鷹司の客人
鷹司家から返書が届いてから、しばらくして。
少弐冬明は再び京へ入った。
今回は兵を率いていない。
護衛も必要最低限。
兵庫津から持ってきたのは武具ではなく、いくつかの箱だった。
南蛮の硝子器。
坂東の焼物。
北方から運ばれてきた細工物。
そして、やはり葡萄酒。
それを見た佐野昌綱は開口一番、
「本当に持ってきたのか」
と言った。
「喜ばれるかもしれないでしょう」
「酒を飲ませれば何とかなると思っていないか」
「そんなことはありません」
少弐は少し考え、
「半分くらいしか」
「半分もあるのか」
黒田孝高が二人の後ろで苦笑していた。
今日は戦の相談ではない。
鷹司家との、最初の正式な対面だった。
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少弐は出発前から妙に落ち着かなかった。
佐野が気づいた。
「緊張しているのか」
「少し」
「珍しいな」
「戦なら敵が見えますから」
「公家は敵ではないぞ」
「だから困るんです」
佐野は笑った。
「お前、北の果てまで行って知らない長と酒を飲んできただろう」
「それとは違います」
「何が」
「長なら酒を持っていけばだいたい喜んでくれました」
「やはり酒ではないか」
少弐は真面目な顔をしていた。
京の作法については、一応教えられた。
座る位置。
言葉遣い。
贈答の順序。
何を先に話し、何をこちらから言わない方がいいか。
だが説明されればされるほど、少弐は不安になった。
「普通に話してはいけませんか」
黒田が答えた。
「普通に話してください」
「では覚えなくても?」
「最低限は覚えてください」
「難しいな」
佐野が呆れた。
「戦場へ行く時より面倒そうな顔をするな」
「実際、こっちの方が難しいですよ」
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鷹司家の屋敷へ到着すると、三人は案内された。
佐野は京でそれなりに知られている。
黒田も政治の場では落ち着いていた。
問題は少弐だった。
本人もそれを分かっているらしく、今日はいつもより口数が少ない。
やがて対面となった。
礼を交わす。
最初は型通りだった。
坂東からの挨拶。
氏治からの書状。
先日の返書への礼。
贈答品が一つずつ披露された。
硝子器が出されたところで、鷹司家の者が興味を示した。
「これは南蛮のものか」
少弐の顔が少し明るくなった。
「はい。海の向こうから運ばれてきたものです」
「堺からか」
「いえ、これはもっと南から来た船で――」
そこで少弐は話し始めた。
海路。
船。
南蛮商人。
硝子の作り方。
自分が見てきた港。
最初は緊張していた男が、海の話になった途端にいつもの少弐へ戻っていく。
佐野は横で黙って聞いていた。
やがて北方の細工物が出された。
「こちらは?」
「北です」
「北?」
「蝦夷より、さらに北へ行ったところで手に入れました」
「そこまで行ったのか」
「はい」
今度は北方航海の話になった。
寒さ。
海。
人々の暮らし。
交易品。
珍しい獣。
少弐は政治の話をほとんどしなかった。
相手も聞かなかった。
それでよかった。
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やがて葡萄酒が出された。
佐野が小さくため息をついた。
少弐が振り返る。
「何です?」
「いや」
葡萄酒は珍品として興味を持たれた。
少量が器へ注がれる。
少弐も一口飲んだ。
「少し酸いな」
鷹司家の者が言った。
「ものによります。もっと甘いものもあります」
「そなたはどちらが好みだ」
「甘い方です」
即答だった。
佐野が横を向いた。
笑いを堪えている。
「何ですか」
「いや。お前らしいと思ってな」
場が少し和んだ。
そしてようやく、本題に近い話が出た。
「ところで」
空気がわずかに変わった。
「小田殿は、幕府と争うつもりなのか」
少弐は葡萄酒の器を置いた。
ここだけは、黒田から何度も言われていた。
余計なことを言うな。
義秋を批判するな。
だが少弐は少し考えた後、用意された言葉ではなく、自分の言葉で答えた。
「ありません」
「では、なぜ我らとの縁を求める」
「困ったからです」
佐野が少弐を見た。
黒田も見る。
だが少弐は続けた。
「今回、義秋公から佐野殿を討つよう檄が出ました」
相手は黙って聞いている。
「佐野殿にも悪かったところはあると思います」
「おい」
佐野が小さく言った。
「あるでしょう」
「後で話す」
少弐は構わず続けた。
「でも、佐野殿だけが全部悪いとは思いません」
