元亀四年正月――虎を贈る
元亀四年、正月。
鹿島で開かれた新年の坂東評定では、まず西国の情勢から報告された。
前年、羽柴秀吉は若狭攻略を完了していた。
勝った。
だが、その勝ち方がよくなかった。
織田信長は西へ急ぐことを望み、秀吉もその意向を汲んで攻略を急いだ。調略によって時間をかけて国人を切り崩すより、軍勢を進めて力ずくで若狭を押さえることを優先したのである。
その結果、表向き若狭は織田の手に落ちたものの、国人たちの反発は収まらなかった。
降った者が再び背く。
従うと約した者が裏で別の国人と結ぶ。
街道も完全には安定しない。
「若狭を取ったというより、若狭の上に座って動けなくなった、と見るべきでしょう」
佐野昌綱の報告に、評定の諸将が地図へ目を落とした。
さらに西。
丹波では、いまだ戦が続いている。
明智光秀は秀吉とは反対に、力攻めを避けていた。
城を一つずつ攻め落とすのではなく、国人同士の関係を調べ、離反を誘い、味方を増やしてから次へ進む。
そのため大敗はない。
だが、遅い。
信長がその進み方にしびれを切らし始めたという。
「丹波方面の指揮を替えるのではないか、という噂まで出ております」
まだ噂にすぎない。
しかし織田家内部で、西への進み方を巡って意見が割れ始めていることは確かだった。
一方、東海道にも大きな動きがあった。
北条氏康。
前年の三方ヶ原では徳川勢を大きく破った。
ところが、その後が続かなかった。
氏康の健康が優れない。
軍を進めるだけの力が北条家にあっても、氏康自身が以前のように長期間陣頭へ立つことが難しくなり、北条勢は徐々に後退しているという。
「勝って進めぬ北条。取って動けぬ羽柴。急がず進む明智か」
氏治が呟いた。
誰が勝ったかだけでは情勢は分からない。
勝った後に動けるか。
その土地を治められるか。
次の戦へ進めるか。
それを見なければならなかった。
そして評定は、兵庫津にいる少弐冬明からの報告へ移った。
少弐は備前の宇喜多へ話を通した。
さらに安芸の毛利とも関係を結んだ。
瀬戸内を西へ進む道筋を確保し、その先では朝鮮へつながる航路まで見通せる状態になった。
北では室蘭から樺太、そのさらに先へ。
西では兵庫津から瀬戸内、そして朝鮮へ。
少弐に与えられた二つの仕事は、確かに道となり始めていた。
氏治は報告書を閉じた。
「少弐には褒美をやらねばならんな」
金か。
領地か。
そう考えた者もいた。
だが氏治は、少し楽しそうに言った。
「虎を贈る」
評定の間が静かになった。
「……虎?」
誰かが聞き返した。
氏治はそれ以上説明しなかった。
「そう書いて送れ」
兵庫津の少弐へ送る書状には、こう記された。
北方航路を開き、さらに兵庫津より西へ道を伸ばし、朝鮮へ至る道筋をつないだ功を賞する。
その褒美として――
虎を贈る。
ただし、すぐには届けない。
「四月だ」
氏治は言った。
「四月に届ける。それまで兵庫津の近くに場所を用意させろ」
少し考え、付け加えた。
「広い練兵場がいる。宿舎もだ。飯も食わせねばならん」
そこまで聞けば、評定にいる者たちには分かった。
氏治の言う虎は、獣ではない。
だが何を送るつもりなのかまでは、少弐には知らせない。
「人数も書くな」
氏治は念を押した。
「せっかくの褒美だ。見てから驚けばよい」
こうして兵庫津へ、一通の書状が送られた。
――四月、虎を贈る。
――それまでに練兵場を用意し、待て。
そのころ土浦では。
雪の残る兵学館の演習場に、北から来た男たちが集まっていた。
まだ増えていた。
氏治自身、最終的に何人になるのか、もはや正確には読めなくなっていた。
胸鎧を着け。
坂東サーベルを佩き。
軍靴を履き。
単筒を手にする。
言葉の違っていた者たちは、少しずつ互いの言葉を覚え始めていた。
その間をシレトクが歩いている。
まだ彼らに正式な名はない。
だが四月。
この者たちは西へ行く。
少弐冬明のもとへ。




