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清盛の青写真――兵庫津に色を塗る

九月。


夏の暑さがようやく和らぎ始めたころ、兵庫津の景色は少しずつ変わっていた。


もともと悪い町ではない。


むしろ港として見れば、かなり恵まれている。


遠い昔、平清盛が大輪田泊を整え、瀬戸内から畿内へ物と人を運び込むための玄関として目をつけた土地である。


清盛がいなくなってから長い年月が過ぎた。


それでも港が消えたわけではない。


船は来る。


商人もいる。


寺社もある。


街道も通じる。


港を支える者たちも暮らしている。


だから少弐は、何もないところへ町を造ったわけではなかった。


「ここは最初から、いい町なんだ」


少弐はそう言った。


必要なのは、眠っているものをもう一度動かすことだった。


少弐が清盛館へ入ってから、兵庫津は目に見えて活気づき始めた。


まず港を拡充した。


那須から回された坂東フリガッタも入る。


修理のための職人が必要になる。


縄がいる。


帆がいる。


木材がいる。


釘がいる。


水夫が飯を食う。


酒を飲む。


宿へ泊まる。


船が数隻増えるだけでも、周囲には仕事が生まれた。


だが少弐が最も力を入れたのは、船着場そのものではなかった。


蔵だった。


「また蔵ですか」


そう尋ねられるほど、少弐は蔵を造らせた。


「そうだ」


「まだ造るんですか」


「造る」


「何をそんなに入れるんです」


少弐は笑った。


「これから来るものだ」


理由は明白だった。


堺は巨大な商都である。


商人がいる。


銭がある。


職人がいる。


畿内の商品が集まる。


海外からの品も入る。


兵庫津が正面から競争したところで、簡単に勝てる相手ではない。


だが――


堺の土地そのものが無限に広がるわけではなかった。


そして近年、その堺へ流れ込む品の量が変わり始めていた。


南から来る。


琉球。


九州。


さらに南方から運ばれる品。


東からも来る。


坂東の産物。


そして坂東が開き始めた北方航路からも、これまで畿内では珍しかった品が流れ込む。


海獣の牙。


皮。


油。


北方の毛皮。


朝鮮から来る品。


各地の陶磁器。


薬種。


交易路が増えれば、堺へ集まる荷も増える。


当然、船も増える。


だが港には限りがある。


蔵にも限りがある。


人にも限りがある。


少弐が見つけたのは、そこだった。


「堺から客を奪う必要はない」


少弐は商人たちへ言った。


「堺へ行きたい者は、堺へ行けばいい」


皆が不思議そうな顔をした。


それなら兵庫津を整える意味は何なのか。


少弐は瀬戸内を指した。


「だが、船まで全部堺へ行く必要はないだろう」


瀬戸内から来た船が兵庫津へ入る。


そこで荷を降ろす。


兵庫津の蔵へ入れる。


船は荷が空けば、必要な荷を積んで自分たちの母港へ戻る。


降ろされた荷は、兵庫津から小分けにして堺へ送ればいい。


陸でもよい。


小船でもよい。


商人が必要な量だけ運べばいい。


「船を待たせるな」


少弐は言った。


船は荷物を置く場所ではない。


動いてこそ銭を生む。


兵庫津へ荷を降ろしたなら、瀬戸内の船は次の仕事へ戻ればいい。


備前へ。


安芸へ。


周防へ。


四国へ。


あるいは九州へ。


そしてまた荷を積んで戻ってくる。


兵庫津はその荷を受け止める。


だから蔵だった。


少弐が欲しかったのは、


荷を置ける町


だった。


その考えを聞いて、最初は半信半疑だった商人たちも、少しずつ使い始めた。


堺へ直接入ろうとして何日も待つより、兵庫津へ降ろしたほうが早い。


荷を預けて船を戻せる。


必要なら兵庫津で売ってもいい。


堺の商人が兵庫津まで買い付けに来てもいい。


そして毛利との約定が成立したことで、その仕組みはさらに意味を持った。


兵庫津から西へ。


備前。


安芸。


周防。


博多。


対馬。


その先には朝鮮。


四国へ渡れば、那須の治める港がある。


東へ行けば堺。


さらに坂東へつながる。


兵庫津は終着点ではない。


中継地になる。


荷を集め、


荷を分け、


船を返し、


別の船へ載せる。


少弐は倉庫の並びを歩きながら、ふと海を見た。


昔、この土地を見た男がいる。


平清盛。


清盛がどこまで具体的に未来を想像していたかなど、少弐には分からない。


だが少なくとも、瀬戸内の海を一つの道として捉え、その先に大陸を見る発想を持っていた。


瀬戸内の各地から船が来る。


荷が集まる。


そして海の向こうから、大陸の宝が来る。


宋銭。


陶磁器。


香料。


薬種。


絹。


書物。


時代は違う。


相手も違う。


清盛の時代の宋は、もうない。


今、大陸にあるのは明。


朝鮮には朝鮮王朝がある。


さらに海路は南へも北へも伸び始めている。


「清盛公」


少弐は海を見ながら、独り言のように呟いた。


「あなたが見たかったのは、こんな景色だったのかな」


答える者はいない。


だが港では男たちが叫んでいる。


「そっちは紙だ!」


「濡らすな!」


「その荷は三番蔵!」


「備前からの船、次に入れ!」


荷車が走る。


人足が荷を担ぐ。


商人が帳面をつける。


坂東フリガッタの帆柱が見える。


赤木甚兵衛の守備兵が港を巡る。


少し離れた市中では、身体の戻った阿波部岩蔵とその仲間たちが警邏を始めている。


船が増えれば、人が増える。


人が増えれば、揉め事も増える。


だから治安も整える。


蔵を造る。


港を直す。


道を守る。


商人を呼ぶ。


そして荷を集める。


少弐は、何も新しい絵を描いているつもりはなかった。


この土地には、すでに絵があった。


数百年前に平清盛が描いた青写真。


瀬戸内を一つの海として結び、


その先に大陸を置き、


兵庫を玄関とする構想。


長い年月の中で薄れかけていた、その下絵を少弐は見つけただけだった。


ただし。


清盛の時代にはなかった色が、今はある。


朝鮮。


琉球。


南方。


坂東。


そして蝦夷地から、さらに北へ伸びる海。


少弐はそれらを一色ずつ拾い、


古い青写真の上へ塗り始めた。


清盛公が描いた町を作り直すのではない。


清盛公が描きながら、最後まで見ることのできなかった景色の続きを描く。


九月の兵庫津。


新しい蔵の前に、また一隻の船が着いた。


「殿!」


荷役の男が遠くから叫ぶ。


「周防からです!」


少弐が振り返った。


「蔵は?」


「空いてます!」


「なら入れろ」


短い答えだった。


それでよかった。


厳島で開いた道を、


今度は荷が通り始めていた。


平清盛が残した青写真に、


少弐冬明はようやく、


自分の時代の色を塗り始めていた。

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