少し間を置いた。
「それを将軍様へ言って、将軍様が聞いてくださらなかったら、そこで終わってしまいます」
鷹司家の者が尋ねた。
「ゆえに朝廷を頼る?」
「いえ」
少弐は首を振った。
「聞いてほしいだけです」
「何を」
「両方の話を」
静かになった。
「義秋公には義秋公の話がある。佐野殿には佐野殿の話がある。信長殿にもあるでしょう」
少弐は言った。
「誰が正しいかを、私たちに決めてほしいわけではありません」
「ならば?」
「話せるところを残しておきたいんです」
それは、あまり政治的な答えではなかった。
だが嘘でもなかった。
「幕府と喧嘩したくない。朝廷とも喧嘩したくない。信長殿とも、本当なら戦いたくない」
佐野がぼそりと言った。
「欲張りだな」
「前にも言われました」
少弐は苦笑した。
「でも道が一つしかなければ、その道が塞がった時には戦うしかなくなるでしょう」
少弐は庭へ目を向けた。
「だから、もう一本くらいあってもいいと思ったんです」
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対面は思った以上に長く続いた。
最後には再び政治から離れ、坂東の話になった。
霞ヶ浦。
兵学館。
海軍。
異国人たち。
そして北方航路。
鷹司家側も次第に質問を増やしていった。
少弐は聞かれたことには嬉しそうに答えた。
帰り道。
屋敷を出てしばらくしてから、佐野が言った。
「お前」
「はい」
「黒田から教わった話し方を途中から全部忘れただろう」
少弐は黙った。
黒田が答えた。
「忘れておられましたな」
「やっぱり」
「でも怒られませんでした」
「結果論だ」
三人は歩いた。
やがて黒田が言った。
「しかし、悪くはなかったと思います」
少弐が振り返る。
「本当です?」
「ええ」
「珍しいですね。黒田が褒めるなんて」
「私はいつも適切に評価しております」
佐野が笑った。
「で、どうだった」
黒田は少し考えた。
「少なくとも、小田家が朝廷を使って幕府を倒そうとしている、とは思われなかったでしょう」
それが何より重要だった。
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その夜。
鷹司家でも少弐たちのことが話題になった。
坂東から来た武家。
強大な軍を持つ小田の使者。
ならばもっと尊大な者が来ると思われていた。
実際に来た男は違った。
海の話になると止まらない。
北の果てまで旅している。
南蛮の硝子を持ってくる。
葡萄酒は甘い方が好きだと言う。
そして政治の話になれば、
「話を聞いてほしい」
と言った。
朝廷を利用したいとは言わなかった。
官位が欲しいとも言わなかった。
将軍を罰してほしいとも言わなかった。
ただ、道を一本増やしたい。
妙な武家であった。
だが――
危険な野心を隠しているようにも見えなかった。
だから鷹司家は、小田との交流を続けることにした。
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数日後。
その知らせを受けた少弐は、佐野の館で菓子を食べていた。
「続けて会ってくださるそうです」
「そうか」
佐野が答えた。
「よかったですね」
「なぜ俺を見る」
「佐野殿のおかげでもあります」
「お前が勝手に喋った結果だろう」
「一緒に行ったでしょう」
「俺はほとんど喋っていない」
少弐は笑った。
「次は氏治公にも来てもらいましょう」
佐野の手が止まった。
「いよいよ話が大きくなるな」
「そうですか?」
「五摂家だぞ」
「知っていますって」
「本当に分かっているのか」
「たぶん」
佐野はため息をついた。
だが、少弐は楽しそうだった。
戦の準備をしている時より、よほど。
佐野はそれを見て、少しだけ笑った。
義秋の檄によって始まった争いだった。
佐野が逆臣とされ、それに抗うために始めた小さな試み。
だが小田は、義秋を倒す道を選ばなかった。
幕府を否定する道も選ばなかった。
その代わり――
幕府と争わずに済むよう、別の話し相手を作った。
まだ婚姻の話などない。
政治同盟でさえない。
ただ、鷹司家の屋敷へ行けば話を聞いてもらえる。
今はそれだけだった。
しかし、その「それだけ」が、やがて大きな意味を持つ。
そして少弐が次に京を訪れた時。
鷹司家との席には、これまでとは違う人物が同席することになる。
小田と鷹司。
二つの家の間に結ばれた細い糸を――
血縁という、切れにくい結び目に変えてはどうか。
そんな話が、初めて持ち出されるのであった。




