海の都をつくる話
官兵衛と赤井直正から畿内と播磨の先行きを聞いたところで、少弐冬明は地図を畳まなかった。
「じゃあ、今度は俺の話をしていい?」
黒田官兵衛が少弐を見る。
「今後のことでございますか」
「うん。俺が兵庫津をどうしたいか」
赤井直正が腕を組み直した。
「ようやく本題か」
「その前に一人呼ぶ」
少弐は人をやった。
ほどなくして、ライラが清盛館の広間へ入ってきた。
◇
この戦が始まるひと月ほど前、ライラの懐妊が分かった。
今では腹の子も半年ほどになる。
衣の上からではまだそれほど目立たない。
だが立ち姿をよく見れば、腹が少しだけぽこりと前へ出ているのが分かる。
少弐は自然と立ち上がった。
「大丈夫?」
「座って話すくらいなら平気だ」
「ここ」
少弐は自分の近くへ座布を寄せた。
ライラが座る。
直正がその様子を見て、少し笑った。
「戦場ではあれだけ無茶をしておいて、そこだけは随分慎重だな」
「別問題だよ」
官兵衛も小さく笑った。
シレトクはライラの腹を一度見たが、何も言わなかった。
「それで?」
ライラが少弐を見る。
「何を話せばいい」
「ジェノヴァとヴェネツィア」
ライラの眉が上がった。
「また大きな話だな」
「みんなに説明してほしい」
「何を?」
「国なのか、街なのか」
少弐は笑った。
「そこから」
◇
ライラは少し考えた。
「どちらも、ここにいる者たちが考える『国』とは少し違う」
官兵衛が身を乗り出した。
「どう違います」
「街が国なんだ」
「街が?」
「ああ」
ライラはまずヴェネツィアから話した。
海に浮かぶ都市。
船。
商人。
倉庫。
造船所。
そして地中海各地へ伸びる交易路。
「王はいない」
直正が反応した。
「王がいない?」
「いない」
「では誰が治める」
「一人ではない」
ライラは説明する。
ヴェネツィアにはドージェと呼ばれる元首がいる。
だが王のように国を自分のものとして好き勝手に動かせる存在ではない。
有力な家々からなる評議の仕組みがあり、さまざまな役職と会議によって政治が動く。
「一人の強い男に全部を預けないようになっている」
「なぜだ」
直正が聞いた。
「怖いからだ」
「誰が」
「皆が」
直正が少し笑った。
「分かりやすい」
◇
「では戦はどうする」
岩蔵が聞いた。
「商人が槍を持つのか」
「持つ者もいる。だがそれだけではない」
ヴェネツィアには艦隊がある。
造船所がある。
海上交易を守るための軍事力を持っている。
「商人だから戦わないのではない」
ライラは言った。
「商売を守るために戦う」
少弐が頷いた。
「そこが大事なんだ」
官兵衛が少弐を見る。
少弐はまだ何も説明しない。
◇
「ジェノヴァは?」
シレトクが聞いた。
「ヴェネツィアより、もっと面倒だ」
「面倒?」
「有力な家が多い」
商人。
船主。
金融を担う家。
それぞれが富と人脈を持つ。
時には争う。
時には協力する。
海外へ商館や拠点を作り、遠く離れた土地とも商売をする。
「街そのものが、大きな商家の集まりみたいなものだと思えばいい」
官兵衛が言った。
「堺に近いのですかな」
ライラが少し考える。
「似ているところはある」
「なるほど」
「だがジェノヴァには海の向こうまで伸びる力がある」
船が行く。
商人が行く。
金が行く。
そこでまた商売を始める。
必ずしも土地を征服する必要はない。
「港を押さえ、商売ができればいい」
その言葉で官兵衛が少弐を見た。
◇
「……少弐様」
「何?」
「これをなさりたいので?」
少弐は笑った。
「そう」
ようやく自分の話を始めた。
「俺は播磨を全部欲しいわけじゃない」
