播磨の顔を知る男――別所四十郎
黒田官兵衛を佐野昌綱の援軍へ送り出したあとも、少弐冬明は赤井直正だけは有馬に残していた。
直正ほどの男なら、官兵衛に付ければ役に立つ。
戦場だけを考えれば、その方がよかったかもしれない。
だが少弐には、直正を残した理由があった。
有馬には連日のように人が来ていた。
羽柴と少弐の戦いを静観していた播磨東部・南部の国人。羽柴の撤退を見届けてから態度を決めた者。臣従を申し出る者。祝いと称して様子を見に来る者。
少弐には、誰が誰だか分からなかった。
だが直正には分かる。
「あれは?」
「印南の地侍だ。本人より叔父の方が知られている」
「じゃあ、あっちは」
「やめておけ」
「まだ何も聞いてないぞ」
「顔を見れば分かる」
そんな具合だった。
丹波だけではない。
播磨の国人同士は婚姻や戦、商いを通じて思いのほか深く繋がっている。
直正ほど長く畿内周辺で戦ってきた男なら、
「あいつは誰の縁者だ」
「あの家は昔どちらについた」
「あの二人を同じ陣に置くな」
というところまで分かる。
少弐にとって、千の兵よりありがたいことさえあった。
その日の午後。
少弐は直正を呼んだ。
「一つ困った」
「今度は何だ」
「兵庫津だ」
少弐は地図を広げた。
「陶衆には帰ってもらいたい」
羽柴との戦いの間、兵庫津を守ってくれた陶方の杉・問田らには十分すぎるほど働いてもらった。
「杉殿にも問田殿にも礼を言って、そろそろ国へ帰ってもらいたい。いつまでも他家の兵に兵庫津を守らせるわけにはいかん」
「当然だな」
「ところが」
少弐は腕を組んだ。
「兵は増えた」
臣従を願い出る播磨国人が増え、その配下も集まり始めている。
「でも、指揮する者がいない」
官兵衛はいない。
岩蔵もいない。
シレトクも佐野援軍へ出した。
エカシロとハウキには、それぞれ兵庫津と有馬周辺の警戒を任せている。
少弐自身は有馬から動けない。
負傷者だけでなく、戦後処理そのものが残っている。
「誰かいないか」
「いる」
直正の返答は早かった。
「本当か」
「一人、面白いのが臣従を願い出た連中に混じっている」
「誰?」
「別所四十郎」
少弐は少し考えた。
「別所……」
「三木の別所と縁のある男だ」
「ほう」
それなら少弐でも分かった。
三木の別所氏。
東播磨では無視できない家である。
「本家の者か?」
「近いようで遠い。一門には違いないが、あれ自身が三木を継ぐような立場ではない」
「なるほど」
「腕は確かだ」
「会ったことがあるのか」
「顔を知っている。噂もな」
直正は少し笑った。
「それともう一人いる」
「まだいるのか」
「そっちは、お前が拾ってきた」
「俺?」
「羽柴方の負傷者だ」
少弐の表情が変わった。
「生き残りの中に?」
「ああ。昔、俺と同じ側で戦ったことのある男がいる」
「誰だ」
「それは後で会わせる」
「なんで隠すんだよ」
「先に四十郎を見ろ」
直正がそう言うのなら、理由があるのだろう。
「分かった。呼んでくれ」
◇
やって来た男は、少弐が想像していたより若かった。
だが身体はよく締まっている。
華美な装束ではない。
有馬へ臣従を願い出た国人たちの中でも、むしろ目立たない格好をしていた。
男は少弐の前へ進むと膝をついた。
「別所四十郎にございます」
「少弐冬明だ」
「存じております」
「だろうな」
直正が横で咳払いした。
少弐は四十郎を見た。
「四十郎というのは通称か」
「はい」
「珍しいな」
四十郎が少し困ったように笑った。
「父が四十の折にできた子ゆえ、四十郎と」
少弐は一瞬黙った。
「……そのままだな」
「よく言われます」
思ったより話しやすい男だった。
「直正が、お前なら兵を預けてもいいと言った」
四十郎の表情が引き締まった。
「赤井殿が?」
「そうだ」
横にいた直正が言った。
「驚くな。褒めたわけではない」
「赤井殿は昔からそういうお方です」
「昔から?」
「何度か顔を合わせております」
少弐は二人を見比べた。
なるほど。
こういう関係を自分は知らない。
だから直正を残したのだ。
「四十郎」
「はっ」
「俺は兵庫津を守りたい」
「承知しております」
「だが、城を増やしたいわけじゃない」
四十郎が少し顔を上げた。
「兵庫津にはこれから人が増える。商人も来る。船も来る。周りの村から米も野菜も薪も来る」
少弐は続けた。
「だから欲しいのは、兵庫津を取るための軍じゃない。兵庫津で安心して商売できるようにする軍だ」
「……なるほど」
「できるか?」
四十郎はすぐには答えなかった。
少弐はその沈黙を気に入った。
何でも「できます」と言う男よりいい。
「一つ、お尋ねしても?」
「いいよ」
「我ら播磨衆を、どこへ攻めさせるおつもりです」
「攻めさせない」
四十郎が瞬いた。
「まずはな」
少弐は兵庫津を指した。
「道を守る。村を守る。港を守る。勝手に関銭を取る奴がいたら止める。商人を襲う奴がいたら捕まえる」
「……それだけですか」
「足りない?」
「いえ」
四十郎は頭を下げた。
「むしろ、難しい仕事かと」
少弐は笑った。
「そう言ってくれるなら助かる」
横で直正が腕を組んだ。
「だから連れてきた」
「なるほどな」
少弐は改めて四十郎を見る。
「じゃあ、しばらく兵庫津の兵を預ける」
四十郎が顔を上げた。
「よろしいので?」
「直正がいいと言ったからな」
「おい」
「違うのか?」
「最後に決めるのはお前だ」
「だから今決めた」
直正は何か言いたそうだったが、結局黙った。
少弐は四十郎に言った。
「陶衆が帰る。杉殿と問田殿から守備の引き継ぎを受けてくれ」
「はっ」
「ただし、まだ正式に全部任せるわけじゃない」
「承知しております」
「まずやってみよう」
四十郎は深々と頭を下げた。
「お預かりいたします」
これで一つ片付いた。
少弐が立ち上がろうとすると、直正が言った。
「まだだ」
「何が?」
「もう一人いると言っただろう」
少弐は思い出した。
「ああ。羽柴の負傷者」
「そうだ」
直正の顔から、先ほどまでの軽さが消えた。
「死んだと思っていた」
「知り合いなんだな」
「昔の仲間だ」
少弐も座り直した。
「どんな男だ」
「戦はできる」
「またそれか」
「人もまとめられる」
「それは助かる」
「ただし」
直正は少し間を置いた。
「羽柴は、あいつを死んだと思っているはずだ」
少弐は黙った。
有馬には、敵味方を分けずに運び込んだ負傷者がいる。
その中に、丹波を知り、赤井直正が能力を認める男が一人いる。
「……会えるのか」
「もう話せる程度にはなった」
少弐は立ち上がった。
「じゃあ行こう」
「どこへ」
「決まってるだろ」
少弐は負傷者を収容している建物の方を見た。
「生きているなら、本人に聞けばいい」
別所四十郎との面会は終わった。
そして次に少弐が会おうとしている男は――羽柴秀吉の中では、すでにこの世から消えたことになっていた。




