二十隻の帆――虎、兵庫津に来たる
元亀四年四月。
兵庫津の少弐冬明は、このところ有馬へ足を運ぶことが増えていた。
氏治から正式に加増されたから、というだけではない。
少弐には以前から、この土地について一つの構想があった。
兵庫津は海には強い。
瀬戸内へ出られる。
堺へもつながる。
西へ進めば備前、安芸。
さらに海を渡れば朝鮮へ至る。
商館を置き、蔵を建て、船を集めるには申し分ない。
だが、陸から見れば弱点もあった。
六甲の山々である。
少弐は有馬へ向かうたび、山を眺めていた。
「ここに一つ欲しいな」
供の者が聞く。
「何をです」
「砦だ」
大城はいらない。
六甲山周辺を押さえ、兵庫津へ北から近づく者を監視できる砦。
いざとなれば兵庫津の守りにもなる。
そして有馬から兵庫津へ下る道を押さえる。
少弐の構想は、それだけではなかった。
兵庫津から須磨へ。
さらに摂津各地へ。
これまで整えてきた街道が広がるにつれて、今度はその道を守る兵が必要になっていた。
商人が安全に通れる。
荷駄が止まらない。
使者が襲われない。
夜になっても宿場から宿場へ情報を送れる。
道を作るだけでは足りない。
道は、守って初めて道になる。
以前なら、ここで少弐は頭を抱えただろう。
人が足りなかった。
ところが、この春。
兵庫津を取り巻く状況は急激に変わっていた。
丹波の戦が終わったのである。
明智光秀は丹波攻略を完了した。
波多野をはじめ、明智へ従う者も出た。
だが、すべての者が織田に頭を下げたわけではない。
最後まで戦う。
そう決めた者たちもいた。
その一つが赤井だった。
赤井直正を中心とする一団は、丹波に留まればいずれ明智と再び衝突する。
ならば、と西へ出た。
播磨である。
彼らが頼った先の一つが、少弐冬明だった。
少弐自身、戦に敗れ、居場所を失い、それでも最後まで戦おうとした経験を持っている。
その身の上を知る者からすれば、
「少弐ならば話を聞く」
と思うのも不思議ではなかった。
少弐も彼らを無下には扱わなかった。
さらに丹波の戦火は播磨にも影響していた。
黒田。
小寺。
別所。
播磨の諸氏も、丹波を平らげた織田の軍勢が次にどちらを見るのかを警戒していた。
若狭。
丹波。
その次。
地図を見れば、嫌でも播磨が目に入る。
彼らは少弐へ接近した。
庇護を求める者。
協力を申し出る者。
兵を出す代わりに所領の安全を求める者。
理由はさまざまだった。
結果として、少弐が必要としていた正規兵そのものは揃い始めていた。
城を守る兵。
槍を並べる兵。
鉄砲を撃つ兵。
街道へ陣を敷く兵。
戦になれば軍勢として動かせる。
人材不足は、思いがけない形で解消されつつあった。
だが――
少弐には一つ、不満があった。
有馬で地図を広げながら、少弐は指を止めた。
丹波。
有馬。
六甲。
兵庫津。
須磨。
そして播磨。
「兵はいる」
それは間違いない。
だが黒田の兵は黒田の兵。
小寺の兵は小寺の兵。
別所の兵は別所の兵。
赤井には赤井の事情がある。
彼らを正面の戦へ投入することはできる。
城を守らせることもできる。
だが少弐が欲しいのは、それだけではなかった。
命じた翌日に山へ入れる。
三日でも五日でも山中を歩ける。
国境へ出す。
敵を見つけたら戦う。
戦う必要がなければ隠れる。
街道を守る。
峠を押さえる。
必要なら船へ乗せる。
そして何より――
誰の都合も聞かず、少弐自身の判断だけで動かせる。
そんな駒。
「一つ足りない」
少弐は呟いた。
有馬を正式に与えられたことで、構想そのものは大きくなった。
兵庫津を海の玄関とする。
有馬を山側の拠点とする。
六甲山中へ砦を置く。
兵庫津から有馬、須磨、摂津へ延びる道を守る。
だが、それを実行するための直属兵が足りない。
正規兵とは少し違う。
山へ放り込んでも自分たちで動く兵が欲しかった。
その数日後だった。
兵庫津の沖を見張っていた者が、慌ただしく少弐のもとへ駆け込んできた。
「少弐様」
「どうした」
「坂東の船です」
少弐は顔を上げた。
「何隻だ」
使者は答えなかった。
いや、答えに迷った。
「……多いです」
「だから何隻だ」
「二十」
少弐の手が止まった。
「二十?」
「坂東ガレオン、二十隻」
少弐は立ち上がった。
交易船団ではない。
二十隻。
それほどの坂東ガレオンを一度に兵庫津へ送る理由など、聞いていない。
少弐はすぐ港へ向かった。
兵庫津の人々も海を見ていた。
一隻ではない。
水平線の向こうから、次々と帆が現れる。
二隻。
五隻。
十隻。
まだ来る。
巨大な帆が春の風を受け、兵庫津へ近づいてくる。
二十隻。
商人たちがざわめいた。
港の船乗りたちも仕事の手を止める。
戦でも始まるのか。
そう思う者がいても不思議ではない。
だが帆には見慣れた坂東の印がある。
先頭のガレオンが速度を落とした。
少弐は目を細めた。
「あれは……」
知っている旗だった。
鹿島。
そして船から姿を現した男も、見覚えがある。
鹿島政清。
坂東から二十隻ものガレオンを率いてきたのは、鹿島政清だった。
少弐は港で出迎えた。
「政清殿」
「少弐殿」
鹿島は船を降りると、何事もなかったように頭を下げた。
「氏治公より、お届け物にございます」
少弐は二十隻の船を見た。
もう一度、鹿島を見る。
「……届け物?」
「はい」
少弐の頭に、正月に届いた書状が浮かんだ。
――四月、虎を贈る。
嫌な予感がした。
「政清殿」
「はい」
「まさかとは思うが」
少弐は背後の二十隻を指した。
「虎を運ぶために、二十隻も使ったのか」
鹿島は少し笑った。
「虎であることには、間違いございません」
そのころ。
最初のガレオンの船腹では、すでに下士官が動き始めていた。
笛が鳴る。
兵たちが立ち上がる。
虎の意匠を施した胸鎧。
腰には坂東サーベル。
坂東弓。
水牛の小盾。
ピッケル型短槍。
ゼンマイ式単筒。
そして――
牛角。
鹿角。
獣の頭蓋を思わせる意匠を持つ兜。
一人。
また一人。
北の戦士たちが甲板へ上がってくる。
少弐はまだ、それを見ていない。
鹿島政清は、笑いを堪えるように少弐へ言った。
「氏治公より申しつかっております」
「なんと」
鹿島は答えた。
「虎を――」
背後で最初の船から渡し板が下ろされた。
「二千余り、お連れいたしました」
少弐冬明が、ゆっくりと二十隻のガレオンを見た。
有馬に欲しかった。
六甲の山を守る兵。
街道を駆ける兵。
国境へ自由に出せる兵。
正規兵とは違う、自分だけの駒。
その答えが。
今まさに、二十隻の船に乗って兵庫津へ到着していた。




