港を埋める船影
室蘭を発った少弐冬明は、今回は北の海をそのまま西へ抜ける航路を取らなかった。
南へ下り、一度坂東へ寄る。
北方で得た記録や品々の一部を預け、兵学館や大掾家に伝えるべきことを片づけると、ほとんど休む間もなく再び船に乗った。
そこから紀伊沖を回り、淡路を望みながら兵庫津――神戸へ入る。
「……なんだ、あれは」
最初に異変に気づいたのは、まだ港の建物がはっきり見えないほど沖にいる時だった。
帆柱が多い。
多いなどというものではない。
大小の帆が重なり、その向こうにも帆柱があり、さらにその奥にも船影がある。
「祭りでも始めたのか?」
少弐が冗談めかして言ったが、隣のシレトクも首を傾げた。
室蘭や樺太の海を見慣れた目には、なおさら異様だった。
漁船だけではない。
瀬戸内を往来する廻船、塩船、材木船、米を積んだ荷船。小型の快速船に、明らかに遠国から来た船まで混じっている。
沖で順番を待っている船さえあった。
「……俺がいない間に、港を増やしたんじゃなかったのか」
少弐は眉を寄せた。
増やしたはずなのである。
倉も建てた。
船着場も広げた。
須磨方面にも荷揚げ場所を分散させた。
それなのに、足りていない。
清盛館へ戻るころには、少弐は道の混雑にも気づいた。
荷車が行き交い、荷担ぎが怒鳴り、商人が帳面を抱えて走っている。軒先には見慣れぬ商人まで立っていた。
館へ入るなり、少弐は出迎えた黒田孝高を捕まえた。
「官兵衛」
「お帰りなさいませ」
「ただいま。それで、さっそく悪いが聞きたい」
少弐は親指で表を指した。
「あの船は何だ」
官兵衛は一瞬だけ黙った。
それから、いつもの落ち着いた顔で答えた。
「船でございます」
「それは見れば分かる」
シレトクが吹き出した。
官兵衛もわずかに口元を緩める。
「では、少々長くなります」
三人は清盛館の二階へ上がった。
窓を開ければ、兵庫津の海が見渡せる。
官兵衛はそこから港を指した。
「まず、あちら。沖に固まっておりますのが瀬戸内の廻船です。讃岐、阿波、伊予から来たものが多うございます」
「うん」
「その手前に塩船。さらに材木船。米船。それから播磨沿岸の小船。須磨へ回しているものもございます」
官兵衛の指が動く。
「あちらの少し大きな船は?」
「九州からです」
「九州?」
「はい。博多方面から参りました」
少弐の顔から笑みが消えた。
「……ずいぶん増えたな」
「増えました」
官兵衛はさらりと言った。
「堺へ直接入るより、ここで一度荷を下ろす商人が増えております」
「なぜだ」
「安いからです」
即答だった。
少弐は官兵衛を見る。
「倉賃、荷役、船の修理。それに少弐様が始められた信用貸し。さらに四国から塩、砂糖、紙が入る。播磨から炭、鉄、農具、刃物が出る。坂東船が東国の品を運んでくる」
官兵衛は指を折った。
「そのうえ毛利との約定以後、西から来る船が兵庫津を警戒しなくなりました」
少弐は黙った。
それは大きい。
以前なら兵庫津は、政治的には危うい土地だった。
織田と敵対するかもしれず、毛利ともどうなるか分からない。播磨国人の動向も定まらない。
ところが今は違う。
少弐が毛利と直接話をつけ、村上水軍との航路も安定し、坂東船が定期的に出入りする。
「つまり」
官兵衛が続ける。
「西から来た商人にとって、ここまでなら安心して来られる港になったのでございます」
少弐は腕を組んだ。
「それだけで、ああなるか?」
「まだございます」
「まだあるのか」
「むしろ、こちらのほうが大きいかもしれませぬ」
官兵衛は港の東側を指した。
「堺の商人が来ております」
「……堺から?」
「はい」
少弐は思わず窓際まで歩いた。
「堺の船が、堺へ行かず兵庫へ来ているのか」
「正確には、堺だけでは捌ききれぬ荷をこちらへ回しております」
それで少弐にも分かった。
「中継港になったのか」
「なり始めております」
官兵衛は頷いた。
兵庫津で荷を下ろす。
大きな船から小さな船へ積み替える。
逆に播磨や坂東、四国から集めた荷を兵庫津でまとめ、大船に載せて西へ送る。
船を修理する。
水と食料を補給する。
商談をする。
金を借りる。
倉へ預ける。
そしてまた出ていく。
港そのものが商売を生み始めていた。
「清盛公がここに港を造ろうとした理由が、少し分かった気がするな」
少弐が呟いた。
官兵衛は海を見ながら答えた。
「私も、この数月で分かりました」
「何が?」
「ここは港を造る場所ではございませぬ」
少弐が振り返る。
官兵衛は珍しく、少し楽しそうだった。
「放っておいても港になってしまう場所なのでございます」
少弐はもう一度、窓の外を見た。
船。
船。
船。
帆柱の林の向こうに、さらに新しい船が入ってくる。
「……官兵衛」
「はい」
「船着場、足りないだろ」
「足りませぬ」
「倉は」
「足りませぬ」
「人足は」
「足りませぬ」
「宿は」
「足りませぬ」
「道は」
「混んでおります」
「水は」
「いずれ足りなくなります」
少弐は額を押さえた。
北方から帰ってきたばかりだというのに、休ませてくれる気配がまるでない。
「俺が室蘭へ行っている間に、何をした」
すると官兵衛は平然と答えた。
「何も」
「何も?」
「はい。少弐様が以前に蒔いていかれたものが、勝手に芽を出しただけにございます」
少弐はしばらく官兵衛を見つめ――やがて笑った。
「……なら、刈るなよ」
「もちろん」
「もっと育てる」
その言葉を聞いて、官兵衛の目が細くなった。
少弐は港を見渡した。
「須磨だけじゃ足りん。有馬へ抜ける道も使う。兵庫津だけで全部抱えるな。荷によって港と倉を分けよう」
「御意」
「それから水だ。井戸と水路を先に調べろ。人が増えてからでは遅い」
「すでに調べさせております」
「……お前、本当に何もしてないのか?」
「少々は」
シレトクがとうとう声を上げて笑った。
少弐も笑うしかなかった。
北の果てから帰ってきてみれば、自分の港が自分の想像より先へ進んでいる。
だが――悪い気分ではなかった。
少弐は窓枠に手を置いた。
眼下では、また一隻、西から来た船が帆を畳み始めていた。
兵庫津は、もはや単なる少弐の拠点ではない。
東国と畿内。
四国と中国。
そして九州。
それらを結ぶ巨大な結び目へと、静かに姿を変え始めていた。




