土地の代わりに、仕事を――横を歩く者
少弐と黒田官兵衛は、瀬戸内の浦々を訪ねていた。
求めているのは船だった。
そして、それ以上に人だった。
集まってくるのは若者ばかりではない。
三十、四十を越えた者も多かった。
船頭。
水主。
警固船に乗ってきた者。
荷を運んできた者。
潮を読み、島影を覚え、この海で何十年も飯を食ってきた者たち。
まだ働ける。
腕も鈍っていない。
だが、時代が変わり始めていた。
戦では坂東フリガッタが主力となり、大量の荷は坂東ガレオンが運ぶ。
兵学館や海兵学校で教育を受けた若者たちが士官として各地へ送り込まれ、新しい海軍の形が出来上がりつつある。
誰かに追い出されたわけではない。
ただ、自分たちの十年後が見えなくなっていた。
そんな一人が少弐に尋ねた。
「少弐様」
「はい」
「我らが神戸へ参ったとして、若い者を仕込めばよろしいので?」
少弐は首を振った。
「それは兵学館に任せます」
「では、我らは?」
「働いてください」
「働く?」
「はい。馬車馬みたいに」
官兵衛が横から小さく口を挟んだ。
「少弐殿。人を誘う言葉ではございませぬ」
「でも、本当に人が足りないんだよ」
男たちから笑いが起こった。
少弐も笑った。
「若い奴なら、俺が紹介状を書きます」
兵学館で学びたい。
航海術を覚えたい。
砲術を学びたい。
士官になりたい。
そういう若者には学ぶ場所がある。
「でも、今働ける人は違う」
少弐は男たちを見回した。
「船を動かせるでしょう」
頷く者がいる。
「潮も読める」
また頷く。
「知らない港にも入れる」
「場所による」
船頭の一人が答えた。
「それでいい」
少弐は笑った。
「分からなかったら、分かる奴を探せばいい」
そして、自分の隣を指した。
「だから俺の下には来なくていい」
ざわめきが止まった。
「下じゃなくて、ここが足りないんです」
少弐は自分の横をもう一度示した。
「今必要なのは、横を歩いてくれる仲間です。」
一緒に歩く。
一緒に船に乗る。
一緒に海を渡る。
異国の港へ入る。
そこで見たこともない品を見つける。
知らない言葉を聞く。
知らない人間と酒を飲む。
そして商売をして帰ってくる。
「俺より海を知ってるなら、船の上では俺に命令してください」
「殿にか?」
「船を沈められるよりいいでしょう」
また笑いが起きた。
「もちろん給金は払います」
「そこは大事だな」
「俺も大事だと思う」
笑い声がさらに大きくなった。
だが、その中で年嵩の船頭が少弐をじっと見ていた。
やがて尋ねた。
「少弐様」
「はい」
「朝鮮まで行くと言われたな」
「行きます」
「その先は?」
少弐は答えた。
「決めてない」
船頭が眉を上げた。
「決めておらぬ?」
「決めてない」
少弐はもう一度言った。
「どこまで行くかなんて、まだ決めてないんです」
朝鮮へ行く。
北へも行く。
琉球にも船を出す。
だが、その先は分からない。
少弐自身にも分からなかった。
「もちろん、儲かるところには行きたいですよ」
少弐は笑った。
「俺だって家族を食わせなきゃならない。儲からないより、儲かった方がいい」
それから少弐は、少し遠くを見るように海へ目を向けた。
「でも、それだけじゃないんです」
知らない土地がある。
知らない海がある。
知らない人間がいる。
何を食べているのか。
どんな船を造るのか。
どんな神を祀るのか。
どんな話を伝えているのか。
どんな本を書いているのか。
少弐は、それを知りたかった。
「俺はたぶん、知りたいんです」
「何を?」
「知らないものを」
答えになっているようで、なっていなかった。
だが少弐は続けた。
「海の向こうに何があるのか見たい」
水平線を指した。
「そこが地の果てかもしれない」
誰かが笑った。
「地の果てには何があります?」
「知らない」
少弐も笑った。
「極楽かもしれないし、地獄かもしれない。」
笑い声が少し小さくなった。
「何もないかもしれない。行って損するかもしれない。嵐に遭うかもしれない」
少弐は男たちを見た。
「それでも俺は見に行きたい」
静かになった。
これは仕官の誘いではなかった。
給金の話でもなかった。
少弐自身が、本当に行きたいのだ。
「だから――」
少弐は自分の横を叩いた。
「皆にも、そこまで一緒に来てほしい。」
朝鮮までではない。
琉球まででもない。
誰かが引いた地図の端まででもない。
「地の果てが極楽なのか地獄なのか、分からないところまで行ってみたい」
そして笑った。
「できれば極楽の方がいいけど」
何人かが吹き出した。
「でも、行かなきゃ分からないでしょう」
船頭が聞いた。
「何を探しに行くので?」
少弐は少し考えた。
銀。
香料。
本。
薬。
珍しい獣。
交易相手。
探そうと思えば、いくらでも理由は作れる。
けれど最後には首を振った。
「見たことのない土地を見に行く。」
それで十分だった。
「俺一人じゃ行けないから、一緒に来てください」
誰もすぐには返事をしなかった。
やがて先ほどの船頭が笑った。
「少弐様」
「はい」
「地獄だったらどうする」
「帰りましょう」
「極楽なら?」
「商売します」
今度は大きな笑いが起きた。
官兵衛まで笑っていた。
別の男が手を挙げた。
「女房と子も神戸へ連れていってよいか」
「もちろん」
「船も?」
「持ってきて」
「仲間も?」
「ぜひ」
「給金は?」
少弐は即座に官兵衛を指した。
「官兵衛と相談してください」
「また私ですか」
「俺が決めると払いすぎるって怒るだろ」
「当然です」
笑い声が海へ広がった。
少弐はその輪の中にいた。
上座ではない。
少し高いところでもない。
船乗りたちと同じところに立っていた。
これから何処まで行くのか、本人にも分からない。
だからこそ、少弐は彼らを欲しがった。
命令を待つ者ではない。
隣で海を見て、次はどちらへ行こうかと一緒に考えてくれる者。
土地の代わりに仕事を。
仕事の先には海を。
そして海の向こうには、まだ誰も知らない土地を。
少弐が欲しかったのは、地の果てまで横を歩いてくれる仲間だった。




