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六甲の高み、西の海

兵庫津に戻ってから数日、少弐冬明は兵を率いて須磨から有馬へ抜ける道を歩いた。


ただの物見ではない。


兵庫津を守るため、どこに兵を置くべきか。それを自分の目で確かめるためだった。


「海から来る敵ばかり考えていては駄目だ」


六甲の山並みを見上げながら、少弐は黒田孝高や赤井直正に言った。


「兵庫津は海に開いている。だが、だからこそ北から山を越えて押さえられれば苦しい。有馬か、六甲のどこか……街道と山道を押さえられる場所に砦が欲しい」


孝高はしばらく地形を眺めた。


「大きな城はいりませぬな」


「うむ」


「兵庫津を守る城ではなく、敵が兵庫津へ降りる前に見つけ、止める砦。狼煙が上がれば港から援軍を送れる場所がよろしいでしょう」


少弐は頷いた。


有馬そのものを巨大な軍事拠点にする必要はない。


むしろ六甲山中の高所に小規模な砦をいくつか置き、有馬道、山越えの間道、そして兵庫津へ降りる道を監視する。


その構想だった。


そして、その地形を見るために少弐虎衆も六甲へ上がった。


北方からはるばるやって来た男たちである。


山歩きには慣れていた。


坂東で氏治の訓練を受けたことで隊列を組んで動くことも覚え、急な坂道でも列は大きく乱れない。


やがて高台へ出た。


視界が一気に開けた。


西へ広がる海。


須磨の向こうに続く海岸線。


淡路の影。


さらにその先には播磨灘が広がっている。


虎衆の男たちは、しばらく黙っていた。


北の海とは違う。


彼らが知る海は、冷たく、霧に閉ざされ、ときには流氷さえ押し寄せる海だった。


だが眼下の海には無数の船が行き交っていた。


少弐もまた黙って西を見ていた。


シレトクが隣に立つ。


「少弐」


「なんだ」


「ずっと見ているな」


少弐は少し笑った。


そして西を指した。


「これだ」


「?」


「俺が見たかった海だ」


虎衆の何人かが少弐を見る。


「この先に播磨がある。備前がある。安芸がある。もっと行けば九州がある。その向こうには朝鮮も明もある」


少弐はさらに遠くを指した。


もちろん、その先など見えるはずがない。


「北の海も見た。樺太の果ても見た。大陸の岸も歩いた。だが――ここは違う」


しばらくして少弐は言った。


「人と国を結ぶ海だ」


シレトクは眼下を行く船を眺めた。


少弐が兵庫津に執着する理由を、ようやく少し理解した気がした。


この男が欲しいのは土地ではない。


道なのだ。


陸の道。


海の道。


人の道。


それらが交わる場所を、少弐は欲しがっている。


「だから守るのか」


シレトクが尋ねる。


「ああ」


少弐は答えた。


「ここを取るためではない。ここを通れるようにしておくためだ」


その言葉を聞いた虎衆たちは、もう一度西の海を見た。


彼らにとってもまた、これが新しい海だった。



---


清盛館、軍制改め


その頃、兵庫津の清盛館には続々と荷が運び込まれていた。


武具、衣服、旗、火薬、医薬品、工具。


先に兵庫津へ入っていた赤木甚兵衛の兵にも、阿波辺岩蔵の一党にも、ようやく正式な装備が行き渡った。


そこで少弐は、一度すべての兵を清盛館周辺へ集めた。


寄せ集めの兵では、これからの畿内では動けない。


誰が誰を率いるのか。


戦になったとき、どの隊が何をするのか。


留守を誰に任せるのか。


それを明確にする必要があった。


館の広間には主だった者が集められた。


黒田孝高。


赤井直正。


赤木甚兵衛。


シレトク。


阿波辺岩蔵。


エカシロ。


渡辺。


松浦。


そしてライラ。


少弐は皆の顔を見渡した。


「今日から兵庫津の兵を組み直す」


