虎に与える山――少弐虎衆、西へ
元亀四年三月。
丹波から明智光秀による攻略完了の知らせが届いたころ、土浦でも一つの大仕事が終わろうとしていた。
前年十月から北方より続々と渡ってきた志願者たち。
正月を過ぎてようやく流入が落ち着き、装備を整えるため改めて人数を数えてみれば、二千をわずかに超えていた。
氏治自身、ここまで膨れ上がるとは考えていなかった。
最初は数百人。
多くとも千人ほどの精鋭を少弐へ送ることになるだろうと思っていた。
ところが室蘭から来る。
さらに北から来る。
海の向こうからまで来る。
しかも少弐が直接訪ねた土地ほど、
「少弐を助けに行く」
という者が現れた。
もはや本当に全員が志願者なのかと疑いたくなるほどだった。
だが、彼らは確かに自ら来た。
そして半年近く。
土浦の兵学館で暮らした。
シレトクが選んだ百人将がいる。
その下には、自然と仲間をまとめていた者や、多くの言葉を解する者を中心に下士官が置かれた。
旗が上がれば動く。
笛が鳴れば止まる。
声を出せない場所では手振りを使う。
簡単な命令なら、出身地の違う者同士でも意思を通じさせられるようになっていた。
彼ら自身も変わった。
ある者は薬草を知っている。
ある者は鹿を追う。
ある者は熊の習性を知る。
海で暮らしてきた者は魚の捕り方を教え、山で暮らしてきた者は雪の中で夜を越す方法を教えた。
弓。
罠。
薬草。
獣の解体。
傷の手当て。
雪上歩行。
野営。
それぞれが故郷では当たり前と思っていた知識が、土浦へ集まったことで共有されていった。
氏治は、そんな彼らへ正式な装備を与えた。
まずはピッケル型の短槍。
長槍ではない。
山道では杖として使える。
急斜面では地面へ食い込ませる。
雪や凍った地面でも身体を支えられる。
敵に遭えば、そのまま短槍となる。
もう一方の手には、水牛の厚い皮を主体として要所を金属で補強した小盾。
腰には坂東サーベル。
弓は坂東弓。
そして、ゼンマイ式の単筒。
単筒だけは秋から特に念入りに訓練させた。
もともと狩猟をしてきた者が多いため、射撃の勘そのものは悪くない。
だが火薬を扱う。
不発がある。
手入れを怠れば使えなくなる。
氏治は二千人に持たせる以上、中途半端な訓練では済ませなかった。
そして胸鎧。
基本となるのは坂東軍の軽装胸鎧だった。
歩ける。
走れる。
登れる。
伏せられる。
山岳行動を妨げない。
そこへ虎の意匠を加えた。
縞。
爪。
牙。
同じ軍勢だと分かる程度には揃える。
だが、まったく同じにはしなかった。
兜に至っては、氏治があえて統一を命じなかった。
牛の角。
鹿の角。
獣の頭蓋を思わせる装飾。
短い角。
大きく枝分かれした角。
左右で形の違うもの。
北方の者たち自身の好みも聞きながら仕上げさせた。
そして二千強が演習場へ並んだ。
坂東の胸鎧。
坂東サーベル。
坂東弓。
単筒。
水牛小盾。
ピッケル型短槍。
獣角を戴く兜。
姿だけ見れば、どこか遠い山から現れた異形の戦士たちだった。
だが笛が鳴った。
二千人の動きが止まる。
旗が上がる。
百人単位で隊列が変わる。
別の笛が響く。
今度は一斉に散開した。
蛮族を思わせる威容と、坂東兵学館で鍛えられた精鋭山岳兵。
二つが奇妙な形で融合していた。
氏治は満足そうに眺めた。
「シレトク」
「なんだ」
「少弐は虎が好きなのだそうだな」
「ああ」
シレトクは即答した。
それはシレトクだけから聞いた話ではない。
少弐と北方を旅した者たちの何人もが知っていた。
少弐は虎という獣に強い興味を持っている。
チョルガルで虎皮を手に入れたときなど、ずいぶん喜んでいたという。
氏治は二千強の者たちを見渡した。
「ならば、ちょうどよい」
そして告げた。
「おぬしたちは、少弐を助けるために北から来た」
多言語話者たちが氏治の言葉を伝えていく。
「室蘭から来た者もいる。さらに北から来た者もいる。海を越えて来た者もいる。言葉すら違う」
だが今では、一緒に動く。
一緒に食う。
一緒に戦える。
「ならば、いつまでも北方衆ではあるまい」
氏治は言った。
「西へ行けば、おぬしたちは少弐冬明の兵だ」
そして虎の胸鎧を指した。
「それに、主になる男は虎が好きだという」
笑いが起きた。
氏治も笑った。
「今日より――」
「少弐虎衆と名乗れ」
その名がいくつもの言葉へ訳されていった。
虎。
それだけなら、説明を待たず意味を理解する者もいる。
やがて一人がサーベルを掲げた。
隣の者が短槍を上げる。
盾を打ち鳴らす者が現れた。
声が重なる。
言葉は違った。
それでも、その日初めて二千強の者たちが一つの名前を持った。
