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北から来た者たち――有馬衆、少弐を頼る

九月。


兵庫津の仕組みが一通り動き始めると、少弐はようやく領内を自分の目で見て回ることにした。


港だけ見ていても、播磨は分からない。


小寺。


黒田。


別所。


そのほか各地の国人たち。


少弐が播磨へ来てから、多くの者が清盛館を訪れている。


だが今度は逆だった。


「こちらから行こう」


少弐は言った。


臣従を迫るためではない。


領地を取り上げるためでもない。


それぞれの土地を実際に見て、


何を作っているのか。


どんな道があるのか。


何に困っているのか。


兵庫津とどう結べるのか。


それを知るための旅だった。


もちろん、黒田や小寺、別所をはじめとする諸氏へ、


――これからよろしく頼む。


と改めて挨拶して回る意味もある。


最初に向かったのは須磨だった。


清盛館から西へ。


海を横目に街道を進む。


兵庫津を出てしばらくすると、少弐は何度も立ち止まった。


「思ったより人が多いな」


商人。


旅人。


荷を担ぐ人足。


馬。


荷車。


寺社へ向かう者。


漁師。


海沿いを西へ進む者もいれば、東へ向かう者もいる。


須磨へ入ると、少弐は宿で二つのものを広げた。


一つは地図。


もう一つは氏治から与えられた任命の書状だった。


「ここまでか」


指でなぞる。


兵庫津。


そして須磨。


少弐が直接預かる土地として、そこまでが明確になっていた。


周囲には国人たちの土地がある。


だが兵庫津と須磨については、少弐が直接責任を負う。


「なるほど」


地図だけ見ていたときより、意味が分かる。


兵庫津だけではない。


須磨まで持っていることで、西へ向かう街道と海岸部の一部を直接押さえられる。


「清盛館ばかり見ていたな」


少弐は苦笑した。


ライラが横から地図を見る。


「自分の領地なのに?」


「広げることばかり考えて、足元を見るのを忘れていた」


須磨の街道へ出れば、さらに実感できた。


人が通る。


物が通る。


兵庫津へ魚が行く。


兵庫津から商品が来る。


播磨の奥から来た荷が東へ向かう。


兵庫津は突然生まれた港ではない。


すでに存在していた人と物の流れの上に、少弐が蔵や船や銭の仕組みを載せ始めたのだ。


「これは使える」


少弐は言った。


「何が?」


「道そのものが、もう生きている」


新しい道を一から造る必要はない。


悪いところを直す。


危険なところを警邏する。


橋を補修する。


馬や人が休める場所を増やす。


それだけで物流量は変わる。


少弐は数日、須磨に滞在した。


その間だった。


宿へ知らせが来た。


「殿にお目通りを願う者たちがございます」


「誰だ」


「有馬の者たちと」


少弐は顔を上げた。


「有馬?」


温泉のある土地だということは知っている。


兵庫津から見れば北。


六甲の山を越えた向こう側である。


「何人だ」


「一人ではございません」


それが妙だった。


翌日。


少弐の前に現れたのは、一人の領主ではなかった。


数人の男たちだった。


それぞれ小さな土地を持つ国人。


土豪。


有馬の土地を支えている者たち。


誰か一人が上座へ進む様子もない。


少弐はそれだけで事情を察した。


「代表は?」


男たちは顔を見合わせた。


やがて一人が答えた。


「おりませぬ」


「いない?」


「長らく」


有馬には、かつて全体をまとめる者がいた。


だが畿内と四国を巻き込んだ長い動乱の中で、その秩序は崩れた。


兵を出した。


帰らなかった者がいる。


戦死した者もいる。


土地を離れた者もいる。


後継を巡ってまとまらなかった者もいる。


結果として有馬には、小さな国人たちが残った。


それぞれ自分の村を守る。


道を守る。


田畑を守る。


そして温泉は、寺社や湯宿、土地の者たちが何とか維持している。


だが、


――有馬全体の長。


と呼べる者を立てられないまま、長い時間が過ぎていた。


「それで俺に何を?」


少弐は尋ねた。


国人の一人が答えた。


「兵庫津の話を聞きました」


蔵が増えた。


瀬戸内から船が来る。


毛利との道が開いた。


商人へ銭を貸す場所までできた。


兵庫津の景気がよくなっている。


その噂は六甲の向こう側にも届いていた。


「有馬には湯がございます」


男は言った。


「それは知っている」


「されど奥まっております」


兵庫津が栄えても、その富が六甲を勝手に越えてくるわけではない。


道は険しい。


荷を運ぶには手間がかかる。


途中の整備も十分ではない。


温泉があっても、そこへ人を連れてくる道が悪ければ限界がある。


「我らだけでは、兵庫津の賑わいに加わることができませぬ」


