結び目の話
鷹司家との最初の対面から、しばらく後。
少弐冬明は再び京にいた。
今度は前回ほど緊張していなかった。
「今日は葡萄酒を持ってきていません」
鷹司家へ向かう途中、少弐が言った。
佐野昌綱が横を見る。
「誰も聞いていない」
「前回、佐野殿が気にしていたので」
「気にしていたのは酒ではなく、お前だ」
後ろを歩く黒田孝高が苦笑した。
今回は贈答のためだけの訪問ではなかった。
鷹司家から、
「少し話したいことがある」
と知らせが来たのである。
何の話なのかは書かれていなかった。
それが少弐には少し不安だった。
「怒られるんでしょうか」
「お前は鷹司家から呼ばれるたびにそれを言うのか」
「心当たりはありませんけど」
「なら堂々としていろ」
「佐野殿は?」
「俺は呼ばれていない」
「一緒に来ているでしょう」
「お前が来いと言ったからだ」
少弐は笑った。
前回よりは、ずっと気が楽だった。
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屋敷へ入る。
挨拶を交わす。
今回は硝子も北方の細工物もない。
代わりに茶と菓子が置かれた。
最初は以前と同じだった。
坂東の話。
兵庫津の話。
最近入ってきた南蛮船の話。
京の情勢。
幕府のことについても多少触れたが、義秋への批判にはならなかった。
やがて話が途切れた。
鷹司家の者が少弐を見た。
「少弐殿」
「はい」
「小田殿は、我らとの縁を一時のものと考えておられるのか」
少弐は少し考えた。
「氏治公は、長くお付き合いしたいと考えております」
「そなたも?」
「はい」
即答だった。
「せっかく話せるようになったのに、戦が終わったからもう会いません、では寂しいでしょう」
佐野が横で少しだけ目を伏せた。
いかにも少弐らしい答えだった。
鷹司家の者もわずかに笑った。
「ならば、その縁をもう少し強くしてはどうか」
少弐は首を傾げた。
「強く?」
「うむ」
一瞬の間。
そして、静かに言葉が続いた。
「婚姻という方法もある」
少弐の動きが止まった。
佐野が横を見る。
黒田だけは表情を変えなかった。
少弐はしばらく黙った。
「……婚姻?」
「そうだ」
「小田と、鷹司家で?」
「その可能性について話してみてもよいのではないか、ということだ」
少弐は佐野を見た。
佐野も少弐を見る。
「なぜ俺を見る」
「こういう時、どうすればいいんです?」
「俺に聞くな」
黒田が小さく咳払いした。
「まずはお話を伺いましょう」
「そうですね」
少弐は姿勢を直した。
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これは、今すぐ誰と誰を夫婦にするという話ではなかった。
もっと長い目で見た話だった。
小田と鷹司。
坂東の有力武家と、京の摂関家。
互いに異なる世界に立っている。
だからこそ結ぶ意味がある。
鷹司家にとって、小田との縁は東国への太い足場になる。
小田にとっては、幕府を経由しない朝廷との恒久的な回路となる。
少弐は黙って聞いていた。
やがて尋ねた。
「一つ、よろしいですか」
「申せ」
「この婚姻をしたら、小田は義秋公の敵になりますか」
鷹司家側が少し驚いた。
「なぜそう思う」
「それだけは困ります」
少弐は真剣だった。
「今回、幕府だけに話を聞いてもらえないと困るから、こちらへ参りました。でも幕府と戦うために来たわけではありません」
「分かっておる」
「ならば、よかった」
少弐は明らかに安心した。
佐野が横から言った。
「お前、婚姻そのものよりそっちを心配していたのか」
「大事でしょう」
「大事だが」
黒田が静かに続けた。
「むしろ、この婚姻を幕府との調整にも使える形にするべきでしょう」
少弐が見る。
「どういうことです?」
「小田は朝廷を盾に幕府へ対抗するのではない。朝廷との縁を持つことで、幕府と直接衝突する前に調整できる場所を作る」
「なるほど」
「ですからこそ、婚姻成立後も義秋公への礼を欠いてはなりません」
少弐は頷いた。
「それなら氏治公も賛成すると思います」
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だが、ここで佐野が初めて口を挟んだ。
「俺からも一ついいか」
場が静まった。
「今回の話の始まりは、俺だった」
佐野は淡々と言った。
「義秋公が俺を逆臣とした。それを見て、小田が別の道を探し始めた」
少弐が佐野を見る。
「だから俺は、この婚姻が『佐野を守るためのもの』になるのは困る」
「佐野殿」
「聞け」
佐野は少弐を止めた。
「俺はいつか死ぬ」
少弐の表情が少し変わった。
