伊丹総評定――少弐が欲した海と官位
元亀四年――一五七三年六月。
和議が成立してから数日。
少弐冬明と黒田孝高は、そのまま伊丹に留まっていた。
戦は終わった。
だが、戦後に誰をどこへ置き、誰の働きをどう報いるかが残っている。
そこで小田氏治をはじめ、坂東諸氏とその代理が集まり、畿内における戦後の総評定が開かれた。
最初に決められたのは、新しく定まった境界の守りだった。
大和東方の名張口には新たな城を築く。
そこには北畠教具を入れ、その周辺にも北畠一門を配置することになった。
伊勢・伊賀方面から大和へ通じる東の入口を、一門をもって固める。
北方、比叡山方面については事情が違った。
比叡山そのものは今回の和議で中立地帯となった。
ゆえに山へ直接兵を入れるのではなく、その手前を固める。
佐野昌綱の配下である荒木らに加え、今回の戦いで調略した三雲らを配置することになった。
大和北方の奈良口にも新たな城を築く。
いずれも境界付近への築城については、今回の和議で正式に認めさせている。
一方、丹波方面は大きく勢力線を動かさない。
戦後の防衛配置が一通り決まると、評定はいよいよ論功へ移った。
氏治が少弐を見た。
「冬明」
「はい」
「お前は好きな褒美を取れ」
少弐は少し目を丸くした。
氏治は続ける。
「羽柴秀吉を退却させた。森可成を討ち取り、堀ら美濃衆をはじめ信長麾下の者たちまで捕らえた。兵庫津も守った」
もちろん少弐一人の戦功ではない。
黒田孝高の策があった。
赤井直正の武があった。
赤木甚兵衛、阿波辺岩蔵、シレトクらが働き、虎衆と鷹衆が山野を駆けた。
だが、その者たちを束ねて戦った少弐に大きな恩賞を与えることには、誰も異論を唱えなかった。
「土地でも金でもよい」
氏治は言った。
「望むものを言え」
少弐はしばらく考えた。
そして、
「では――室蘭」
と言った。
「室蘭?」
「はい」
評定の者たちが少弐を見る。
「室蘭と、それより北で我々が開いた港。それから、そこに置いた商家や商館を今後も利用し、管理できることを正式に認めてください」
一本、指を立てる。
「それから、新しく開いた明川と水府坊」
もう一本。
「この二つも俺の管理・管轄として追認してほしいです」
氏治は黙って聞いている。
「次に朝鮮」
「まだあるな」
「もちろん」
少弐は平然と続けた。
「朝鮮との外交と交易について、俺を氏治公の正式な代理人として認めてください」
今までも事実上そうしてきた。
だが今後は違う。
少弐個人が勝手に外国と話をしているのではなく、小田氏治から権限を預けられた者として交渉する。
「対馬もお願いします」
「対馬を領地にするのか?」
「いりません」
少弐は首を振った。
「もう少弐との関係ができています。その影響関係を坂東として正式に追認してくれれば、それでいいです」
そして五島。
こちらも同じだった。
「五島はこれから在地の水軍衆と交渉します」
港を使わせてもらう。
補給を受ける。
交易に参加してもらう。
西方艦隊との協力関係も作る。
だが土地を取り上げて直接支配するつもりはない。
「向こうが俺たちとの関係を選んだら、それを氏治公にも認めてもらいたい」
つまり、
征服してから承認を求めるのではない。
まず現地と話をする。
関係を作る。
その実態を坂東の公的な関係として追認してもらう。
対馬でやったことを、五島でもやろうとしている。
「それから琉球」
少弐は続けた。
「琉球についても、俺を氏治公の代理人として公認してください」
室蘭。
北方諸港。
明川。
水府坊。
朝鮮。
対馬。
五島。
琉球。
一見すると、とんでもない範囲だった。
しかし黒田には、少弐が何を欲しがっているのか分かった。
領土ではない。
海の道である。
少弐が自分の足で歩き、船で渡り、人と会い、少しずつ結んできた港と交易路。
それを今度は坂東の制度の中へ組み込もうとしている。
氏治は呆れたように言った。
「好きな褒美を取れとは言ったが」
「はい」
「ずいぶん欲張ったな」
「だめですか?」
少弐は笑った。
氏治も苦笑する。
