湯煙の野戦病院――医師たちの有馬
天正元年――一五七三年五月上旬。
堀久太郎秀政が有馬へ送られたころ、少弐冬明は清盛館で別の戦を始めていた。
人が足りない。
兵ではない。
医師だった。
有馬へ集めた負傷者は、少弐が思っていた以上の数になっていた。
少弐方の正規兵。
播磨の国人衆。
虎衆や鷹衆。
そして数こそ少ないが、羽柴方の負傷兵。
水無瀬道石が偶然有馬にいたのは幸運だった。
だが、その幸運に甘えて一人へ押しつけられる人数ではない。
「医者を借りよう」
少弐はそう決めた。
◇
まず佐野昌綱。
次に筒井順慶。
そして細川。
三方へ書状を出した。
難しいことは書かなかった。
戦はひとまず終わった。
しかし有馬には敵味方を問わず多数の負傷者がいる。
薬も医師も足りない。
余裕があるなら医師を一人でも二人でも貸してほしい。
そう頼んだ。
最初に返事を寄越したのは佐野だった。
少弐は少し期待していた。
「イネスを借りられないかな」
だが、返事を読んで諦めた。
イネスはまだ千陽姫についている。
今動かすわけにはいかない。
その代わり――。
「空蝉を送る?」
少弐は書状を読み直した。
「……あいつか」
悪くない。
むしろ有馬のような場所なら適任かもしれなかった。
◇
数日後。
水無瀬道石が負傷兵を診ていると、聞き覚えのある声がした。
「随分と繁盛しているな」
道石の手が止まった。
振り返る。
「……空蝉」
「久しいな、道石」
二人はしばらく見つめ合った。
奈良で同じ師に学んだ旧友。
一方は医の道を進み。
一方は武へ進んだ。
長い年月を経て再会した場所が、有馬の野戦病院だった。
「なぜお前が来る」
「冬明が医者を寄越せと泣きついた」
「お前は医者をやめたのではなかったか」
「やめた覚えはない。人を斬る方が増えただけだ」
「なお悪い」
空蝉は笑った。
「で、どこから見ればいい」
道石も、それ以上は言わなかった。
「あちらからだ」
すぐ仕事が始まった。
◇
だが有馬に現れた「医療の助っ人」は、医師だけではなかった。
佐野救援へ出ていた虎衆が、順次戻り始めたのである。
帰ってきた虎衆の一部には、休養が命じられた。
ところが翌朝。
何人かが山へ入った。
「どこへ行った?」
道石が尋ねる。
「薬を取りに」
「薬?」
昼過ぎになると帰ってきた。
籠や布包みの中に、草、根、樹皮、葉。
道石が一つを手に取る。
「これはどこで採った」
「沢の近く」
「こっちは」
「日陰」
「これは?」
「山の上」
道石の目が変わった。
虎衆の多くは北方の狩猟民である。
医師ではない。
だが、山で生きるための知識を持っている。
腹を壊したとき何を使う。
傷を負ったとき何を当てる。
熱があるとき何を煎じる。
虫に刺されたとき何を塗る。
何より――。
山のどこに何が生えているかを知っていた。
「これを薬として使うのか」
道石が尋ねる。
「使う」
「どうやって」
虎衆の男が身振りを交えて説明する。
煮る。
潰す。
乾かす。
傷へ当てる。
飲むものと、飲まないもの。
量を間違えてはいけないもの。
道石は黙って聞いた。
すべてを信用したわけではない。
医師として、それはできない。
だが、知らないからと捨てる気もなかった。
「一度に使うな」
「なぜ?」
「効いたのか、悪くなったのか分からなくなる」
「なるほど」
「まず私に見せろ。知っているものならこちらで判断する。知らないものは、使い方を詳しく聞く」
虎衆が頷いた。
翌日から、彼らは採ってきた植物を先に道石へ見せるようになった。
◇
空蝉も面白がった。
「お前が人に教わっているとは珍しい」
「黙れ」
「それは何だ」
「知らん」
「知らんのか」
「だから調べている」
虎衆の男が横から言った。
「これは傷に使う」
「ほう」
空蝉が手を伸ばす。
道石が叩いた。
「勝手に触るな」
「昔から細かい男だな」
「お前が雑なのだ」
そんな二人を虎衆が不思議そうに見ていた。
◇
有馬の治療体制は、少しずつ奇妙なものになっていった。
水無瀬道石が診断する。
空蝉が金創や外傷を見る。
各地から来た医師や薬師が補助する。
湯治場の者たちは湯、水、食事、寝床を用意する。
虎衆は山へ入り、使えそうな薬草や樹皮を集める。
そして自分たちが北方で身につけた狩人の知恵を教える。
誰か一人の医学ではなかった。
京の医術。
奈良で学ばれた知識。
戦場の金創。
有馬の湯治。
そして北方の狩人たちが持ってきた経験。
それらが、戦争によって偶然一か所へ集められていた。
◇
堀久太郎も、その様子を見ていた。
湯治場区画なら自由に歩いてよい。
だから景綱を伴って散歩していると、虎衆が籠いっぱいの草を運んでくるところに出くわした。
「何をしている」
「薬草だそうです」
景綱が答えた。
「兵なのだろう?」
「兵ですな」
「なぜ兵が薬草を採っている」
「人が足りぬからでしょう」
久太郎はしばらく眺めた。
「妙な軍だ」
「それについては同感です」
景綱が笑った。
そこへ空蝉が通りかかった。
「お前が堀久太郎か」
「そうだが」
「元気そうだな」
「おかげさまで」
「なら湯に浸かって飯を食っていろ。若いのだからすぐ治る」
それだけ言って去っていった。
久太郎は景綱を見る。
「今のは誰だ」
「空蝉殿です」
「医者か?」
「剣も使います」
「……何なのだ、ここは」
「私にもよく分かりません」
◇
清盛館へは、毎日のように有馬から報告が届いた。
死者何名。
快復何名。
まだ危険な者何名。
薬が不足。
布が不足。
食料は足りている。
そしてある日の報告には、
虎衆、山中より薬草採取。水無瀬道石これを選別。
とあった。
少弐はそこを二度読んだ。
「……面白いな」
戦のために北から来た者たちが、戦が終われば人を治す手伝いをしている。
医者でもない。
薬師でもない。
だが彼らには彼らの知識がある。
少弐は筆を取った。
有馬へ短い返事を書く。
――水無瀬殿の判断に従うこと。
そしてもう一行。
――北の者たちが知る薬草と使い方は、可能な限り書き残してほしい。
少弐は筆を置いた。
人が生き残れば、知識も残る。
知識が残れば、次に助けられる者が増える。
戦はまだ完全には終わっていない。
だが有馬ではすでに――
戦場から持ち帰ったものを、次に人を生かすものへ変える仕事が始まっていた。




