↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
786/1025

千人来た――室蘭を埋めた北方衆

九月も終わろうとしていたころ。


少弐冬明は有馬にいた。


その少し前。


遥か北の室蘭では、少弐の想像を大きく超える事態が起きていた。


始まりは、それほど大げさな話ではなかった。


少弐から室蘭へ書状が届いたのである。


兵庫津。


須磨。


有馬。


預かる土地が増えた。


街道を守る者が足りない。


山野に慣れた者が欲しい。


少弐が想定していたのは、せいぜい二百人ほどだった。


だから室蘭の長にも話を通し、


移動のための銭として二十貫を用意した。


志願者を銭で集めるわけではない。


来たい者だけでいい。


兵庫津へ着いた後の扶持は少弐が持つ。


二十貫は、あくまで南へ向かうための食糧や航海中の補給に使うつもりだった。


ところが。


話が広がった。


室蘭だけではなかった。


宗谷へ伝わった。


樺太へ伝わった。


さらに北方航路を通じて、


チョルガル。


綾部――アヤン。


大穂田――オホタ。


各地へ話が伝わった。


少弐という男を直接知る者もいた。


知らない者もいた。


だが北方交易に関わる者なら、その名前くらいは聞いている。


酒を持ってやってきた和人。


キセルを吸いながら長と話す男。


知らない土地へ入っても、いつの間にか人の輪の中にいる男。


熊を追いかけて死にかけた男。


北方の品を南へ運び、


代わりに南の品を持ってくる男。


そして何より、


北方の者を家臣として使うことをためらわない男。


シレトク。


エカシロ。


レタㇻク。


少弐のもとで働く北方出身者の話も、交易路を通じて少しずつ広がっていた。


――兵庫津という南の大きな港で働けるらしい。


――家臣として扱われる。


――山や街道を守る仕事だ。


――戦になれば兵として働く。


――銭だけではなく扶持が出る。


話が伝わるたび、


「ならば俺も」


という者が現れた。


室蘭の長は、最初は喜んでいた。


百人。


「思ったより集まったな」


二百人。


「ちょうどいいではないか」


三百人。


「……少し多くないか?」


五百人。


長の顔から笑顔が消えた。


そして。


最終的に室蘭へ集まってきた者たちを数えたとき、


長はしばらく何も言わなかった。


「……何人だ」


「およそ千」


「もう一度言え」


「千ほど」


「少弐は何人欲しいと言った」


「二百ほどかと」


長は頭を抱えた。


五倍だった。


しかも室蘭の者だけではない。


言葉も違う。


服装も違う。


持っている武器も違う。


弓を持つ者。


槍を持つ者。


山刀を持つ者。


狩猟に慣れた者。


船に慣れた者。


若者。


すでに何度も狩りへ出ている壮年。


北方各地から人間が集まっている。


精鋭と呼べる狩人や戦士もかなりいる。


だが全員が訓練された兵というわけではない。


問題はそこではなかった。


「……二十貫」


長が呟いた。


手元にある。


少弐から託された銭。


二十貫。


二百人なら何とかなる。


船も手配できる。


食糧も用意できる。


途中の補給にも使える。


だが千人。


「足りん」


誰かが言った。


「分かっている」


長が答える。


「どうします」


「少弐へ送り返すか?」


千人を?


その間、食わせるのは誰だ。


そもそも南へ行くつもりで各地から集まった者たちである。


帰れと言えば揉める。


何より長自身、


彼らを追い返したくなかった。


少弐を頼って来た者たちだからだ。


「……大掾だ」


長が言った。


「大掾家へ頼む」


幸い、室蘭にはすでに坂東とのつながりがある。


商館もある。


船も来る。


北方交易を担当する大掾家なら、輸送を手配できる。


事情を聞いた大掾家の者も、最初は何かの間違いだと思った。


「千?」


「千だ」


「二百ではなく?」


「千だ」


「少弐殿が?」


「少弐は二百くらい欲しかったらしい」


「では残り八百は?」


「勝手に来た」


大掾家の者は黙った。


室蘭の長も黙った。


やがて大掾家の者が言った。


「……とりあえず坂東まで運びましょう」


いきなり兵庫津まで千人を送るのは難しい。


船腹。


食糧。


水。


寄港地での補給。


さらに言葉の違う千人をまとめて動かさなければならない。


ならば一度、


北方航路で慣れている坂東まで運ぶ。


そこで人数を確認する。


装備を整える。


健康状態を見る。


必要なら簡単な訓練も行う。


そして兵庫津まで送る船団を改めて組む。


「費用は?」


室蘭の長が恐る恐る聞いた。


大掾家の者は、二十貫の入った箱を見た。


「……これは使います」


「足りるか?」


「足りません」


即答だった。


「残りはこちらで一度立てます」


「すまん」


「少弐殿には?」


「そちらから知らせてくれ」


「なぜ我々が」


「わしから言ったら怒られそうだ」


「我々から言っても同じでしょう」


そんなやり取りをしている間にも、


室蘭の外には人が増えていた。


焚火が並ぶ。


弓が置かれる。


槍が立て掛けられる。


各地の言葉が飛び交う。


室蘭の者。


宗谷の者。


樺太から来た者。


チョルガル方面から来た者。


アヤン。


オホタ。


海を渡ってきた者もいる。


山を越えてきた者もいる。


まだ一つの軍ではない。


統一された装備もない。


同じ言葉を話すわけでもない。


だが共通しているものが一つあった。


南へ行く。


兵庫津へ行く。


少弐冬明という男に仕える。


それだけだった。


室蘭の長は、その光景を見ながら呟いた。


「……あいつ、北で何をして歩いたんだ」


本人には、人を千人集めたつもりなどない。


酒を飲んだ。


飯を食った。


話を聞いた。


贈り物をした。


困っている者がいれば助けた。


交易路を作った。


そして気に入った者を連れて歩いただけである。


だが数年を経て、その積み重ねが人を動かしていた。


やがて大掾家の船が手配され始めた。


一隻ではない。


何度かに分ける必要がある。


まず坂東へ。


そこから先は、坂東で考える。


室蘭の長は二十貫を大掾家へ預けた。


「頼む」


「確かに」


「全員だぞ」


「……努力します」


「途中で捨てるなよ」


「捨てません」


こうして、


少弐が頼んだ二百人の兵は、


なぜか千人になって室蘭を発つことになった。


まだ有馬にいる少弐は、


そのことを知らない。


彼はいま、


兵が足りない。


目が足りない。


シレトクがいれば。


そんなことを考えながら、


有馬の湯に浸かっている。


その頃、北の海では――


彼が欲しがった兵の五倍の人数が、


坂東へ向かう準備を始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。