「まだあるのか?」
すると少弐は少しだけ姿勢を正した。
「……もう一つ」
「まだあるのか」
「最後です」
「言ってみろ」
少弐は少し間を置いてから言った。
「官位が欲しいです」
今度は評定の空気が変わった。
「官位?」
氏治も意外そうだった。
「はい」
「朝鮮や琉球へ行くためか?」
「それもあります。でも、今すぐ一番使いたいのは別です」
少弐は黒田を見る。
黒田には何となく察しがついた。
少弐は説明した。
「これから京、大和、摂津の公家や寺社に食い込みたいんです」
何人かが眉を上げた。
「商いで?」
「はい」
北方からは虎皮、ラッコやテンの毛皮、セイウチの牙、鷹。
朝鮮からは人参などの薬材、白磁、仏教関係の書物や仏像。
琉球からは砂糖や香木。
それらをただ市場へ並べるのではない。
欲しがる者へ直接売る。
とりわけ書物、仏具、香木、珍しい舶来品などは、公家や寺社が重要な顧客になる。
「でも俺がいきなり門前へ行って」
少弐は少し声色を変えた。
「『北から珍しい毛皮を持ってきました。朝鮮の本もあります。琉球から香木も入ります。買いませんか』」
少弐は自分で言ってから首を振った。
「怪しいでしょう」
評定の席から笑いが漏れた。
「少弐の名だけでも通じるところは増えました。でも、それと公の信用は別です」
公家と継続して付き合う。
大寺院へ出入りする。
高価な香木を扱う。
朝鮮から持ち込んだ書物を売る。
珍品を見せ、次に欲しいものを聞く。
そうした商売を続けるなら、単なる船乗りでも商人でもない、公に身分を保証された者だと一目で分かる肩書が欲しい。
「官位があれば、少なくとも最初の戸口が開きやすくなると思うんです」
氏治は少弐を見つめた。
「つまり、お前は官位まで商売に使う気か」
「使えるものは使います」
少弐は悪びれなかった。
「それに俺自身が売り歩きたいわけじゃありません」
シレトクや渡辺たちに、すでに命じている。
京、大和、摂津で、
珍品に金を出せる者を探せ。
誰が香木を好む。
どこの寺が朝鮮の仏書を欲しがる。
誰が虎皮を欲しがる。
誰が鷹に金を惜しまない。
そうした顧客を少しずつ把握していく。
「その時に俺の名を使わせます」
――これは少弐冬明が扱う品である。
――坂東の小田氏治から朝鮮・琉球との交易を任されている者である。
そして、
――朝廷から官位を受けている者である。
そこまで揃えば、初めて会う公家や寺社にも話を持ち込みやすくなる。
黒田が小さく頷いた。
「信用を買うための官位、ということですな」
「そう」
少弐は笑った。
「俺が偉そうにしたいわけじゃない」
そして少し考えて付け加える。
「……偉そうにできるなら、それはそれで便利ですけど」
今度は氏治まで笑った。
「結局使うのではないか」
「せっかくいただくなら」
笑いが収まると、少弐は改めて言った。
「港を開くだけじゃ商売になりません」
北方へ行った。
朝鮮へ行った。
琉球にも道をつけた。
だが品物を持って帰るだけでは足りない。
誰に売るのか。
そこまで作って初めて交易網になる。
「だから公家や寺社にも入りたい。香を売る。本を売る。珍しい物を見せる。そして次に何が欲しいか聞く」
少弐は氏治を見る。
「そのための信用が欲しいんです」
氏治はしばらく黙っていた。
好きな褒美を取れと言った。
少弐が欲しがったのは、大きな領地でも金銀でもなかった。
北方から琉球まで、自ら築いてきた影響圏の公認。
氏治の代理人として海の向こうと交渉する資格。
そして最後に――
京や大和の奥深くへ商いを入り込ませるための、朝廷からの官位。
氏治はとうとう笑った。
「分かった。朝廷には俺から話を出そう」
少弐も笑う。
「ありがとうございます」
「ただし、どの官位になるかまで好きに選べると思うなよ」
「え」
「そこまで欲張るな」
「……だめですか?」
また評定の席に笑いが起こった。
戦で得た最大の褒美を、少弐冬明は新しい領国には変えなかった。
代わりに彼が求めたのは――
海を動くための権限と、都の扉を開けるための信用だった。




