土地の代わりに仕事を
少弐は「神戸」という名を口にしたあとも、地図を片づけなかった。
「名前だけ変えても仕方ないよな」
官兵衛が頷く。
「当然でございましょうな」
「だったら、まず仕事を増やそう」
赤井直正が少弐を見る。
「仕事?」
「うん。俺は皆に土地を配れない。でも、食っていける仕事なら作れる」
少弐は兵庫津を指した。
「ここは港だ。船が来れば荷を降ろす人間がいる。荷を置く蔵がいる。蔵を建てる大工がいる。荷を運ぶ人間がいる。馬もいる。飯を食わせる店もいる」
官兵衛が少弐の考えを先回りした。
「一つ仕事を起こせば、その周りに別の仕事が生まれる、と」
「そう」
問題は最初の銭だった。
「それならある」
「どこに?」
「松浦に預けてある」
◇
以前、少弐は兵庫津で松浦に金を預け、商人や船主を相手とする金貸しを始めさせていた。
無制限に貸すわけではない。
相手の信用を見る。
担保を見る。
船を修理すれば商売を続けられる者。
荷を仕入れれば次の航海で返済できる者。
そういう者へ金を回す。
「金貸しで増えた分を、今度は街へ戻す」
少弐が言った。
「まずそこを運転資金にしよう」
官兵衛がすぐ尋ねる。
「使い切るおつもりではありますまいな」
「もちろん」
「ならばよろしい」
「全部使ったら金貸しが止まるだろ」
元金にはなるべく手を付けない。
返済されてきた金や利息の一部を、新しい事業へ回す。
そこで利益が出れば、また次の事業へ回す。
「銭に働いてもらう」
少弐は言った。
「人だけ働かせるんじゃなくて」
官兵衛が笑った。
「商人のようなことを仰る」
「港を作るんだから、それでいいだろ」
◇
最初に手を付けるものも決めた。
蔵だった。
船が入っても荷物を安全に置けなければ、大きな商いはできない。
そこで港近くへ共同で使える蔵を増設する。
大工が必要になる。
木挽が必要になる。
材木を山から運ぶ者が必要になる。
石を運ぶ者。
瓦を焼く者。
縄を作る者。
荷車を作る者。
「これだけでも結構、人を雇えるな」
「まだございます」
官兵衛が言った。
蔵ができれば、荷役が必要になる。
荷役が増えれば運送業者が必要になる。
荷駄が増えれば馬を扱う者も増える。
商人が増えれば宿がいる。
飯屋がいる。
酒も売れる。
「じゃあ港の仕事を一つずつ増やしていこう」
◇
「船も直せるようにしたい」
少弐は続けた。
船大工。
鍛冶。
帆を扱う職人。
縄を作る者。
船底を修理する場所。
「神戸に入れば、荷を売れる。蔵に預けられる。船を直せる。飯を食える」
官兵衛が続ける。
「そして必要なら金も借りられる」
「そういう港にしたい」
船主からすれば便利だった。
多少の使用料を払っても、すべて一か所で済むなら寄港する価値がある。
船が増える。
荷が増える。
荷が増えれば蔵の使用料が入る。
船を直せば修理代が入る。
荷役にも銭が落ちる。
商人が泊まれば街にも銭が落ちる。
そして、その一部が再び運転資金になる。
「回るな」
岩蔵が言った。
「そう。回したいんだ」
◇
そして少弐は、戦を終えた兵たちにも目を向けた。
「鷹衆にも仕事を回せる」
「何をさせる?」
「街道だな」
兵庫津と有馬を結ぶ道。
六甲の山道。
橋。
荷物の護衛。
飛脚。
鷹衆は山中で暮らしてきた者も多い。
道を直し、その道を警備し、荷物を護衛する仕事なら適性がある。
「虎衆は?」
シレトクが聞いた。
「無理に港で荷物を運ばなくていいよ」
「よかった」
「嫌だった?」
「少し」
皆が笑った。
虎衆には山林の巡回。
薬草採取。
狩猟。
北方航路の船員や護衛。
山越えする商隊の案内。
冬季の輸送。
彼らにしかできない仕事を任せればいい。
「兵として雇ったからって、一年中戦わせる必要ないだろ」
少弐は言った。
◇
官兵衛はそこで一つ注意した。
「少弐様」
「うん」
「仕事を少弐様がすべて抱えてはなりませぬ」
「どういうこと?」
「蔵も船も宿も荷役も、すべて少弐家が営めば、民は少弐様から給金を受け取るだけになります」
少弐が考える。
「じゃあ最初だけ?」
「それがよろしいでしょう」
最初の金を出す。
必要なら低利で貸す。
共同蔵を作る。
街道を整備する。
だが商売そのものは商人や職人に任せる。
「儲かった者が、また人を雇えばよいのです」
「なるほど」
「少弐様は商売をするのではなく、商売ができる場所を作る」
少弐は笑った。
「それだ」
◇
少弐は紙を一枚出した。
「じゃあ松浦に頼もう」
最初に書いたのは、金貸しをやめるな、ということだった。
元金を守る。
返済を続けさせる。
その上で利益の一部を港へ回す。
まず共同蔵。
船の修理場所。
荷役の組織化。
兵庫津―有馬間の街道整備。
そして小口の商売を始めたい者への貸付。
「一度に全部は無理だな」
「当然です」
「じゃあ儲かったら次へ」
「それがよろしいでしょう」
儲ける。
その金で仕事を作る。
仕事が増えれば人が集まる。
人が集まれば船が来る。
船が来れば、さらに儲かる。
少弐は紙の上に簡単な輪を描いた。
金貸し。
そこから矢印を引く。
蔵・港・街道。
さらに、
仕事。
そして、
商人と船。
最後にまた最初へ戻した。
金。
「これを回そう」
官兵衛がその輪を見る。
「止めぬことですな」
「うん」
「戦になっても?」
少弐は少し考えた。
「だからこそ、止めたくない」
戦が始まるたびに商売が止まり、戦が終わるたびに一から作り直す。
そんな港にはしたくなかった。
少弐冬明が最初に神戸へ与えようとしたものは、大きな城でも豪華な館でもなかった。
仕事が仕事を生み、銭が銭を生み、その銭がまた街へ戻る仕組み。
ジェノヴァでもヴェネツィアでもない。
まだ兵庫津と呼ばれている小さな港で、その最初の歯車が回り始めようとしていた。




