北へ繋がった海――再び室蘭へ
明川で得た地図を巻き終えるころには、少弐の中で次の行き先は完全に決まっていた。
室蘭である。
須知左馬之助とニカン先生にとっては、とんでもない「ちょっとだけ北へ」だったが、少弐にとっては最初から半ば予定していた旅でもあった。
その証拠に、船には北方で使える交易品が積んである。
須知がそれに気づいたのは明川だった。
「少弐様」
「何?」
「なぜこれほど交易品を積んでこられたのです」
酒。
加工品。
布。
金物。
そのほか北へ持っていけば交換に使えそうな品が、対馬との交渉だけにしては多すぎる。
少弐は目を逸らした。
「どうせ北へ行くから」
「やはり最初から室蘭まで行くつもりだったのでは?」
「結果的には役に立っただろ」
答えにはなっていなかった。
ハウキが笑っている。
ニカン先生は、もう何も言わなかった。
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せっかく交易品を持っている。
そこで少弐は、明川でも一つ仕事をしておくことにした。
目をつけたのは、ここまで追ってきた虎だった。
水府坊で聞いた北方の虎。
明川では、さらに具体的な産地や交易経路を聞くことができた。
ならば話だけではなく、実物も欲しい。
少弐は交易品との交換で、現地に流れてきていた虎の品々を集めた。
皮。
牙。
爪。
頭蓋。
そして、姿を残すために加工された剥製。
すべて大量に買う必要はない。
目的は商品そのものより見本だった。
「これを持って帰って、加工を試してみよう」
須知が品々を確認する。
毛皮として売る。
牙や爪を装飾品にする。
頭蓋を珍品として扱う。
剥製なら寺社、公家、武家などへの贈答や見世物にも使えるかもしれない。
さらに職人へ渡せば、どこまで商品として加工できるか試せる。
少弐は虎皮の毛並みを指で確かめた。
「やっぱり似てるな」
「何にです?」
「チョルガルでもらったやつ」
以前、哲秀河――チョルガルで手にした虎の品だった。
色。
毛。
厚さ。
もちろん個体差はある。
だが、少弐の記憶にあるものとよく似ている。
「同じ辺りから来てるのかな」
ハウキも皮を触った。
「似てる」
少弐は頭蓋も眺めた。
「室蘭に着いたら比べよう」
北方で得た標本や記録と並べれば、もう少し分かるかもしれない。
そう考えて、虎の品々は丁寧に船倉へ収められた。
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そして船は、さらに北へ向かった。
朝鮮東北部から北方の海へ。
少弐たちにとって、まったく知らない海ではない。
以前とは逆だった。
かつては北から南へ土地を知っていった。
今回は南から北へ道を繋いでいる。
明川で作った地図と、以前の北方航路の記録を何度も広げた。
呼び名が違う。
距離もまだ怪しい。
それでも、虎皮の流れまで含めれば、南側の情報とチョルガル方面の情報が次第に重なっていく。
少弐は船内で明川から持ってきた虎皮をもう一度眺めた。
「帰ったらちゃんと並べよう」
チョルガルの虎。
明川へ流れてきた虎。
もし同じ交易圏の商品なら、今まで別々に見えていた北方交易と朝鮮交易が、陸でも海でも繋がることになる。
また一つ、調べたいものが増えた。
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やがて船は津軽海峡を抜け、北の海へ入った。
そして――
室蘭。
見慣れた湾が現れた。
少弐が甲板から眺めていると、ハウキが笑った。
「帰ってきた」
「そうだな」
少弐にとっても、もう室蘭は単なる旅先ではなかった。
商館がある。
知っている者たちがいる。
ここから北へ伸びる航路について、何度も話し合った場所でもある。
船が入ったという知らせが届くと、室蘭の長自らが少弐たちを迎えた。
「少弐!」
「お久しぶりです」
「来るなら知らせろ!」
「対馬へ行ったついでに」
長が少弐の顔を見る。
「対馬は室蘭の近くになったのか?」
ハウキが笑った。
須知は深く頷いた。
「私も同じことを申し上げました」
「ちょっと北へ来ただけなんだけどな」
「お前の『ちょっと』は信用ならん」
そう言いながらも、長は嬉しそうだった。
少弐の肩を叩き、一行をそのまま自分の家へ連れていった。
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その夜は宴になった。
魚。
肉。
酒。
久しぶりに会う者もやって来る。
少弐は明川から持ってきた品の話をし、南から北へ辿ってみるとチョルガルへ繋がりそうだったことを話した。
地図も広げた。
「これが明川」
少弐が指す。
「こっちから聞いた話を繋いでいくと――たぶんここ」
指が北方側の記録へ移る。
「哲秀河、チョルガルだ」
大掾側の者たちも地図を覗き込んだ。
南から得た情報と、北から調べた情報。
それが初めて一枚の卓上に並んだ。
明川で手に入れた虎皮も見せる。
「チョルガルでもらったものと似てるでしょう」
これは後日、標本や記録と詳しく比較することになった。
今夜は宴である。
少弐も酒を受け取った。
そして杯を重ねているうちに、少弐は見知った男がこちらへ来るのに気づいた。
大掾幹康だった。
「ちょうどよかった」
大掾はそう言って少弐の隣へ座った。
「何が?」
「お前に話しておきたいことがある」
少弐は酒の杯を置いた。
「北のこと?」
「それもある」
大掾は卓上に広げられた地図を見た。
チョルガル。
明川。
室蘭。
さらに北へ続く海。
そして言った。
「これからの海軍についてだ。」
少弐の顔から酔いが少し消えた。
「海軍?」
「今までと同じ船を増やすだけでは足りん」
大掾は新しい紙を引き寄せた。
「氏治公とも話している。北方艦隊も、西国の艦隊も、これから先へ行くなら作り方そのものを変える必要がある」
少弐は黙って聞いた。
対馬へ商館を作りに出ただけの旅だった。
そこから水府坊へ寄り、
明川へ行き、
虎を追い、
南北の地図を繋ぎ、
とうとう室蘭まで来た。
そしてその旅の最後に待っていたのは――
大掾幹康が構想する、次の海軍計画だった。
室蘭の長の家では、まだ宴の笑い声が続いている。
その片隅で大掾は新しい海図を広げた。
少弐も身を乗り出した。
北の夜は、まだ長かった。




