銭と信用の港――清盛館、東を見張り南に富を蓄える
九月。
兵庫津は、少弐が初めて清盛館へ入ったころとは、ずいぶん様子が変わっていた。
もともと港としての素地はある。
平清盛が大輪田泊を整え、瀬戸内と畿内を結ぼうとした土地である。
少弐はそこへ新しい港を一から造ったのではない。
残っていたものを拾い上げ、足りないものを加えていった。
船着場を整える。
蔵を増やす。
那須から回された坂東フリガッタを置く。
赤木甚兵衛には清盛館と周辺の港を守らせる。
阿波部岩蔵には北側に詰所を与え、兵庫津全体を巡回させる。
西へ向かう海路も開いた。
厳島で毛利と約定を交わしたことで、安芸から周防まで平時の商船が行き来できる。
その先には博多。
対馬。
そして朝鮮がある。
だが少弐は、西だけを見ていたわけではなかった。
ある日。
渡辺と松浦が清盛館へ呼ばれた。
二人は同じ席に座ったものの、命じられた仕事はまったく違っていた。
少弐はまず渡辺を連れて、館の東側へ出た。
「渡辺」
「はい」
「ここに門を作れ」
渡辺は周囲を見る。
「兵庫津を囲うのですか?」
「違う」
少弐は首を振った。
城門のような巨大なものではない。
街道を通る者を確認できる門。
そして、その横に詰所を置く。
「ここから東を見ろ」
渡辺には、それだけで意味が通じた。
東には摂津がある。
その先には山城。
丹波。
そして畿内の諸勢力。
丹波では今も調略戦が続いている。
大軍が突然兵庫津へ攻めてくると考えているわけではない。
だが軍勢の動きは知っておきたかった。
「軍勢が通ったら記録しろ」
「数も?」
「分かる範囲でいい」
旗。
人数。
馬。
荷駄。
武具。
どちらから来て、どちらへ向かった。
何日後に戻った。
そうした情報を集める。
「商人や旅人をいちいち止める必要はない」
少弐は言った。
「この門は、人を閉め出すための門ではない」
「では?」
「見るための門だ」
西へ海を開いたからこそ、
東から何が来るのかを見ておく。
渡辺は頷いた。
「承知しました」
これで、
港には赤木。
市中には岩蔵。
東には渡辺。
兵庫津の治安と警戒については、一通り形ができた。
しかし松浦を呼んだ理由は、兵でも警邏でもなかった。
少弐は清盛館へ戻ると、松浦の前へ帳面を置いた。
「松浦」
「はい」
「お前には銭を預ける」
松浦の眉が上がった。
「銭?」
「氏治公から借りた」
少弐自身の金だけではない。
兵庫津の商いを大きくするため、少弐は氏治からまとまった金を借りていた。
「館の南側に場所を作る」
「そこで何を?」
「金を貸す」
松浦は少し考えた。
「土倉のようなものですか」
「似ている」
ただし少弐には、最初から明確な原則があった。
「誰にでも貸すな」
「当然です」
「困っているというだけでも貸すな」
松浦が少弐を見る。
少弐は続けた。
「信用のある者だけだ」
兵庫津で長く商いをしている。
約束を守る。
借財をきちんと返してきた。
周囲の商人から信用されている。
あるいは信頼できる者が保証する。
そういう人間を選ぶ。
そして――
「必ず担保を取れ」
「何を担保に?」
「値打ちが確かめられるものだ」
蔵の荷。
船。
商売道具。
土地や家屋。
場合によっては、取引に使う証文。
何を担保にしたのか。
どれほどの価値と見たのか。
誰にいくら貸したのか。
いつまでに返すのか。
保証した者は誰か。
すべて帳面へ記録する。
松浦が尋ねた。
「返せなければ?」
「担保から取る」
少弐はあっさり答えた。
「ただし」
声が少し強くなる。
「担保を奪うために貸すな」
松浦が頷いた。
少弐の目的は、困窮した商人から財産を取り上げることではない。
銭を貸す。
その銭で商人が荷を仕入れる。
商いをする。
利益を出す。
借りた銭と利を返す。
さらに大きな商いを始める。
荷が増える。
兵庫津の蔵が使われる。