少弐虎衆。
氏治はしばらくその姿を眺めていた。
やがて武具方を呼んだ。
「この装備を、もう三百揃えろ」
「三百、でございますか」
「そうだ」
二千人分を揃えたばかりである。
それでも氏治は平然としていた。
胸鎧。
坂東サーベル。
坂東弓。
単筒。
小盾。
山で使える短槍。
基本的には同様の装備を三百人分。
ただし、虎の意匠だけは外す。
「三百人分は西へ送れ」
誰に着せるのか。
氏治はまだ言わなかった。
それよりも大きな問題が残っていた。
二千強をどうやって兵庫津まで運ぶか。
陸路は論外だった。
この姿の二千人が東海道を西へ歩けば、それだけで諸国が騒ぐ。
しかも氏治には、少しばかり悪戯心があった。
正月に少弐へ送った書状には、
――四月、虎を贈る。
としか書いていない。
ならば最後まで秘密にしておきたい。
「船で送る」
氏治は決めた。
しかも分散させない。
「一度に送れ」
二千強。
百人ずつ送れば二十回。
五百人でも何度かに分ける必要がある。
だが、それでは面白くない。
それに半年かけてようやく一軍となった者たちを、到着時期の違う小集団へ分解する理由もなかった。
氏治は鹿島へ命じた。
「坂東ガレオンを集めろ」
船が集められた。
五隻。
十隻。
まだ増える。
十五隻。
十八隻。
そして最終的には――
二十隻。
二千強を運ぶだけなら、ここまで必要ではない。
氏治は兵を船倉へ詰め込むことを嫌った。
長い船旅を終えたところで疲弊していては意味がない。
一隻あたりの兵員には余裕を持たせる。
さらに食糧。
飲料水。
火薬。
弾丸。
矢。
医薬品。
予備武具。
衣類。
工具。
野営道具。
兵庫津へ到着したその日から二千人の軍として活動できるだけの物資を一緒に積ませる。
鹿島の沖へ、二十隻の坂東ガレオンが並んだ。
帆柱が林のように立つ。
もはや輸送船団というより、一個艦隊だった。
だが氏治は、ここでもう一つ考えた。
二千人を少弐へ与える。
それはいい。
だが――
「少弐は、こやつらをどこで食わせる」
兵は贈って終わりではない。
二千人が毎日飯を食う。
武具を直す。
火薬を使う。
兵舎がいる。
練兵場がいる。
病人を休ませる場所も必要になる。
兵庫津は重要な港である。
だが商人と船乗りが集まる町へ二千人を常駐させれば、かえって港を圧迫する。
そこで氏治は、少弐の戦功に対する褒賞をもう一つ加えた。
有馬。
これまで少弐が活動の拠点として利用し、兵庫津との街道整備まで進めようとしていた土地。
それを正式に少弐冬明へ加増することにした。
北方航路を開いた。
室蘭からさらに北へ道を伸ばした。
そして西へ戻れば兵庫津を拠点とし、備前の宇喜多、安芸の毛利へ話を通した。
その先には朝鮮。
さらに明へ至る海路がある。
北と西。
二つの海への道をつないだ功に対する加増だった。
兵庫津を海の玄関とする。
有馬をその後背地とする。
兵庫津には商館。
港。
蔵。
外交使節を迎える場所。
有馬には兵舎。
練兵場。
武器庫。
食糧庫。
療養の場所。
そして山岳訓練のできる山々。
少弐虎衆との相性も悪くない。
いや、むしろ良すぎるほどだった。
北の山で育った二千人にとって、港町の中で暮らすより、有馬の山々を歩いている方が性に合うだろう。
氏治は正式な加増状を用意させた。
摂津国有馬、これを少弐冬明に加増す。
そして兵庫津へ書状を送った。
少弐には、有馬を正式に加増することを知らせる。
さらに四月までに兵舎を整えよ。
練兵場を用意せよ。
蔵を空けよ。
二千余りを養えるだけの支度をせよ。
そこまで読めば、さすがの少弐も妙だと思うはずだった。
虎を贈る。
そう聞いていた。
なのに、
二千人分の場所を用意せよという。
「……虎?」
少弐がどんな顔をするか。
氏治には容易に想像できた。
だが、人数の意味までは教えない。
虎が二千いることも。
その虎が獣角の兜を戴き、サーベルと単筒を持っていることも。
そして鹿島から坂東ガレオン二十隻でやって来ることも。
すべて、兵庫津へ着いてから知ればいい。
四月。
鹿島沖。
二十隻の坂東ガレオンが錨を上げ始めた。
その船腹には二千強。
半年をかけて一つの軍となった北方の戦士たちがいる。
少弐虎衆。
彼らが目指すのは西。
兵庫津。
そして、その背後に新たな主の領地として与えられた有馬。
氏治は沖へ出ていく艦隊を眺めた。
「行ってこい」
二十隻の帆が、次々と風を孕む。
正月に約束した褒美が、ようやく少弐のもとへ向かう。
氏治が贈ったのは、ただの二千人ではなかった。
虎を養う山まで含めた、一つの軍だった。




