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一度死んだ男――兵庫津警邏隊

空蝉が清盛館へ到着したころには、阿波部岩蔵の熱はさらに上がっていた。


少弐の見立ては脚気。


それ自体は間違っていなかった。


長い食い詰め生活。


腹を満たすためだけの偏った食事。


足の痺れ。


むくみ。


倦怠感。


だが、それだけでは熱の説明がつかなかった。


空蝉は岩蔵の身体を一通り診ると、脚に目を止めた。


「これはいつやった」


岩蔵が見る。


「何がだ」


「この傷だ」


「傷?」


本人が忘れている。


空蝉は呆れた。


「これだ」


脛に傷があった。


山でつけたものなのか。


喧嘩なのか。


木の枝に引っかけたのか。


岩蔵本人にも覚えがない。


「こんなの怪我じゃねえ」


「膿が出ておる」


「歩ける」


「歩けるかどうかを聞いておらん」


空蝉は容赦がなかった。


傷の周囲は腫れている。


熱も持っている。


身体が脚気で弱ったところへ、汚れた傷から化膿が進み、感染による発熱まで重なったらしい。


空蝉は傷を処置しながら、少弐に言った。


「脚気という見立ては正しい」


少弐は少し安心した。


「やはりそうか」


「ああ」


だが空蝉は続けた。


「もっと正しかったのは、その先だ」


「その先?」


「熱が脚気だけでは分からぬと気づいて、そこで勝手に答えを作らなかったことだ」


空蝉は少弐を見る。


「分からぬことを分からぬままにして、わしを呼んだ。それでよい」


少弐は苦笑した。


「医者ではないからな」


「医者でも分からぬことはある」


空蝉は岩蔵の傷へ視線を戻した。


「分からぬのに分かったふりをするほうが怖い」


岩蔵は黙って聞いていた。


「こいつは?」


少弐が尋ねる。


「どうなる」


「今すぐ死ぬような状態ではなくなった」


空蝉は答えた。


「だが、もう少し放っておけば――」


岩蔵を見る。


「そのへんの山で死んでおったころだな」


部屋が静かになった。


甚兵衛から笑いも消えた。


岩蔵自身も何も言わなかった。


この数日。


本人にも分かっていた。


身体が言うことを聞かなくなった。


足に力が入らない。


熱に浮かされる。


眠っているのか起きているのか分からない時間まであった。


今まで何度も喧嘩をした。


戦にも巻き込まれた。


刃物を向けられたこともある。


それでも死ぬとは思わなかった。


だが今回は違った。


誰にも斬られていない。


矢も受けていない。


それなのに、ただ山の中で身体が動かなくなり、そのまま死ぬところだった。


岩蔵はしばらく天井を見ていた。


そして、ぽつりと言った。


「じゃあ俺は、一度死んだのだな」


空蝉が岩蔵を見る。


「勝手に殺すな。まだ生きておる」


「そうじゃねえ」


岩蔵は少し笑った。


「そのままなら死んでたんだろ」


「ああ」


「なら一度死んだようなもんだ」


誰も答えなかった。


岩蔵は身体を起こそうとした。


空蝉がすぐ止める。


「寝ておれ」


「大事な話だ」


「寝たまま話せ」


「……分かった」


妙に素直だった。


岩蔵は布団に戻り、少弐を見る。


「殿」


初めてそう呼んだ。


少弐の表情が少し変わった。


「何だ」


「俺は、ここで仕えることはできるか?」


甚兵衛が岩蔵を見る。


少弐もすぐには答えなかった。


岩蔵は続けた。


「死んだのなら、生まれ変わることもできるだろ?」


大きな身体。


傷だらけの腕。


いかにも荒くれ者という顔。


だが、言っていることは妙にまっすぐだった。


「俺だって好きで喧嘩してきたわけじゃねえ」


岩蔵は言った。


「好きで人を脅して、商人や旅人から荷を取ってたわけでもねえ」


食わなければならない。


仲間も食わせなければならない。


四国では港で荷を担いでいれば生きられた。


だが戦が始まった。


徴発された。


畿内へ送られた。


軍勢から離れれば、帰る場所も仕事もなかった。


山城を流れた。


播磨へ流れた。


同じような連中が集まった。


食うために荷を奪った。


抵抗されれば殴った。


「好きでやってる奴なんていないんだ」


岩蔵の声が低くなる。


「少なくとも俺の仲間にはな」


少弐は黙って聞いていた。


「甚兵衛から聞いた」


岩蔵は続ける。


「殿は播磨に、家来じゃなく友を探しに来たって」


少弐の目がわずかに動いた。