船が増える。
そこでまた銭を貸す。
「一度儲ければ終わりではない」
少弐は言った。
「何度も商いをしてもらう」
「なるほど」
「だから信用を潰すな」
そして、もう一つ。
少弐は別の帳面を出した。
「こっちは船乗りだ」
「船乗りにも金を貸す?」
「違う」
少弐は説明した。
兵庫津へ出入りする船の中から、希望する者を募る。
毎月、少しずつ銭を出してもらう。
その銭をまとめて預かる。
「何のために?」
「船が壊れたときだ」
松浦が少し考え込んだ。
船乗りにとって船は仕事そのものである。
嵐。
座礁。
火事。
海難。
一度の事故で船を失えば、船主だけでなく船頭や水夫まで仕事を失うことがある。
「皆から少しずつ預かる」
少弐は言った。
「そのうち一隻が本当に災難に遭ったら、その銭から修理や立て直しのための金を出す」
「言った者勝ちになりませんか」
「だから調べる」
少弐は即答した。
本当に嵐だったのか。
どこで壊れたのか。
船のどこが壊れた。
修理できるのか。
必要なら船大工に見せる。
港の者にも聞く。
事故を装った者には出さない。
勝手に争いへ加わって船を壊した者にも原則として出さない。
「船が古かったら?」
「加入するときに調べろ」
松浦が笑った。
「随分細かい仕組みですな」
「銭を扱うんだ。細かくていい」
少弐は言った。
一人の船主に大損を背負わせない。
多くの者が小さな負担を分け合う。
その代わり、自分が災難に遭ったときは皆の積立から助けてもらえる。
まったく新しい考え方というわけではない。
講や無尽のように、皆で銭を出し合う仕組みはすでにある。
少弐はそれを海へ持ち込もうとしていた。
松浦が尋ねた。
「名前はどうします」
「名前?」
「船乗りに説明するときに必要でしょう」
少弐はしばらく考えた。
「……船難講」
「船難講」
松浦が繰り返す。
「分かりやすい」
「では、それでいこう」
最初から大きくしない。
まずは兵庫津へ頻繁に出入りし、素性も船の状態も分かる者だけ。
信用できる船主から始める。
少弐は貸付でも船難講でも、同じことを重視していた。
信用だった。
信用のある者には銭を貸す。
担保を取る。
返せば、次も借りられる。
船難講でも毎月きちんと銭を納める。
事故が起きたら正直に申告する。
調査を受ける。
そういう者を皆で助ける。
「松浦」
「はい」
「銭そのものより、帳面を大事にしろ」
松浦が少し驚いた。
「帳面を?」
「ああ」
誰が約束を守った。
誰が返した。
誰が遅れた。
誰が嘘をついた。
それを残す。
「信用は目に見えない」
少弐は言った。
「だから帳面に残すんだ」
松浦はしばらく少弐を見てから、深く頷いた。
「承知しました」
こうして清盛館の周囲には、それぞれ違う役割を持つ場所が置かれていった。
北には阿波部岩蔵。
兵庫津全体を巡る警邏の詰所。
港には赤木甚兵衛。
清盛館と船着場を守る守備兵。
東には渡辺。
畿内から出入りする軍勢を見る門と詰所。
そして南には松浦。
商人へ銭を貸し、
船乗りから船難に備えた積立を預かり、
帳面に信用を記していく場所。
中央には清盛館がある。
少弐は館から港を眺めた。
蔵が並んでいる。
瀬戸内から船が来る。
荷が降ろされる。
船は再び西へ戻っていく。
毛利との約定によって周防まで道が開き、その先は博多、対馬、朝鮮へつながった。
平清盛がかつてこの土地に描いたのは、
瀬戸内をまとめ、
海の向こうの宝を集める港だった。
少弐はその古い青写真を捨てなかった。
港を広げた。
蔵を造った。
海路を開いた。
治安を整えた。
そして今度は、
商いに必要な銭と、
その銭を動かす信用まで整え始めた。
清盛公が描いた青写真の上に、
少弐冬明はまた一つ、
自分の時代の色を塗った。
兵庫津はただ船が着く町から、
荷を預かり、人を守り、銭を貸し、危難を分け合う町へ変わり始めていた。




