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湯治場の交代――久太郎を神戸へ

瀬戸内の船乗りたちとの話を終えると、少弐は一度有馬へ戻ることにした。


神戸で次の仕事を始める前に、人の配置を変えておきたかった。


目的は二つ。


須知左馬之助を連れ出すこと。


そして、その代わりに別所四十郎を有馬へ入れることだった。


有馬の湯治場へ着いてみると、少弐は意外な光景を見た。


堀久太郎が庭先にいた。


「……元気そうだな」


「おかげさまで」


負傷した当初とは見違えていた。


湯治が効いたのか、傷はほとんど癒えている。


歩くにも困らない。


飯も食える。


眠れる。


医師からも、無茶をしなければ日常生活へ戻ってよいと言われていた。


問題は別にあった。


暇だった。


少弐が尋ねる。


「毎日何してる?」


「湯に入っております」


「それ以外」


「庭を見ております」


「それ以外」


「……寝ております」


「暇だろ」


久太郎は答えなかった。


答えなくても顔を見れば分かった。


少弐は少し考えてから言った。


「神戸、行く?」


久太郎が顔を上げた。


「よろしいので?」


「町の中なら」


神戸は今、そこら中が工事現場だった。


鷺屋の蔵と問屋。


海老屋の造船所。


小西屋の移転準備。


阿波から譲り受けた古い和船の修繕。


瀬戸内からやって来る船乗りたちの住まい。


一日歩けば、昨日なかったものが何か一つ増えている。


暇を持て余す場所ではなかった。


「好きに歩いていいよ」


「……自由に?」


「神戸の中なら」


久太郎は少弐を見た。


「逃げても?」


「それは困る」


「では自由ではないでしょう」


「だから神戸の中なら、って言っただろ」


久太郎がわずかに笑った。


少弐も笑った。


ただし、条件が一つあった。


少弐は冗談めかしていた表情を少しだけ改めた。


「一人にはしない」


久太郎の表情が止まった。


「四十郎かシレトクをつける」


「見張りですか」


「そう思ってもいい」


少弐は否定しなかった。


「散歩してもいい。店を見てもいい。港へ行ってもいい。造船所を覗いてもいい。飯を食いに行ってもいい」


そして付け加えた。


「でも、一人にはならないでくれ」


理由を長々とは説明しなかった。


久太郎も聞かなかった。


自ら命を絶つことだけはさせない。


そのためだった。


「四十郎とシレトク、どっちがいい?」


久太郎が少し考えた。


「選べるのですか」


「交代でいいだろ」


少弐は別所四十郎を見た。


「頼める?」


四十郎は頷いた。


「構いませぬ」


次にシレトク。


「お前も」


「逃げたら?」


「捕まえて」


「海に飛び込んだら?」


「お前泳げるだろ」


「俺も飛び込むのか」


「頼む」


シレトクは呆れた顔をした。


「面倒な仕事を増やす男だ」


「給金出すから」


「ならやる」


久太郎が小さく笑った。


久しぶりに自然な笑いだった。



---


それから少弐は本来の用件に移った。


「左馬之助」


須知左馬之助が前へ出た。


「はい」


「今度は俺と来て」


「神戸へ?」


「まずはな」


これから少弐は交易を本格的に動かす。


朝鮮。


北方。


そして、いずれはもっと遠く。


須知にはその中で、品物だけでなく書物を買い付ける仕事を覚えてもらうつもりだった。


「四十郎と交代」


別所四十郎が眉を上げた。


「私はこちらに?」


「しばらく有馬と神戸」


少弐は四十郎を見る。


「久太郎も頼む」


四十郎は久太郎を見た。


「承知しました」


「それと神戸を見ておいて」


「何を?」


「全部」


「全部とは」


「港、蔵、商人、人足、船。俺がいない間に何が足りないか見つけて」


四十郎は苦笑した。


「随分曖昧な命でございますな」


「分からないから見てもらうんだよ」


少弐は須知を連れて立ち上がった。


これで交代だった。


須知左馬之助は少弐と行動する。


別所四十郎は有馬・神戸側へ。


そして堀久太郎には、神戸の中という限定付きながら自由を与える。


ただし必ず、四十郎かシレトクが傍にいる。


監視でもある。


護衛でもある。


そして何より、一人にしないためだった。



---


神戸へ向かう日。


久太郎は有馬を出るところで振り返った。


長く療養した湯治場だった。


「もう戻らなくても?」


少弐は久太郎の歩き方を見た。


「怪我が痛まなければね」


「では神戸では何をすれば?」


「好きにしていいって」


「何もしなくても?」


「いいよ」


少弐は少し考えた。


「でも多分、無理だと思う」


「何がです」


「暇になるのが」


神戸では朝から槌の音がする。


船が入る。


荷が下りる。


商人が怒鳴る。


船大工が木を削る。


知らない人間が毎日のようにやって来る。


そして少弐自身、まだ何が出来上がるのか完全には分かっていない。


「気になるものがあったら、勝手に首突っ込んでいいよ」


「それでよろしいので?」


「俺もそうしてるから」


久太郎は今度こそ笑った。


その少し後ろには四十郎がいた。


さらにシレトクが歩く。


自由ではある。


だが、一人ではない。


こうして傷の癒えた堀久太郎もまた、まだ完成していない神戸の町へ降りていくことになった。


少弐は須知左馬之助を伴い、その背中を見送った。


治す時間は終わった。


次は、それぞれが再び動き始める時間だった。

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