最初に示されたのは正規兵だった。


坂東式の軍制と訓練を受け、槍・弓・鉄砲を組み合わせて集団戦を行う兵。


これを黒田孝高と赤井直正がまとめる。


孝高が軍勢の運用と配置を考え、赤井が実戦で兵を締める。


知略と武勇。


性格はまるで違ったが、だからこそ少弐は二人を組ませた。


次に呼ばれたのは赤木甚兵衛とシレトクだった。


「甚兵衛、シレトク」


「はっ」


「おう」


「少弐虎衆を任せる」


北方から集まった精鋭たち。


山岳、森林、寒冷地での行動能力に優れ、坂東で集団戦の訓練も受けた兵たちである。


赤木甚兵衛が武士として軍勢をまとめ、シレトクが虎衆独自の戦い方を残す。


六甲の山中で動かすなら、これ以上の兵はいない。


「兵庫津の北は、お前たちの山だと思え」


少弐が言うと、シレトクは笑った。


「北の山より暖かい」


広間に笑いが起こった。


続いて阿波辺岩蔵とエカシロが前へ出た。


これまで半ば便宜的に「山賊衆」と呼ばれていた者たちである。


少弐は二人を見ると告げた。


「山賊衆という呼び方は今日で終わりだ」


岩蔵が眉を上げる。


「じゃあ、俺たちは何になるんで?」


少弐は答えた。


「鷹衆だ」


三百人。


山野を駆け、偵察し、敵を見つけ、必要なら襲撃し、すぐに消える。


城攻めの主力ではない。


街道監視、斥候、伝令、伏兵、追跡。


少弐が各地を歩くほど重要性を痛感してきた兵種だった。


「岩蔵が頭を務めろ。エカシロは副将だ」


エカシロが少し困った顔をした。


「俺、いつから山賊になったんだ」


「今日から鷹だから問題ない」


また笑いが起きた。



---


最後に少弐自身の周囲が決められた。


少弐直属の兵――少弐隊。


その指揮は渡辺に任された。


「俺が軍勢全部を見ると、自分の周りが疎かになる。渡辺、お前がまとめろ」


渡辺は深く頭を下げた。


「承知」


そして少弐のすぐ横にはライラが立つ。


彼女には部隊指揮を与えなかった。


役目が違うからだった。


少弐冬明の護衛。


少弐が戦場を歩けばライラも歩く。


交渉へ行けばついていく。


少弐が前へ出すぎれば止める。


必要なら剣を抜く。


ライラは腕を組んだ。


「つまり私は今まで通り?」


「今までより重要だ」


「あなたが勝手なことをしなければ楽なんだけど」


「それは無理だな」


「でしょうね」


もはや誰も、この二人のやり取りには口を挟まなかった。


そして清盛館そのものを預けられたのが松浦だった。


少弐は最後に彼を見る。


「松浦」


「はっ」


「俺たちが全員出たとき、ここに誰もいなくなるのが一番まずい」


兵庫津には武器も金も書状も集まる。


商人も使者も来る。


負傷者が運び込まれることもある。


だから松浦には清盛館留守居役を任せた。


「戦場に出ない役目だが、軽い仕事ではないぞ」


松浦は笑った。


「分かっております。帰ってくる家がなければ軍勢とは申せませぬ」


少弐は満足そうに頷いた。


こうして兵庫津の軍勢は、初めて明確な形を持った。


黒田孝高・赤井直正の正規兵。

赤木甚兵衛・シレトクの少弐虎衆。

阿波辺岩蔵・エカシロの鷹衆三百。

渡辺が率いる少弐直属隊。

少弐の傍らを守るライラ。

そして清盛館を預かる松浦。


北方から来た者。


坂東から来た者。


畿内で拾われた者。


かつて山賊と呼ばれた者。


武士も、異国人もいる。


出自はばらばらだった。


それでも今、彼らは兵庫津という一点でひとつの軍になり始めていた。


その背後には六甲の山。


眼前には西へ続く海。


少弐が見たかった海は、同時にこれから彼らが進んでいく海でもあった。

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