阿吽の援軍
少弐冬明が陶晴賢の意図を知ったのは、陶本人からではなかった。
「少弐殿。杉殿と問田殿が兵庫津へ入りました」
隣の黒田孝高に言われ、少弐はようやく背後を振り返った。
「杉と問田が?」
「はい。兵を展開して、港の守りを固めております」
少弐は眉を寄せた。
そんな打ち合わせはしていない。
そもそも援軍を頼んですらいない。
視線をさらに海へ向ける。
先ほどまで兵庫津の沖に見えていた陶の船団が、動いていた。
「……陶は?」
「船におります」
「港へ入らんのか」
「どうも、そのつもりはないようですな」
少弐は杖をつきながら海を見た。
船団は兵庫津を目指していない。
むしろ西へ。
備前の方角へ向かっている。
それも攻め込むような動きではなかった。
海から大きく回り込み、備前の背後へ回るような進み方だった。
少弐にも意味は分かった。
「宇喜多か」
黒田が頷く。
「それ以外にはありますまい」
「……頼んでないぞ」
思わず、もう一度言った。
「はい」
「宇喜多を見てくれとも言っていない」
「言っておりませぬ」
「兵庫津を守れとも?」
「申しておりませぬな」
少弐は黙った。
眼前では、羽柴勢が夢野へ下りてきている。
赤木甚兵衛が柵で止めている。
自分がいま最も欲しいのは、羽柴秀吉だけを見ることのできる状況だった。
宇喜多が動くかもしれない。
兵庫津を突かれるかもしれない。
だから本来なら、後ろにも兵を残さなければならない。
それを――。
陶晴賢が勝手に埋めた。
杉と問田を兵庫津へ置く。
港を守らせる。
自分は船団を率いて備前の背後へ回り、宇喜多を睨む。
そのうえで、こちらが不足するところへ精鋭を足してくる。
少弐は、しばらく何も言わなかった。
「……官兵衛」
「はい」
「俺は陶殿と、そんなに付き合いが長かったか?」
黒田が少し考える。
「少なくとも、毎日酒を飲むような仲ではございませぬな」
「だろう」
少弐と陶晴賢が行動を共にしたのは、主として対毛利の外交だった。
何度か顔を合わせた。
話した。
西国の情勢について意見を交わした。
その程度である。
戦場で長年肩を並べたわけではない。
少弐の軍略を一から十まで知っているはずもない。
それなのに。
少弐が欲しいところへ、ぴたりと兵が入った。
背後が気になる。
――杉と問田を置く。
宇喜多が気になる。
――陶自身が船団で睨む。
そのために兵が足りなくなる。
――精鋭を足す。
少弐は背筋に妙なものを感じた。
嬉しい。
ありがたい。
これほど頼もしい援軍はない。
だが同時に――少し寒い。
「……気味が悪いな」
黒田が少弐を見る。
「陶殿がですか」
「褒めている」
少弐は即答した。
もう一度、海を見る。
陶晴賢の船団が遠ざかっていく。
こちらへ指図もしない。
少弐の作戦を変えようともしない。
ただ、自分が必要だと思ったところを勝手に埋めていく。
少弐は毛利との外交で見た陶を思い出した。
戦場を知らぬ男ではない。
むしろ長すぎるほど知っている。
勝った戦もあれば、負けた戦もある。
大軍を動かしたこともある。
国を背負ったこともある。
その積み重ねが、いま目の前の戦場を見ただけで、
――少弐はここを欲しがっている。
と嗅ぎ取ったのだろう。
「阿吽の呼吸というやつでしょうか」
黒田が言った。
少弐はすぐには頷かなかった。
「阿吽というほど、俺はあの男を知らん」
「向こうは少弐殿を知っていたのかもしれませぬ」
その言葉に、少弐は黒田を見た。
そして、少しだけ顔をしかめた。
「だから怖いと言っている」
黒田が笑った。
少弐も笑った。
だが、本当に少しだけ肝が冷えていた。
敵ならば嫌な男である。
こちらが口に出すより先に、こちらの欲しいものを察する。
しかも、それを恩着せがましく押しつけるのではない。
必要な場所へ置いて、さっさと自分の仕事へ向かってしまう。
もし陶晴賢が敵側にいたなら――。
そこまで考えて、少弐はやめた。
今は味方である。
ならば感謝すればいい。
「陶殿への礼は、後で考える」
「よろしいので?」
「ああ」
少弐は夢野へ向き直った。
また銃声が響いた。
白煙。
柵。
羽柴兵。
甚兵衛の槍が並ぶ。
少弐の意識が、再び眼前へ集中していく。
背後には杉と問田がいる。
兵庫津は守られている。
海では陶晴賢が宇喜多を見ている。
少弐はもう、振り返る必要がなかった。
「……なるほど」
杖を握り直す。
「これが陶晴賢か」
感謝と同時に、少弐はもう一度だけ背筋を寒くした。
何度か外交を共にしただけの男が、自分の心の内を噛んで掴み、欲しい場所へ寸分違わず兵を置いてきた。
打ち合わせなど、一度もしていない。
それでも戦場では、まるで何年も肩を並べてきたかのように噛み合った。
少弐は小さく息を吐いた。
「味方でよかったな、官兵衛」
「まことに」
それだけ言うと、少弐は海を忘れた。
陶が背後を引き受けたのなら、
自分は――羽柴秀吉だけを見ればよかった。