直正が鼻を鳴らした。
「それはもう聞いた」
「赤松氏が守護でいい」
「それも聞いた」
「国人も、それぞれ自分の土地を持っていればいい」
「では何を取る」
「港」
即答だった。
少弐は兵庫津を指した。
「俺はここを大きくしたい」
◇
「播磨から米が来る」
少弐の指が動く。
「塩が来る。紙が来る。炭が来る。鉄が来る」
瀬戸内へ指が伸びる。
「船で四国とつながる」
さらに西へ。
「児島、塩飽、村上」
その先。
「周防、博多」
そして対馬。
「ここから朝鮮へ出る」
さらに北。
「日本海の潮を使えば、北方からの荷も対馬へ集められる」
水府坊。
明川浦。
富内。
哲秀。
綾部。
大穂田。
室蘭。
少弐がこれまで歩いてきた土地が、一本の線になっていく。
「全部征服する必要はない」
少弐が言った。
「むしろ征服したくない」
「なぜ?」
岩蔵が聞く。
「征服したら、商売相手がいなくなるだろ」
直正が笑った。
「お前らしいな」
◇
官兵衛は地図を見つめていた。
「つまり兵庫津を中心として、それぞれの港に商館を置く」
「そう」
「土地そのものを支配するのではなく、寄港と交易の権利を得る」
「そう」
「そのために海軍を持つ」
「そう」
「街道は周辺国人に守らせる」
「できれば」
「兵庫津そのものは少弐様が守る」
「うん」
官兵衛はしばらく黙った。
「なるほど」
少弐が尋ねる。
「どう?」
「恐ろしいことを考えておられますな」
「なんで?」
「ご自身では土地はいらぬと言っておられる」
「いらないよ」
「しかし今のお話では」
官兵衛の指が兵庫津から海へ伸びる。
「土地より広いものを取ろうとしております」
少弐が首を傾げた。
「海は取れないだろ」
「だから恐ろしいのです」
◇
ライラが笑った。
「ジェノヴァもヴェネツィアも似たようなものだ」
「やっぱり?」
「ただし」
ライラは少弐を見る。
「真似をするだけでは駄目だ」
「分かってる」
「ここにはここの人間がいる」
赤松。
播磨国人。
寺社。
商人。
漁師。
水軍。
そして小田氏。
「海の向こうの仕組みを、そのまま持ってきても動かない」
「だからみんなを残したんだ」
少弐が言った。
官兵衛。
赤井直正。
岩蔵。
シレトク。
そしてライラ。
政治を見る者。
国人を知る者。
山を知る者。
北方を知る者。
海の向こうを知る者。
「俺一人で決めたくない」
少弐は兵庫津を指した。
「ここに合う形を考えたい」
◇
直正が腕を組んだ。
「それで、お前は何になる」
「何って?」
「守護にならん。播磨も取らん。だが兵庫津を持って、兵を持って、船を持って、商人を集める」
「うん」
「お前は何だ」
少弐は答えに詰まった。
「……港の親父?」
「ふざけるな」
岩蔵が吹き出した。
官兵衛まで笑った。
ライラは腹に手を添えながら肩を揺らした。
「ジェノヴァやヴェネツィアにも、冬明みたいな役職はないぞ」
「じゃあ新しく作ればいい」
少弐は笑った。
そして、もう一度地図を見る。
「名前も含めてな」
兵庫津。
まだ地図にはそう書いてある。
だが少弐の頭の中では、すでに別の名前があった。
兵庫津を、カムイに守られたコタン――神戸へ。
港を一人の領主の城下町にするのではない。
商人が集まる。
船乗りが集まる。
職人が集まる。
異国人も来る。
それぞれ違う神を信じ、違う言葉を話し、それでも同じ港で商売ができる。
そして必要なら、自分たちの街を自分たちで守る。
ジェノヴァでもない。
ヴェネツィアでもない。
堺でもない。
少弐冬明は、まだ兵庫津と呼ばれている港に――
坂東とも京とも違う、新しい海の都を作ろうとしていた。