「戦で死ぬかもしれんし、病で死ぬかもしれん。年を取って死ぬかもしれん」
「縁起でもないことを」
「人は死ぬ」
佐野は言った。
「だが家は残る」
そして鷹司家の者を見る。
「だから、俺のためではなく、小田と鷹司のための縁にしてほしい」
しばらく沈黙があった。
やがて鷹司家側が頷いた。
「もっともな話だ」
佐野は頭を下げた。
少弐は隣で少し複雑そうな顔をしていた。
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屋敷を出た後。
少弐はしばらく黙って歩いていた。
佐野が気づく。
「何だ」
「さっきの話」
「どれだ」
「死ぬとか」
「あれか」
「やめてくださいよ」
佐野が笑った。
「四十にもなれば、そういうことも考える」
「まだ先でしょう」
「分からん」
「困ります」
「何が」
少弐は少し考えた。
「いろいろ」
佐野は少弐を見た。
少弐はそれ以上言わなかった。
代わりに黒田が話を戻した。
「ともあれ、これは氏治公へ直接お伺いを立てる必要があります」
「もちろんです」
「相手も決めねばなりません」
「それも氏治公に」
「少弐殿」
「はい?」
「全部氏治公へ投げないでください」
「私が決める方が怖くないですか」
黒田は答えなかった。
佐野が笑った。
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その日のうちに、坂東へ書状が送られた。
今度の少弐の文は、いつもより少し長かった。
鷹司家より婚姻の可能性について話があったこと。
幕府への対抗ではないこと。
むしろ幕府との争いを避けるための長い縁にしたいと考えていること。
そして最後に、
――私はよい話だと思います。
と書かれていた。
その下に、
――ただ、誰と誰がよいのかは分かりません。
とも書いてあった。
黒田の意見書は、その何倍もの長さだった。
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書状が坂東へ届いた。
氏治は読み終えると、しばらく黙った。
もう一度読む。
そして黒田の意見書を読む。
側近が尋ねた。
「いかがなさいます」
氏治は少弐の書状を置いた。
「思ったより早かったな」
公家との交流を始める。
その程度のつもりだった。
婚姻まで話が進むには、もっと時間がかかると思っていた。
だが悪い話ではない。
むしろ、小田がこれから先も畿内と関わるならば、いずれ必要になる縁かもしれない。
氏治は言った。
「受けよう」
側近が顔を上げた。
「婚姻を?」
「話をだ」
氏治は笑った。
「誰と誰を結ぶかも決まっておらぬのに、婚姻を受けられるか」
「ごもっともで」
「ただし」
氏治の表情が変わった。
「条件がある」
幕府への対抗婚姻にしない。
義秋への礼を欠かさない。
鷹司家の名を小田の戦の大義として使わない。
そして――
小田もまた、鷹司家を政治の道具として扱わない。
「縁を結ぶなら、人を結ぶ」
氏治は言った。
「旗を借りるために嫁をもらうのではない」
それが小田側の答えとなった。
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数週間後。
その返書が京へ届いた。
少弐は佐野とともに読んだ。
「氏治公、受けるそうです」
「話を、だろう」
「はい」
少弐は嬉しそうだった。
佐野はそんな少弐を見て言った。
「お前、自分が結婚するわけでもないのになぜそんなに嬉しい」
「仲良くなるんでしょう」
「単純だな」
「悪いですか」
「いや」
佐野は返書を畳んだ。
「今回は、その単純さが始まりだったからな」
義秋の檄から始まった。
一人の武人が逆臣と呼ばれた。
それを見た一人の男が、
話を聞いてくれる相手を増やそうと言った。
そこから公家との交流が始まり、
鷹司家との対面があり、
そして今――
婚姻という話にまで進んだ。
まだ誰と誰を結ぶかは決まっていない。
婚礼など遥か先。
だが、小田と鷹司の間に伸びていた細い糸には、初めて一つの結び目が作られようとしていた。
それは幕府へ弓を引くための結び目ではない。
朝廷を武器にするためでもない。
戦になりそうな時に、
「その前に、こちらで話そう」
と言える場所を残すための結び目だった。
そして次に決めなければならないことは、もっと具体的だった。
――誰と誰を結ぶのか。
坂東では氏治が一門の系図を広げ、
京では鷹司家もまた家中の縁を調べ始める。
こうして、後に小田の中央政治に大きな影響を与える婚姻交渉が――
静かに、しかし確かに始まったのであった。