少弐は黙って聞いた。


「では道を整えてほしい?」


「それだけではございません」


そこで男たちは顔を見合わせた。


一人が少弐の前へ進み、頭を下げた。


「我らをお加えいただきたい」


少弐の眉が動いた。


「加える?」


「はい」


「商いの仲間としてなら歓迎する」


「いえ」


男は首を振った。


「殿の下へ」


部屋が静かになった。


少弐は少し考えた。


「俺は播磨の国人たちに、無理に家臣になれとは言っていない」


「存じております」


「有馬も自治すればいい」


すると別の男が答えた。


「それでは近すぎるのです」


少弐は男を見る。


「近すぎる?」


「兵庫津のすぐ北にございます」


六甲を隔てているとはいえ、距離そのものは遠くない。


有馬がまとまらないままなら、


兵庫津の北側も不安定なままになる。


そして有馬側から見ても同じだった。


「我らがそれぞれ勝手に自治すると申しても、誰が有馬全体の責任を負うのか決まりませぬ」


誰か一人を長にすれば、別の者が納得しない。


家格。


土地。


古い因縁。


動乱以前からの争い。


小さな勢力だからこそ、かえって一人を選ぶことが難しい。


「ならば」


男は言った。


「我らの中から無理に長を作るより、少弐殿にお預けしたい」


少弐は黙った。


「兵庫津の北を守る一翼として」


その言葉に少弐が反応した。


男たちも、そこを考えてきたのだろう。


有馬を独立した小領国として残すのではない。


兵庫津と一つの地域として考える。


南には瀬戸内。


西には須磨。


東には畿内へ続く道。


そして北には六甲を越えた有馬。


「兵庫津に何かあれば」


有馬の国人が言う。


「我らが北を守ります」


「代わりに?」


少弐が聞く。


「有馬を兵庫津につないでいただきたい」


道。


商い。


人。


そして安全。


少弐は地図を引き寄せた。


兵庫津。


須磨。


有馬。


指で三つを結んでみる。


有馬を取れば領地が増える。


だが、それ以上の意味がある。


六甲の向こう側へ道ができる。


温泉がある。


湯治客が来る。


兵庫津の魚や塩、紙、陶磁器を持ち込める。


有馬から山の産物が下りてくる。


そして兵庫津の北側に、まとまった守りができる。


「一つ聞きたい」


少弐は顔を上げた。


「俺が有馬を取れば、お前たちは俺の家臣になる」


「はい」


「年貢も決める」


「はい」


「道を直すなら人も出してもらう」


「承知しております」


「兵庫津が攻められれば兵も出してもらう」


「そのために参りました」


誰も迷わなかった。


少弐は一人ずつ顔を見る。


そして、少し笑った。


「分かった」


男たちの表情が変わった。


「ただし」


少弐は続けた。


「俺は有馬を潰しに行くつもりはない」


温泉の運営。


村々の古い決まり。


寺社。


土地ごとの慣習。


それまで問題なく動いてきたものまで清盛館から細かく口を出すつもりはない。


「お前たちは今までどおり有馬を治めろ」


「では――」


「上に俺が立つ」


少弐は地図の有馬を指した。


「それでいいなら受ける」


国人たちは一斉に頭を下げた。


少弐は、その姿を見ながら思った。


自分は須磨へ領地を見に来ただけだった。


街道を見て、


黒田や小寺、別所へ挨拶して、


兵庫津へ戻るつもりだった。


それが六甲の向こうから、人のほうがやってきた。


兵庫津が栄えれば、


周囲が兵庫津を見る。


道を求める。


商いを求める。


安全を求める。


そしてつながろうとする。


少弐は地図をもう一度見た。


南には海。


西には須磨。


東には畿内。


北には有馬。


清盛館を中心に描いていた町の青写真が、


いつの間にか町の外へ広がり始めていた。


少弐は有馬衆へ言った。


「ならば次は、有馬へ行こう」


「殿自ら?」


「当然だ」


少弐は笑った。


「自分の北を守ってくれる土地を、地図だけで知っていてどうする」


そして少し間を置いた。


「それに――」


ライラが嫌な予感を察したように少弐を見る。


少弐は平然と言った。


「有馬には湯があるんだろう?」


有馬衆の何人かが笑った。


「ございます」


「では道を見る。村を見る。湯も見る」


ライラが横から言った。


「最後が目的でしょう」


「視察だ」


「湯治でしょう」


「視察だ」


須磨の宿に笑いが起きた。


こうして少弐の領内巡見は、


思いがけず六甲の向こう側へ続くことになった。


兵庫津の北を守る新たな一翼。


有馬。


海から始まった少弐の町づくりは、


ついに山を越えようとしていた。

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