした男であろう。
――朝鮮へ渡ったという者か。
――蝦夷よりさらに北へ行ったとも聞く。
名前が知られていた。
少弐本人は商品を売り込んでいるつもりだった。
しかし公家たちは同時に、
少弐冬明という人物そのものを見ていた。
朝鮮へ赴いた。
琉球へ赴いた。
蝦夷、樺太へ渡った。
北方の民と直接交わった。
異国の言葉を使う。
海路を知る。
そして珍しい北方の産物を実際に京まで持ってくる。
単なる地方武士ではない。
小田家が外へ送り出す使節として、それなりの格を与えてもよいのではないか。
そんな空気が生まれた。
そこへ鷹司家と近衛家との縁まで重なった。
氏治が押した。
公家側も拒まなかった。
むしろ、
――それならば。
と一段上へ話が進んだ。
結果が、
従五位上・筑前守。
だったのである。
少弐は書状を畳んだ。
しばらく黙っていた。
そして、
「俺はラッコの毛皮を売りたかっただけなんだがなあ」
ぽつりと言った。
シレトクが笑った。
「毛皮が官位になったのか」
「そんな交易があるか」
だが、否定しきれない。
氏治からの書状の末尾には、いかにも氏治らしい言葉があった。
――冬明。
――お前が京で何をしたのか知らぬが、思ったより話が早く進んだ。
少弐は苦笑した。
「氏治公も分かってなかったのか」
続きを読む。
――先方の覚えもよい。
――もらえるものは、もらっておけ。
少弐は天井を見上げた。
「簡単に言うなあ……」
だが辞退する理由もない。
これから西国へ行く。
九州へ行く。
朝鮮へも再び渡るかもしれない。
従五位上筑前守という肩書は、間違いなく役に立つ。
何より「筑前守」という官職は、少弐という名と妙に馴染んだ。
少弐は最後には諦めたように笑った。
「まあ……もらえるものは、もらっておくか」
「そうしろ」
「お前、氏治公と同じことを言うな」
少弐が京へ持ち込んだ北海の品々。
鷹。
虎皮。
セイウチの牙。
ラッコの毛皮。
それらは本来、新しい商いを始めるために蒔いた種だった。
実際、その種もやがて芽を出すだろう。
しかし最初に返ってきたものは、銭でも注文書でもなかった。
従五位上筑前守。
北海の商品を京へ売り込もうとした男は、知らぬ間に自分自身を京へ売り込んでいたのである。




