土地の代わりに、仕事を――神戸に海を働く者を
鷺屋には蔵と問屋を頼んだ。
小西屋には神戸へ移ってもらい、琉球との交易を任せることにした。
海老屋には造船所を頼んだ。最初は出資と技術者の手配だけを考えていた海老屋だったが、話を詰めるうちに神戸へ本腰を入れた方が儲かると判断し、堺に店を残しつつ、主だった者を神戸へ移す話まで進んだ。
これで、形だけなら揃い始めた。
蔵がある。
問屋がある。
船を造る場所ができる。
南へ向かう商人もいる。
しかし、少弐が神戸へ戻って改めて港を眺めてみると、一番大事なものが足りなかった。
人だった。
少弐は阿波辺岩蔵と黒田官兵衛を呼んだ。
「岩蔵。お前みたいなの、もっといない?」
岩蔵が怪訝そうな顔をした。
「俺みたいなのとは?」
「船場で働いてた奴」
そこでようやく岩蔵は理解した。
阿波辺岩蔵は、もともと武士として育った男ではない。
阿波の船場で荷を担いでいた。
船が着けば綱を取る。
荷を下ろす。
蔵へ運ぶ。
出ていく船へ荷を積む。
どの船頭なら信用できるか。
どの人足頭へ声を掛ければ、翌朝までに何人集められるか。
どの荷物は濡らしてはならず、どれなら多少乱暴に扱っても構わないか。
そうしたことを身体で覚えてきた男だった。
少弐が欲しいのは、まさにそういう者たちだった。
「十人、二十人でいいんだ。できれば頭になれる奴が何人か欲しい」
それまで黙って聞いていた官兵衛が口を挟んだ。
「百人の人足より、百人を集められる人足頭を数人、ということですかな」
少弐は官兵衛を指した。
「それ。それが言いたかった」
「でしたら最初からそう仰ればよろしい」
「俺より説明うまいんだからしょうがないだろ」
岩蔵が笑った。
だが、すぐに難しい顔になった。
「阿波からとなれば、那須様に筋を通さねばなりません」
「もちろん」
少弐もそこは最初から承知していた。
阿波の港から働き手を勝手に引き抜けば、神戸は助かっても阿波が困る。
「一度頼んでみよう。駄目なら駄目で別を考える」
話はすぐに阿波へ送られた。
そして返事も早かった。
――人は出せない。
理由も明快だった。
こちらも人手が足りない。
四国でも港を整え、商船を増やし、西国艦隊を維持している。
船頭も水主も人足も不足している。
とりわけ岩蔵のような、船場の仕事を知っていて人まで差配できる者など、むしろこちらが欲しいくらいだった。
岩蔵が返事を伝えると、少弐はあっさり頷いた。
「そりゃそうだ」
「よろしいので?」
「阿波から人を抜いて阿波の船が止まったら意味ないだろ」
ところが話には続きがあった。
人間は渡せない。
その代わり――
船なら渡せる。
海軍改革によって西国艦隊の編成が変わった際、一線から外された和船がいくらか残っていた。
旧式ではある。
だが腐っているわけではない。
軍船として維持する必要がなくなっただけで、荷を運ぶならまだ働ける。
「もらおう」
少弐は即答した。
官兵衛が苦笑した。
「まだ何隻とも聞いておりませぬが」
「使える分だけでいい」
「修理も必要でしょう」
「ちょうど造船所を作るんだから、最初の仕事になる」
そう考えれば都合がよかった。
神戸へ運び、海老屋の船大工に一隻ずつ見てもらう。
まだ使える船は補修する。
軍用の装備を外し、荷を積む空間を増やす。
直す価値のない船は解体し、使える材を取る。
戦うために造られた船を、今度は商いに使う。
兵を運んだ船が、米を運ぶ。
武具を積んだ船が、針や包丁を積む。
少弐には、それで十分だった。
---
話がまとまったところで、官兵衛が少弐を見た。
「少弐殿」
「ん?」
「もう一つ、那須殿に頼んでみてはいかがです」
「何を?」
官兵衛はすぐには答えなかった。
少弐が何を欲しがっているのか、ここ数日の動きを見れば分かる。
神戸には造船所ができる。
商人も来る。
船も集まり始める。
しかし――
神戸自身の海の力がない。
官兵衛はそれとなく言った。
「四国側の村上の者たちです」
少弐が顔を上げた。
「村上?」
「ええ」
官兵衛の考えは明快だった。
那須たち四国側には、すでに土佐中村、洲本、紀伊、堺など、西国艦隊を支える拠点がある。
造船もできる。
艦隊もある。
海軍を支える人員も育ち始めている。
ならば、瀬戸内の在地海洋勢力まで四国側で抱え続ける必要は薄くなっている。
一方の神戸には、それがない。
「少弐殿はこれから毛利とも付き合われるのでしょう」