確かにそう言った。


播磨の国人たちへ、


――家臣にならなくていい。


――この地に生きる友として、一緒に播磨を栄えさせたい。


そう話してきた。


「だったら」


岩蔵は少弐をまっすぐ見た。


「俺たちも助けてくれ」


自分だけではない。


山に残してきた仲間たち。


元地侍。


逃亡兵。


百姓崩れ。


荷役人。


戦に巻き込まれ、帰る場所をなくした者。


「俺は殿に仕える」


岩蔵は言った。


「もう悪さはしない」


そして頭を下げた。


「だから仲間にも、まともに食える仕事をくれ」


少弐は岩蔵を見ていた。


身体は大きい。


喧嘩も強い。


山一帯を仕切るだけの胆力もある。


それなのに、不思議なほど素直だった。


自分のやったことを正当化もしない。


――仕方なかった。


とは言う。


だが、


――だから悪くない。


とは言わない。


悪さをしたことは分かっている。


だからやめたい。


仲間もやめさせたい。


そして生き直したい。


少弐は、この男が気に入った。


「岩蔵」


「おう」


「まず治せ」


岩蔵が少し拍子抜けした。


「……それだけか?」


「治らない奴に仕事を任せられるか」


「じゃあ治ったら?」


少弐は笑った。


「仕事をやる」


甚兵衛がにやりとする。


「よかったな」


「お前にも話がある」


「俺にも?」


少弐は立ち上がった。


頭の中には、すでに形が見えていた。


「甚兵衛だけでは足りないと思っていた」


兵庫津はこれから大きくなる。


毛利との道が開いた。


四国からフリガッタも来る。


商人が増える。


船乗りも増える。


蔵も増える。


荷も銭も集まる。


そうなれば盗人も来る。


喧嘩も増える。


荒くれ者も流れ込む。


治安を守る者が必要だった。


「岩蔵」


「おう」


「清盛館の北側に詰所を作れ」


「詰所?」


「お前と仲間の仕事場だ」


岩蔵が目を見開く。


「兵庫津全体を見てもらう」


市。


宿。


街道。


商家。


職人町。


寺社の周囲。


港から少し離れた町並み。


巡回し、揉め事を止め、盗人を捕らえ、旅人や商人が安心して歩けるようにする。


岩蔵が聞いた。


「俺たちが?」


「山を仕切っていたんだろう」


「ああ」


「なら人を見る目もあるはずだ」


誰が危ない。


誰が嘘をついている。


どこで揉め事が起こりそうか。


よそ者がどこから入ったか。


荒くれ者をまとめるには、荒くれ者の理屈を知る者がいい。


「今まで奪う側だったなら」


少弐は言った。


「これからは奪う奴を捕まえろ」


岩蔵はしばらく少弐を見ていた。


やがて、大きく頷いた。


「分かった」


少弐は今度は甚兵衛を見る。


「甚兵衛」


「へえ」


「お前は今までどおり清盛館を守れ」


そして港のほうを指した。


「館と、その周りの港がお前の持ち場だ」


「承知」


「岩蔵は兵庫津全体」


「へえ」


少弐は二人を見比べた。


一人は、どう見ても山賊にしか見えない清盛館守備兵。


もう一人は、本物の元山賊頭。


少弐は一瞬だけ人選に不安を覚えた。


だが、すぐ笑った。


「これから二人は、ここの警邏隊だ」


甚兵衛が岩蔵を見る。


岩蔵も甚兵衛を見る。


「お前と一緒か」


「嫌なら山へ帰れ」


「帰らねえよ。飯が出る」


「そこかよ」


「仲間も食わせてもらうからな」


「働いたらな」


「お前が言うな」


二人が早くも言い合いを始めた。


空蝉が呆れたように言う。


「その前に」


皆が見る。


「岩蔵は寝ろ」


「もう大丈夫だ」


「寝ろ」


「……はい」


少弐は吹き出した。


あれほどの偉丈夫が、空蝉の一言には妙に素直だった。


こうして阿波部岩蔵は、一度死んだ。


少なくとも本人は、そう考えた。


四国の荷役人だった自分。


徴発兵だった自分。


流れ者だった自分。


山賊頭だった自分。


それらを一度、山の中で死なせた。


そして清盛館で、


兵庫津を守る男として生き直すことになった。


赤木甚兵衛は館と港を守る。


阿波部岩蔵は兵庫津の町を守る。


平時には警邏。


有事には武装して動員される。


少弐が朝鮮までの海の道を開いて帰ってきた、その夏。


兵庫津にはもう一つ、


人が安心してその道を歩くための仕組みが生まれようとしていた。

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