「そのつもりだけど」
「ならば、なおさらです」
村上氏は瀬戸内の海を知っている。
潮を知る。
島を知る。
港を知る。
そして毛利とも深い関係を持つ。
神戸が今後、毛利との交易・外交の窓口になるなら、そうした海の人脈を持つ集団が少弐のもとにいる意味は大きかった。
少弐は少し考えた。
「つまり――」
「神戸独自の海洋勢力を持つべきかと」
軍船だけではない。
商船だけでもない。
瀬戸内そのものを知る人間たち。
それが神戸には必要だった。
「でも、それ俺から言うと『村上をよこせ』にならない?」
「なりますな」
「嫌だよ」
「ですから、それとなく私から話しておきましょう」
「官兵衛、そういうの好きだな」
「必要なだけです」
少弐は任せることにした。
---
那須側との話では、官兵衛はまず事情から説明した。
神戸で造船所が動き始めること。
商人が集まり始めること。
琉球航路を開こうとしていること。
そして少弐が今後、毛利との窓口になること。
その上で、
「四国側の村上の者たちを、少弐殿の預かりとしてはいかがでしょう」
と切り出した。
那須はすぐには答えなかった。
だが、拒絶もしなかった。
むしろ別の問題を抱えていた。
「こちらはこちらで、氏治公から九州を見よと言われている」
大友。
島津。
その両者の関係が次第に難しくなっている。
四国を維持しながら九州情勢まで見るとなれば、那須側も手が足りない。
瀬戸内のさらに西、中国地方まで自分たちで抱え込む余裕はなくなりつつあった。
「村上の件は取り次いでもよい」
官兵衛が頭を下げた。
「ありがたく」
「ただし」
那須はそこで言葉を切った。
「こちらからも条件がある」
「伺いましょう」
「瀬戸内で何かあれば、我らも支援する。艦隊も必要なら出そう」
土佐中村。
洲本。
紀伊。
堺。
西国艦隊には複数の拠点がある。
神戸を孤立させるつもりはない。
だが――
「中国筋まで我らが主となって動く余裕はない」
官兵衛には、次の言葉が読めた。
「少弐殿に?」
「そうだ」
那須は頷いた。
「氏治公と佐野殿には、こちらからも話を通す」
そして少し笑った。
「中国筋で事が起きれば、少弐殿を主戦の大将として扱うようにな。」
官兵衛も笑った。
「それは、少弐殿が嫌がりそうですな」
「だから先に話を通す」
「なるほど」
「村上を欲しい。毛利との窓口もやる。神戸に独自の海の勢力も欲しい」
那須は指を折っていった。
「そこまで欲しがるなら、仕事も引き受けてもらおう」
官兵衛は頭を下げた。
「少弐殿には、私から伝えます」
「頼みますよ、と言っておけ」
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神戸へ戻った官兵衛から話を聞き、少弐はしばらく黙った。
「……村上の話をしたんだよな?」
「はい」
「なんで中国地方の大将になって帰ってくるの?」
「世の中というものは、欲しいものだけ頂けるようにはできておりませぬ」
「土地はいらないって言ったのに」
「土地ではありません」
官兵衛は涼しい顔で答えた。
「仕事です。」
少弐は何も言えなくなった。
横で聞いていた岩蔵が吹き出した。
少弐自身が言ったのだ。
土地の代わりに仕事を、と。
どうやらその言葉は、家臣や兵だけに適用されるものではなかったらしい。
自分にも仕事が回ってきた。
阿波から人はもらえなかった。
代わりに古い船が来る。
そして村上の海の者たちが神戸へ移れば、港を動かすための海の経験が手に入る。
その代わり少弐は、毛利との窓口だけでなく、中国地方で戦が起きたときには前へ出る。
少弐は港に浮かぶ船を眺めた。
「……仕事、増えたな」
岩蔵が笑った。
「少弐様が欲しがったのでしょう」
「船と人が欲しかったんだよ」
官兵衛が答えた。
「人を預かるとは、その者たちの行く先まで預かるということでしょう」
少弐は返事をしなかった。
だが、その言葉だけは覚えておくことにした。
神戸には、まだ足りないものばかりだった。
船も足りない。
人も足りない。
金も足りない。
それでも少しずつ、海へ出るための形だけはでき始めている。
阿波から来る古い和船。
神戸に建つ造船所。
そして、瀬戸内を知り尽くした海の者たち。
土地の代わりに仕事を。
その仕事はいつの間にか、神戸から瀬戸内へ、そして中国地方へまで伸び始めていた。




